鈴鹿高丸
姉は、憧れだった。
姉のことが好きだった。
姉のことが羨ましかった。
姉のことを尊敬していた。
姉のことを、少しだけ、憐れんでいた。
姉のことが、本当は、憎かった。
歳の離れた姉は、自分にとって憧れだった。
十以上も離れた姉は、とても綺麗で。
そのまっすぐに長く伸びた黒い髪も。
整った顔も。
たおやかな所作も。
落ち着いた喋り方も。
もちろん私にも、とってもとっても優しくて。
そんな姉のことが好きだった。
そんな大人になりたいと思っていた、そこに全てが備わっていた。
そういう風に、見えた。
姉は皆に大切に扱われていた。
両親だけではなくて、一族の皆に。
自分が放って置かれているようで、寂しくて、羨ましかったけれど。
成長するにつれ、幼い私にも、少しずつ分かってきた。
姉が、何なのかということが。
大事に扱われるその理由が。
『契りの娘』――。
二十歳を迎えるそのときに、命をア・クシャスに捧げる運命。
一日、一日と近づくその日。
それでも、姉の様子は変わらなかった。
誰にでも、優しくて。
穏やかで。
怖がっている様子など、欠片もなかった。
少なくとも、皆の前では、私の前では、そんなところは一つもなかった。
そんな静かな強さを、尊敬していた。
そんな姉を、父は気にかけていた。
ただしそれは、一族の皆とは違って。
『契りの娘』としてではなくて。
あくまで、娘として気にかけていた。
幼いなりに、それが分かった。
父は社から度々外出していた。外からいくつも生活に必要なものを持ってくるのが父の仕事で、だからだったかもしれないけれど、他の一族の皆とは少し違っていた。変わり者、と言えた。
儀式よりも、娘を失くしたくない。
そう思っていたのかもしれない。
だから、それは娘に少しでも、外の世界を教えてやろうと言う、そんな思いからだったのかもしれない。
姉が十九を迎える頃。
確か、私が五つを数えた頃だった。
でも今でも、はっきり覚えている。
誰にも内緒だよ、と。
そっと私たち二人を社の外に連れ出してくれて。
父は誰か同じくらいの歳の男の人と何やらお話をしていて。
それはどうやら麓の集落の長のようで。
その息子という人と遊ぶように、紹介してくれた。
初めて見る一族以外のその子は、人見知りしている私にも、気軽に声を掛けてくれた。
最初はおずおずと。
度々、父が連れ出してくれるたびに。
少しずつ、話ができるようになっていって。
私と姉とその青年――オントは、仲が良くなっていった。
オントはいつでも明るくて、快活で。
でも時々、悲しげな顔をしていた。
そうしているときは、決まって姉さんとお話をしていて。
今なら分かる。
オントも姉も、犠牲になることを強いられた人だった。
集落に、一族に。
そこから這い上がろうとして、そうなるまいとしているオントと。
その状況を受け入れて、なお穏やかに日々を暮らそうとしている姉と。
惹かれあうのは、当然だったのかもしれない。
二人とも、そんなことは口に出しはしなかったけれど。
それでも、二人の間に私が入る余地なんて、なかった。
これぽっちも、なかった。
いつだって姉さんはオントのことを話していたし、オントは姉さんのことを気にしていた。
それでも、楽しい日々だった。
姉に手を引かれて。
その姉の隣にはオントがいて。
一族の皆には秘密だったから。
ほんの時々の、少しだけの時間だったけれど。
夢のような時間だった。
でも。
夢はいつしか覚めるもので。
一年が過ぎていって。
慌しく、儀式の準備が始まって。
姉が外に出ることなど、できようもなくなって。
私だけがこっそりと、父に連れられて、オントに会って話をして。
もちろんその頃には儀式のことをオントは知っていたから。
彼が、姉を連れ出そうと考えるのは、当然のことだった。
小さい私に、オントは手伝ってくれと言って。
私は頷いたのだけれど。
言われた日。
約束した場所。
決めた時間に。
私は、行かなかった。
見つかったらどうしよう、とか。
儀式は、島のためには必要だから、とか。
例え逃げても、きっと逃げ切れない。そうしたら彼の命だって危ない、とか。
たくさん言い訳を作って。
行かなかった。
姉さんがいなければ。
彼はこっちを向いてくれる。
そんなわけないのに。
儀式は滞りなく終わって。
いつも優しい声で起こしてくれていた姉さんは。
その次の日から、風景のどこにもいなくなって。
いつしか、姉さんのいない風景が、日常に溶け込んでいって。
日々がいくつか過ぎて。
新しい『契りの娘』が、叔母さんの娘として産まれて。
いくつも年が過ぎて。
姉さんは、決して届かないものになってしまった。
そこにいない人を追いかけているのだから。
勝てるわけがない。
私はいつしか大人になったけれど。
姉さんはいつまでも、あのときのままだ。
その姿を追いかける彼を。
私の通り越して、姉さんを見ている彼を。
色々語りはするけど、きっと、姉さんに会いたい、一つになりたいと望んでいる彼を。
私はもう、止めることはできはしない。
あの日の負い目が。
今でも変わらない、最初に会ったときからの感情が。
私を縛り付けて、離さない。