川岸満里亜
「改めて。お帰りなさい、ラルバ」
「戻って数日になるんだけどな……まあ、ただいま。心配かけてすみませんでした」
軽く頭を下げたのはラルバ・ケイジだ。
執務室に戻ったレイニは、ラルバを呼んだ。本当は帰還後すぐにでも話をするべきだったのだが、タウラスの件もあり、詳しい話は後回しになっていた。
「私の方こそごめんなさい。今まで何もしてあげられなくて。本当にごめんね」
「いえ、逸れたのは自分の不注意ですから。でも、レイニさんが村長なんて意外だな。こんな部屋でデスクワーク中心の生活なんて、似合わないと思うんだが?」
「ははは……柄じゃないわよね。なんか、そういうことになっちゃって」
秘書のフレデリカが二人にお茶を淹れる。トレイを片付けると、必要になると思われる書類を取り出し、机の上に重ねておく。
「えーと、まずは健康診断を受けてね。あと、住居だけれど……」
役場棟の使用状況を調べる。
「役場棟の住居部にまだ余裕あるから、ここでいい? 戸建がいいのなら、新築になるわね」
「ここで構いませんよ。それよりも、頂いた手紙の件ですけれど……」
表情が真剣みを帯びる。
湖の集落で、妹からだと手渡された手紙の中に、レイニからの手紙も入っていたのだ。
手紙には、島が危険な状況にあること、儀式の失敗の可能性について、曖昧に書かれていた。
レイニとしては、ラルバの帰還を促すと共に、ラルバが信頼できる人物に、事態の危険性を僅かにでも伝えたいという意図があっての手紙だった。
「そうね。先に、色々聞かせてくれる? 湖の集落でのことを」
ラルバは、湖の集落でのこと、一部始終をレイニに話した。
祭具のことや、儀式のことも、知っている範囲で克明に。
探索に出た際に、仮面に襲われたことや、社に向う最中に襲われたことなども。
そして、首謀者として2人の人物が捕まったことも、レイニに話してきかせた。
レイニはフレデリカにそれらをメモするように指示した。後ほど、タウラス・ルワールにも伝えるように、と。
続いて、レイニから、村の状況について、ラルバに語られる。
魔力防衛については、タウラスから話を聞いているとのことで、説明はいらなかった。
「それから……タウラスが襲われた件に関してだけど」
「どういうことです? こちらが狙われる理由なんてないと思うんだが……」
フレデリカのペンを持つ手にも思わず力が入る。
「大体あなたもわかっているとは思うけれど、その捕らえられた2人は利用されただけ。黒幕は別にいるわ。多分、仮面の目的は一つなんじゃないかしら。そのために、儀式を邪魔し……いえ、乗っ取ろうとしているのかしら? 更に、こちらを巻き込んでいるんじゃないかと思うの。その目的がわからないから、憶測で動くより他なく、それが今回の事態を招いてしまったんだと思う」
「何故、利用されただけと?」
「密偵に探ってもらっていたのよ、湖の集落を」
言った直後、これは機密事項だから、と二人に口止めをする。
「僅かな期間だったから、詳しいことは何もわかっていないのだけれど……」
それでも、その情報は衝撃的なものだった。
山の一族の代表の強襲も、彼等の計画のひとつだった。
わかっていたけれど、何も出来なかった……。
そう語るレイニの声は消え入りそうで……それが、彼女にとって、苦渋の決断であったことが、その場にいなかったラルバにも推し量れた。
「……って、ああそうか! 湖の集落内での襲撃……あれは、契りの娘でもなければ、黒神石でもなく、ケセラ・ア・ロウンその人が第一目的だったってわけか! ……探索時の襲撃は、カケイの命が目的か……」
ラルバの中で絡み合っていた糸が少しずつ、解れていく。
「つまり……アイリか」
「カケイ? アイリ?」
レイニは聞いたことのない名だ。
「アイリは、ケセラの代わりに儀式を執り行う女性です。……あの女が指揮していたのかっ」
なにせラルバは仮面と遭遇した回数が誰よりも多い。他集落のこととはいえ、悔しさが湧き上がる。
「カケイは先ほど話した、祭具捜索を指揮していた寡黙な男性です。ケセラ・ア・ロウンの息子の」
「なるほど……」
レイニの中でも、ラルバと同じように、糸が少し解れる。
「それにしても、そのカケイって男……なっさけないわね。祭具を盗まれた油断もさることながら、結局最後まで全く手がかりを得ることができず、狙われて少女に怪我を負わせて、自分自身も負傷。あなたが確保した唯一の祭具まで盗まれるし、母親も殺害されてしまうなんて!」
言いすぎです。……と言いそうになるフレデリカだが、しかし、レイニの言う通りでもある。彼がもっとしっかりしていれば、こちらが影響を受けることはなかったかもしれない。つい、なよなよとした体つきの男を想像してしまう。
「彼が山の一族の代表継ぐわけ?」
「そこまでは知りませんが……一族で発言力があるのは、アイリとカケイの2人のように見えるな。カケイは頼りない人物ってことはないんだが、自らの力を過信しているところと……なんだか、感情を殺して生きているような、そんなところがある」
「あ〜、無口で無愛想な男なら、こっちの村にも一人いるけどねぇ。彼とは違うタイプみたいね。感情を殺す意味ってどこにあるのかしら。自己主張をしない生き物なんて、人ではないわ。感性があり、柔軟性があるからこそ、人間関係を構築でき、様々な結果を生み出せるんでしょうが。つまり、指揮者として全くなってないのね」
レイニさんのように、直情的すぎるのもどうかと思いますけれど……。という言葉を、フレデリカは飲み込んで、黙々と書記に徹する。
「仮面の集団を見ても思うんだが、山の一族っていうのは、仕来りとか規律を重んじる一族なんだろうな」
「そういうのに疑問を感じた人達が、黒幕に従っているのかしらね」
「或いは、ただ、上の人間に忠実に従うよう、育てられているか」
仮面として動いている人々、それぞれに理念や理想があるのかどうかも、怪しいところだ。
レイニはお茶を口を一口飲む。
山の一族の統率にも大きな問題があったのだろう。カケイのような人物ばかりであるのなら、個性よりも、仕来りに従うことを求め続けた結果ではないのかと、レイニは考える。
「春の会談で会うことがあるのなら、根性叩きなおしてあげたいわね、そのカケイって子」
「いや……」
カケイはレイニと同年代の男性なのだが、レイニはどうやら20歳前後の青年をイメージしているように見える。
ラルバはとりあえず、苦笑いで返しておくことにする。
「生きて……いれば、だけれど……」
レイニが声にならないほど小さく言った言葉は、ラルバとフレデリカの耳に、微かに届いていた。
「きっと大丈夫ですよ。マユラもいるし……」
ラルバは湖の集落で世話になった、姉妹の事を思い浮かべる。
「マユラ……手紙を見せた女の子ね?」
「ええ。カケイに俺を連れていくように言ったのもマユラだ。あの時も、カケイ一人だったのなら、仮面はああも簡単に撤退しなかったかもな。マユラは多分、今頃も彼に適切な助言をしているんじゃないかと思う」
「そっか……彼女のことは、タウラスからも軽く聞いているわ。しっかりした女性みたいね」
女性………………。
ラルバはまたも苦笑いする。おそらく、レイニのイメージでは、マユラは年頃の女の子くらいなのだろう。カケイとは良いカップルくらいに思っていそうだ。
「で、黒幕なんだけれど……もう、言わなくてもわかっているわよね」
レイニの言葉に、ラルバは神妙に頷く。
「保養所でのことを見れば。……手段を選ばなくなってきているな」
余裕が無くなっているのか、絶対の自信があるのか、それとも……。
「なんにせよ、儀式で彼等が何を目論んでいるのかわからないのだから、私達は私達を守ることを考えるしかないの。だけど……」
レイニの顔が、影を落とす。
呟きのような、声を出す。
彼等の儀式は、島全体を守ってくれるものなのに。私達は、自分達だけを守ろうとしている。
それは非情なのではないか、と。
それでも……。
「それでも、この村の誰一人、犠牲にはできないの。誰一人、失うことはできないのよ……」
力のない、声だった。
苦しそうな言葉であった。
「らしく、ないですよ」
ラルバが言った。
弱気ともいえるレイニの顔を見たのは、ここに来て初めてだった。
「先日までの暴れていたあなたの方が、ずっとあなたらしい」
その言葉に、肩をすくめて、レイニは笑った。
「そうね」
既に冷えてしまったお茶を飲んで、レイニはラルバを眺める。
精悍な容姿は、はぐれた時のままだが、僅かに、体格が変わったような気がする。
「なんか、ちょっと太ったんじゃない?」
「う゛……怪我で長い間寝たきりだったからなぁ」
痛いところを突かれたかのように、ラルバは苦笑する。
「怪我が完治したら、また組み手の相手してね。あなたがいないと、私も鈍っちゃってしょうがないわ」
ラルバは苦笑したまま了承すると、妹が待ってるから、と立ち上がる。
「……ねえ、ラルバ。それじゃ、私らしく言うけれど。私は関係悪化覚悟で、真相を公にし、被害の主張をしてもいいと思ってる。人間の関係って、一度は衝突をして言い分を主張し、互いを暴露しあってこそ、理解に繋がっていくとも思うし。こちらの苦しみを双方の民に伝えずしていいの? 何もかも隠して、穏便に友好関係を築こうって現状には疑問も感じているの。
でも、一番被害にあっているのは、死にかけたあなたと、タウラスだから。あなた達が自分の受けた被害に耐え、それでも隠すことを望むのなら、あなた達の方針に従おうと思う。ラルバはどう思う?」
レイニがこんな事を言うのは、それが自分に対してではないからだ。自分の大切な物を傷つけられたから、傷つけられた者の心を考え、彼女はそれを許し水に流すことに疑問を感じてしまっているのだと……そんな彼女の気持ちがラルバもフレデリカにも伝わってきた。
「ここに戻って来た時は不満もあった……正直、かなり。事実は村人には知られてなくて、それどころか、何故か向うが恩人ってことになってるんだもんな。
でもな、今、レイニさんの言葉を聞いて、もういいやと思えた。分ってくれる人は分ってくれている。公にする必要はないでしょう。濡れ衣が晴れたのだから、それでいい」
「……あなた、お人好し過ぎるわよ!」
そうかな、とラルバはちょっと笑った。
怒りも憎しみもないわけではない。だけれど、今の幸せ、妹達のこれからの未来の方が、ラルバには大切だった。過去のことに長く囚われている必要はない。
村に戻り、重体だったタウラスを村人に預けた直後、妹二人が抱きついてきた。
二人とも、少し、痩せていた。食料難と、精神的、肉体的な疲労が原因だろう。
喜びというより、悲痛な顔で、二人とも泣いて……号泣しながら、自分にしがみついてきた。言葉を交わさずとも、互いの気持ちは分った。強く抱きしめながら、もう二度と2人から離れないと決めたのだった。2人の妹が大人になるまでは。
カップを口に運び、妹への想いから意識を戻す。
「それに、逆恨みで攻め込まれたらどうするんです? この村に立ち向かえるだけの戦力があるとは思えませんが。互角な力があったとしても、争いになれば、犠牲は出てしまうでしょう」
「そうよね……」
犠牲を出さないことを……村人達の平和と安定を、一番に考えなければならない。
だから、動けずにいるのだ。それが凄くもどかしい。
レイニは今日、何度目かの溜息をつく。この席に座ってから、溜息ばかりの毎日だった。
「警備隊に入ってくれるって話だけれど、私の護衛もやってくれるわよね?」
「護衛? ……怖くなりましたか? 補佐が襲われて」
ラルバの言葉に、はっとしたように、レイニは一瞬言葉に詰まった。
脳裏に、病室で何度も目にした、目を閉じたまま動かないタウラスの姿が浮かぶ。呼びかけても、触れても動かない、大切な補佐の姿が……。
「そう……かもね。もう二度とこんな思いは、嫌だから。今度は、ちゃんと私を狙ってもらわないと」
「で、返り討ちにするんですよね?」
「ええ、当然よ」
強気に瞳を閃かせたその様子に、自然と雰囲気が和んだ。
日常が戻るまで、あと一歩。……そう感じられた。