アトラ・ハシス

ショートストーリー

『お兄ちゃん』

川岸満里亜

「テセラさん!」
 突然の兄の声に、先住民の子供と談笑していたルルナ・ケイジは振り向いた。
 視線の先で、一人の女性が立ち上がる。
 テセラ・ナ・ウィルト……先住民の子供達を率いてきた人だ。
 兄、ラルバ・ケイジと、テセラは連れ立って、会議室の外へ出て行く。
 ちょっと行ってくるね、と言葉を残し、ルルナも、兄の後を追った。
 廊下はひんやりとしている。
 それに……なんだか、変な感じがする。
 ルルナは、両手を組んでぎゅっと握り締めた。
「確認に行きます」
 兄から何らかの言葉を受けたテセラは、身を翻し、外へと向かう。
「お兄ちゃん!」
 テセラに続く兄を、ルルナは呼び止めた。
 驚いたように、ラルバが振り向く。
「ルルナ!? ……どうした? 会議室で皆と遊んでなさい」
 ルルナは首を左右に振った。
「ルルナも、行く。話までは聞こえなかったけど、なんだか、お兄ちゃん達真剣な話してた。外の様子も変だし……。ルルナもお兄ちゃんと一緒に行く」
「ダメだ。危……いや、雨に濡れたら、風邪をひいてしまうだろ? 大人しく待ってなさい」
 すぐ戻ってくるから、とラルバはルルナの頭を撫でた。
 ルルナは、じっと兄の瞳を見た。
 知ってる。
 ラルバがこんな目をするのは、危ない場所に行く時だ。
 普段より、ずっと優しくなる。
 だけど、心の半分はここにはない。
「わかった」
 ルルナがそういうと、安心したように、ラルバはルルナを会議室に入れ、テセラの後を追っていった。
 わかってなんていない。
 少し、待機した後、ルルナは会議室から外へ出る。
 裏口に行くまで、誰にも会わなかった。
 豪雨の中、外へ出る。
 強風で飛ばされないように、必死に柵や木に掴まりながら、変な波動を感じる方へと歩く。
 瞬間、周囲が光った。
 爆音が鳴り響く。
 声も出せず、ルルナは、木にしがみついたまましゃがみこむ。
「お兄ちゃん!」
 叫ぶ声は、豪雨にかき消される。
 唇をかみ締めて、立ち上がる。
 足を踏み出したその時……兄の姿が視界に入った。
 テセラを抱きかかえ、役場棟に向かっている。
 よかった、お兄ちゃんは無事だ。
 再び、柵に掴まりながら、ルルナも役場棟を目指す。
 傍の軒下で、裏口で何かを話し合っているテセラとラルバをじっと見つめる。
 訳はわからなくても。
 兄が危険なことをするのなら。
 自分が止めなきゃと、ルルナは思っていた。
「もう、どこにも行かないで……」
 恐怖が心を渦巻く。
 同時に、強い決意も。
 自分が、必ず守るのだと――。