アトラ・ハシス

第五回リアクション

『ア・クシャス』

鈴鹿高丸


 信じようとしても。
 心のどこかで分かっている。
 遠くを見る、その目は、私を映してはいない。
 そんなことは分かっていても。
 それでも。
 側に居れば。
 と、思ってしまう。
 止めようと思っても。
 止めることができないのなら。
 せめて力になりたいと、思うのは――
 罪だろうか。

*        *        *

 儀式まで一ヶ月を切り。
 ここのところ、降る雪の量はさほどでもない。
 ただ、降ろうと降るまいと。
 常に、風が強かった。吹き荒れる、というほどに。
 雪と混じれば吹雪となる。
 風の神であるア・クシャスの力か――。
 いよいよ、儀式が迫ってきている。そのことは集落の人々にも感じられ始めていた。
 そんな中。
 シャナはアイリとその配下の一族の者に連れられて集落を去り、社へと、半ば連れて行かれるように向かった。
 そして数日後。
 社から、アイリだけは一旦集落に戻ってきていた。
 ヴィーダ、及び仮面の男を監視するため少しの一族の者は残るが、その他の者は全て社に引き払うため、最後の整理に来たとのことだった。
 また数日後には社へ戻り、後は世話役として儀式の準備、シャナの補佐・世話にかかりっきりになるらしい。
「と、言うことで……忙しいんだけどな」
 人差し指で机を叩きながら、不満げに言うのは――その当の、アイリ・ア・クーだった。
「まあまあ。美味しいって言ってくれたじゃない。今日中に戻ればいいんでしょ? これから儀式で張り詰めることになるんだろうから、最後に休憩くらいしないと。私も最後にお話、しておきたいしね」
 そんな怖い顔しないで、と続けながら。
 テセラ・ナ・ウィルトは以前と同じように、自分で淹れたお茶を机の上に置いていく。
 独特の芳香が薄く立ち上り、鼻腔を刺激する。気分を落ち着かせる効果があるのは、もちろんアイリも知っていた。
 一目、上目遣いにテセラを軽く睨みつけてから、ゆっくりと口をつける。
 軽く、ため息をつく。
 ――もうここを逃したら、機会はない。
 テセラはそう思っていた。最後、最後と強調したのも、意味がある。
 儀式の準備が始まれば――思っている通りなら、おそらく、どんな結果にしろ……アイリと会うことはもう無いかもしれないから。
「まあ、それで? 話があるんじゃないの? 言うとおり、これが本当に最後になるだろうし、少しなら聞くわよ」
 今回は、アイリの方から話を振ってきた。女友達に話すような口調で。
「んーと、ねぇ。詳しい儀式の手順、とか?」
 お茶に口をつけるために下を向いていたアイリの顔が、跳ね上がるように。
 視線がぶつかる。
「純粋な好奇心、よ? と、これは山の一族の掟やらなんやら知らないから言えることだと思うんだけど、シャナちゃんたちが双子として生まれたこと、それ自体に意味があることなんじゃないかなって。二人が二人とも痣を持っているんでしょ? 一人で持って生まれるはずだった力を二人で分けてるってわけでもないなら尚のこと、二人を生贄にすればもしかすれば二人とも失わずに儀式が成功できるんじゃないかって。まあ、希望的観測かもしれないけれど、どうせ双子くんを死刑にするのならその前にダメ元で試してみるのも――アリなんじゃないかな?」
 早口で、軽い調子のままに、一気に語る。
「……ホントに儀式を成功させたいって思ってるんなら、だけどね」
 最後にぽつり、と、一言。
 視線は合ったまま。
 沈黙が流れる。
 視線の間を、湯気がさえぎり。
「……シャナの双子の兄弟は、死んだって――言っても信じるわけないわね。あの男見てるわけだし。まあ、とりあえず。教えてもいいことから」
 と、アイリは儀式について、教えられることだけ、ともう一度念を押してから語り始めた。
 これから数日後、儀式まで二十日となったところで、シャナは社にある奥の間というところにこもり始めること。そこから十日間はアイリが食事の世話などを行い――さらにそこから儀式前日までの九日間は、アイリさえも接触することなく、一人で篭もること。
 そして当日朝、奥の間のさらに奥にある儀式の間へ移動し、アイリが立ち会うなか、祭具を使いア・クシャスを顕現させ、『契りの娘』が自身を捧げることによって、ア・クシャスを鎮めること。その後――死と変わらぬ状態になる『契りの娘』を、世話役のアイリが、ア・クシャスの元へ送って差し上げる――つまり、完全に、命を絶つ。
 それで、儀式が終わるということだった。
「……で、その、あの男を使ってというのは……そんな賭けのようなことをして取り返しのつかないことにはしたくない、ということと……そもそも、儀式を乗っ取る、とか邪魔しようとしていた人間に協力させる、っていうのは、それは無理よ」
 答えるアイリに。
 テセラは、無言を返した。思うことはある。この人は――本気で儀式を為すつもりがあるのか。
 本当は、アイリこそが仮面の一団を率いていたのではないのか。
 だが、それは口にせず。
「……ん。じゃあ、話は変わるけど…………誰か好きな人っていたりしないの?」
 唐突な話題転換。
 アイリは口からお茶を噴き出した。
 さすがにその質問は想像もしていなかったらしい。
「いないわよ……って言っても、信じないか。薄々分かってるから、言ってるのよね……その質問は。ご想像の通りよ。私は……ここの族長――オントのことを、愛しているわ」
 途中から、言葉に重みが増えた。苦々しい、そんな重み。
 テセラには、そう感じられた。
「でも……たぶん、あの人は……私を通して、昔憧れていた女性の姿を見ているだけ、きっと、そう。そう、だけど……でも、それでも、力になってあげたい、望みを叶えてあげたい、って思うのは……惚れた弱みかしらね」
 そこで言葉を切る。
「重くなっちゃったね。うん、これで話はおしまい、ね。じゃあ――さよなら」
 湯呑みを置いて、背を向ける。ひらひらと手を振って、アイリは出て行った。
 その背中が、悲しげに見えた。

 テセラの家を出たアイリ。
 以前ケセラとともに住んでいた仮住まいへ向かう。つい先日まではここに、ヴィーダともう一人の仮面の男が捕らえられていたが、今はアイリが最後の整理に訪れていることもあり、隣の家に移動されている。一族の者はそちらで見張りをしているので、こちらに人はいない。
 いないはずだが。
 玄関の前には、人影があった。とは言っても、一族の見張りなどではないのは確かだった。それは小さい影――少女のものだったから。
 近づくと。
 相手もこちらを見つけたらしく、水色の髪を揺らしながら駆け寄ってくる。
 メルフェニ・ミ・エレレトだった。
「アイリさん! よかった、もう社に戻ったのかと思っちゃいました」
 雪に足を取られそうにながらも、アイリに近づくと。
「お、お話、が、あるん、です。ちょっとだけ、お時間、ありますか?」
 息を切らしながら言う。
 少しだけなら、よ、と返事をしながら。
 アイリは悪い予感を覚えていた。

「――ですから、儀式の準備、近くで見てみたいんです! 社の中でお手伝い……なんでもします! 一族の皆様にも、お話、してくれませんか?」
 部屋に通してもらうと。
 メルフェニはそう切り出した。
 やっぱり。という顔をされる。何かこちらがお願いをするだろう、というところくらいまでは予感されていたのかもしれなかった。
「だめよ。儀式は、シャナを除けば私しかその場に居ることもできないし、そもそも社の中には原則として一族の者しか入れないわ。簡単な雑用なんかはそりゃあるけれど、社に入れるのは許可できない」
 即答される。
 だけれど、そこまではメルフェニの予想の範囲内だった。ここからが勝負である。
「……けど、マユラちゃんみたいに大きな怪我まではしていないけど、わたしだって巻き込まれたんです。巻き込んだのはそっちです……それに、わたしは山の一族の生まれじゃないけど……アイリさんみたいうなお姉ちゃんが欲しかったのです」
 上目遣いで見詰める。
 以前、石を返してくれと言われたときにも使った手だ。
 だめだめ、とそれでもさすがに今回はアイリも引かない。
「……じゃあ、勝手についていきます。無理矢理戻されたって、何度だって。入れてくれないなら外で待ちます。ずっと」
 言うと、口を真一文字に結ぶ。
 それが決め手になったのか。
 忙しい中、それ以上時間を取られたくないと思ったのかもしれないが、なんにしろ。
「社の敷地の中に入るだけだったら、前例が無いわけじゃない……けど……、ん――雑用ばっかりしかさせないわよ? 掃除とか。奥の間あたりには近寄ることも許さないし」
 言い聞かせるように。だけどそれは、許可した、という証だった。
「すぐ準備しなさい、日が沈む前には出発するわ」
 メルフェニは、大きく頷いた。
 その瞬間に、ほんの一瞬、アイリと目が合う。
 顔は苦笑を浮かべていたが。
 瞳は、悲しげに。少し、迷っているような、そんな眼差しに。
 そんな風に、メルフェニには感じられたのだった。

 その日の夕方、二人は社へ向け出発した。
 そして、本格的に準備が始まる。

*        *        *

 その、次の日。
 一方、集落にいまだ残るもう一人の、山の一族の重要人物。
 前世話役ケセラの実の息子、カケイ・ア・ロウン。
 カケイはアイリが社に戻った後、数日を挟んで後を追う予定になっていた。
 そしてこちらも。
 同じように、訪問者を迎えていた。
 場所は、アイリが前日メルフェニと話をしていた、その隣の家。
 つまり――ヴィーダと男が捕らえられている家だった。
 見張り役をしている一族の者の取りまとめもカケイがしているのだから、当然とはいえたが。
 そして訪問者の少女――マユラ・ナ・スウラは、それでもやはり身を固くしていた。
 だけれどそれは、自分に怪我を負わせた者達の首謀者が近くにいるからではない。
 まさに、その二人のことについて。
 カケイに相談――いや、というよりは、訴えたいことがあったから、だからだった。
 ずっと頭の中にあった考えだった。ただ――と、あることから、それは確信に近いものに変わっていた。

 話は前日にさかのぼる。
 怪我はほぼ治ったが、元々手伝いをしていたマユラはその日も診療所にいた。
 体力を使うようなことはあまりできないが、それでも手伝えることはあるし、勉強にもなる。ほとんど日課と言えた。
 また、テセラもマユラがそうしていることは承知していたので、ちょうど見舞いに来ていた。無理したらダメよ、と忠告を入れるのを忘れない。
 と、そこへ――
「怪我されたと聞きましたが――大丈夫ですか?」
 姉リエラに連れられ、タウラス・ルワールがやってきたのだった。
 何でもさっき集落についたところで、リエラからマユラが怪我をしたことを聞いて、慌ててきたのだそうだ。
 着て早々姉と会っていた、というところに少しだけ眉根をひそめながらも、マユラはわざわざ見に来てくれたタウラスに礼を言う。
 そして、話題は自然と怪我をしたときの話になる。そこから、儀式のことに。
 ケセラが亡くなったことはタウラスにも既に伝わっていたらしい。
 悲痛な表情を見せるス。先日行われた代表者会議で顔を合わせた直後の話である。やはり、思うところがあるのだろう。
 マユラがさらに、代わりの世話役は、元々次代の世話役になることを予定されていたアイリに決まり、儀式を取り仕切ることになったと語る。
 それを聞いて、タウラスが不安を述べた。
 島外の状況も不安定。今回の儀式は特に負担も大きいのでは、と。
 そういった状況で突然代打の世話役が取り仕切るのも不安要素であるし、何よりアイリ自身にも相当な負担になるのではないかと。
 もっともな話だった。
 だが、話はこれだけでは終わらなかった。
 次にタウラスが発した一言。
 それがきっかけだった。
「オント殿にも危惧していることは話してみますが。彼も思うところあるでしょうし……」
 普通に聞き流すような一言だった。
 のはずだったのだが。
 マユラの頭の中で何かがひっかかり――そしてすぐに、気づいた。
「オント族長に何か思うところがある、と……そう思われる根拠があるのですね? タウラスさん?」
 しっかりとタウラスの方に向き直り、問い詰める。
 顔は微笑んでいた。可愛い少女のそれだ。
 だけどそこには、妙な迫力が。気圧されるほどの――以前にも感じたことがあるような、既視感。いや、実際に以前、マユラから同じように感じたことがある。
「ええと……」
 口ごもるタウラスだったが。
 ほどなく、迫力に負けて。
 自分の知っていることを語り始めたのだった。

「で、重要な話があるということだが――どういう話だ?」
 問いかけの声に、マユラの意識が回想から引き戻される。カケイの口調は既に、二十以上も歳が離れた少女にかける話し方ではない。これまでのことで、マユラを対等に話す人間として扱っているようだった。
 座りなおし姿勢を正して。
 意を決して、マユラは口を開いた。
「わたくしには、捕まったヴィーダさん達が仮面首謀者とは思えないのです」
 それが、考えていたことだった。
 なぜ、そう思う? と、カケイが聞き返してくる。
「今まで――彼らは神出鬼没、穏行の呪術はカケイさんも気づかないほどのものでした。その割には……ヴィーダさん達は、あっさりと捕まりすぎではないでしょうか。それも、部下もなく首謀者2人だけで……腑に落ちません。それに。わたくしもあの二人が捕まっているところにいた野次馬の中にいましたが、あの時男のほうが……『オン…きさま……』と言いました。その台詞からしても、首謀者というよりは、どちらかというと利用されただけという感じを受けたのですが……」
 そこで、カケイの顔をうかがう。利用された――と、するならば、利用した相手は――言葉を向けられた者になる。
 これからマユラが続けようとする内容を勘付いたらしい。顔をしかめる。
「ならば、首謀者は」
 それでも、カケイは口にした。
「わたくしは、アイリさんとオント族長が、怪しいと――考えています」
 それは、先ほどタウラスからも聞き出した話だった。
 向こうの代表が掴んだ話で、それらしい密談をアイリとオントがしていた、と。だから向こう側は現在、オントを警戒し始めている――と。
 だがマユラの言葉に――カケイは、身動ぎもしない。
「まず、アイリさんですが。ケセラさんの後任、というのもありますが……なにより、ケセラ様の護衛についていたのはアイリさんの直属でしたよね。護衛してやられたにしろなんにしろ、なぜ姿がないのでしょう? 遺体が見つかったわけでもありませんし、彼らが仮面だったと考えるのが最もつじつまが合うんです……そして、オント族長。一人で逃げてきた……確かに仮面は強かったですが、そのことがどうもいつもの族長らしくないのです。それに、治療の際に見ましたが怪我も妙に軽かったですし……違和感を感じます」
 まだ、応えはない。
「そこでなんですが……数日だけでも、儀式を遅らせることはできませんか? 仮面の黒幕達がどう動くか分かりませんが、それなりの準備をしてきていることでしょう。一度奪った祭具を戻し、儀式を行わせようとしていることが向こうの準備が整っている証でもあります。こちらもある程度の準備をしておいたほうがいいでしょう。そのための数日の猶予を……」
 再度、窺い見る。その顔は、煩悶、と言っていいほど。眉をひそめ、腕を組み。
「話は、分かった。オントについてはなんとも言えんが、確かにアイリの行動には不審な点がある……だが、儀式を遅らせる、その危険を考えると……なかなか、難しい」
 はっきりしない答えだった。本人も、まだかなり迷いがあるらしい。数日遅らせるのが難しいことはマユラも承知してはいたが……もう一押し、背中を押すものが欲しかった。
 二人はそのまま、何を話すでもなく、押し黙る。
 そのときだった。
 カケイの背中を押す者が、物が、訪れる。
 一族の者が扉を叩き、来客を告げた。見知った名前。マユラもそのままに、その男を迎え入れる。
 やがて扉を開ける、背の高い男。
 アガタ・ナ・ベッラだった。
 カケイの姿を確認し、軽く頭を下げる。
 次に、マユラの姿をちらりとだけ確認すると。
「亡くなったケセラ婆様のことで、話がある――んだが、二人で話せないか?」
 その言葉を聞いて、マユラは立ち上がった。
 扉に手をかけようとすると。
「……いや、いてくれればいい。アガタ、この子なら大丈夫だ。ちょうど、ケセラ様が亡くなったことに関係のある話をしていた」
 いまだに、母親であるケセラを、様付けで呼ぶ。その実直さはカケイの長所であり、欠点だろう。それでも、マユラの話に耳を傾け、今も信じてくれているからこその言葉。
 少しずつ、人は変わっていくし、変わっていけるはず。
 アガタは少し逡巡した後、カケイがそういうなら、と、そのまま座る。
「色々あって、来るのが遅れたが……ケセラ婆様の遺言と、形見を渡しに来た」
 襲われ、追われてこの冬の中を走り回ったのだ。それで倒れていたのだから仕方ないことである。ようやく体力も戻り、取るものもとりあえずやってきたのだった。
 カケイの隣で、マユラは息を呑む。恐らく――アガタが話すのは。
「もう、聞いているかとは思うが。ケセラ婆様の最期を看取った。最期に――伝えてくれ、と言われたことがある……アイリを、止めろ、と。その上で儀式は行うようにと。後は、これを」
 懐から何かを取り出して、差し出す。カケイが手を出すと、その上にそっと、置いた。
 それは、指輪だった。一目見て、カケイにはそれが何か分かったらしい。
「最期にもらったものだ。考えたんだが……やっぱりそれは、渡しておこうと思ってな。正直……俺にはアイリを倒さなければならないほどの悪だと言う確証もない。それに近々……無謀かもしれないが、島を出ようかと思っている。だから、この指輪も、ケセラの遺言も、託すことにした。嫌いじゃない人間の遺言は叶えてやりたいが……すまないな」
 頭を下げるアガタ。
 謝ることはない、こちらこそ何度も巻き込んでしまい申し訳ない、とカケイが頭を上げさせる。
「……アガタさんとケセラ様を襲ったのは、アイリさんの直属の――護衛をしていた人たちではなかったのですか?」
 そこへ、マユラが質問を投げかけた。
 返ってきた答えは――肯定。
 そして、用件はそれだけだ、と、アガタは出て行った。
 彼なりに悩んだ末の結果なのだから、それは仕方ない。彼は巻き込まれただけなのだから。
 それよりも。
 証拠、とまではいかないものの。
 アガタの話は、マユラの推論を裏付けるものだった。
 改めて、カケイの瞳を見つめる。
「二人から、話を聞こう。それからどうするか――決める。ケセラ様の……母の、仇は討たねばなるまい。それに、一族のため、島の全ての民のためではなく、オントやアイリのために儀式が行われるのでは、シャナが浮かばれん――マユラ、お前も来るか?」
 母と言いなおした、そしてシャナのことを気にかけたカケイの、その言葉からは――今まではとは違う、強い感情がにじみでていた。
 少なくとも、マユラはそう感じたのだった。

*        *        *

 そうやって山の一族の者たちとそれに関わる者達の周辺が、儀式を前にして最後のとでも言うべき行動を起こし始めていた、同じ頃。
 それとは全く別のことで、多忙を極めている人間もいた。
「僕の力で何が出来るか分かりませんけど、精一杯がんばりますから。みなさん、よろしくお願いします!」
 周囲を見回しながら、ルビイ・サ・フレスはありったけの声で叫ぶように語った。
 族長であるオントに、打ち合わせに使えばいいと貸してもらった部屋。
 事前打ち合わせということで、その部屋にはルビイのほかに、こちら側の代表者としてテセラ、そして相手側の窓口役として、フレデリカ・ステイシーがいた。
 フレデリカは、ぜひ一度ルビイと話がしてみたいと、集落へ向かう予定だったタウラスに同行する形でやってきていた。
 到着するとさっそく、タウラス経由でテセラに連絡を取ってもらう――と、ルビイもちょうど良かったと、打ち合わせが行われることになったのだった。
 さっそく、お互いが作ってきた資料を交換し、詳細な打ち合わせを始める。
 既にお互いが資料を作ってきていたので、話も早い。どちらの資料にも、受け入れ可能な家庭のリスト、そして参加希望者がまとめてある。もっとも今のところは、相手側――島外の者たちの方からの参加希望はないようだったが。ただこれは先月からも聞いている通りのことで、驚くような話ではない。
 フレデリカからは、こちら側からの派遣は儀式が終わって落ち着いた後になるが、受け入れについてはそれより先んじて、なるべくできる限り希望者全員を受け入れられるようにするし、そうしたいと伝えられる。
 資料にはそれぞれの受け入れ先が希望する条件も記載してある。難民側の保護者の意向と子供の意向を尋ね、そのすり合わせをおこなってあったのだった。
 また、先の話にはなるが受け入れる際の備考、また参加希望者の簡単な人となりもルビイなりに書きとめてある。自分自身も第一陣の一人として参加すると決めていたため、そのリスト内にはルビイ自身の名もあった。
 ちなみに、保護者としてはテセラがついていくことになっている。
 その他、学校以外にも見るべきところなどはあるか、などルビイから質問が飛ぶ。
 できたら事前訪問できないか、とも尋ねてみる。
 少し、返答を考えた後。
「そうですね。この後私もタウラスさんたちと一緒に一度村に戻りますし、それに同行してもらってはどうでしょう。そこで実際にこちらの村の様子を見て、滞在時の細かいスケジュールも決めていきましょうか?」
 フレデリカは答えた。
 そうして、月末のホームステイを前に、ルビイは相手の村を訪れることになったのだった。

*        *        *

 一方、集落に到着するとフレデリカと別れ、マユラの見舞いをしたタウラス。
 その足で、さらに別の場所へと向かう。
 向かった先は――族長、オント・ナ・ウスタの家。
 今回も元々、集落に来たのは村同士の協力のことなどについての話し合いのためだ。
 主目的がそれであるから、オントの元を訪れるのは当たり前であるし、避けられないことなのだが。
 それでも多少、足は重い。
 マユラにも話してしまったが、タウラスは聞いている。
 儀式の邪魔をし、これまでに到る所で戦闘を繰り返し、ケセラを殺した――仮面の一団を裏で操っていたのは、オントだと。
 シャオ・フェイテンから伝えられたその情報の真偽のほどは定かではない。確証というほどのものはない。だが、色々考えてはみたが、やはりタウラス自身もその報告を信じていた。
 今までのことを考え、その二人を仮面の者たちの背後に据えると――すんなりと当てはまるのだ。筋道が通ってくる。
 どちらにしても――警戒して損はない。
 うかつに刺激を与えないように。しかし、つついてみたい、探りを入れてみたいと思う気持ちも、確かにあった。
 そう考えをめぐらせているうちに、着いてしまう。
 一つ、深く息を吸い込んで。
 タウラスは扉をノックした。

「まず――これを」
 ほどなく、迎え入れられて。
 オントの自室にて、二人きり。
 まず、懐から工芸品を取り出して、渡す。それほど大したものではないが、こちら側の技術にかなりの興味を示していたオントだ。まず、掴みとしては最適だと判断してのものだった。
「未だこちらに頼ることばかりですが、落ち着いたときには違う形でご恩をかえせたらと思っています」
 村が安定すればより多くの技術を伝えることができる。そのために原住民側の協力が必要不可欠。そういう意味を含めて。
「ああ、もちろんだ。お互いのいいところを吸収して、そうしている間に、垣根もなくなっていけると理想なんだがな」
 遠慮なく受け取り礼を述べると、オントはそう口にした。至極まっとうな話だ。オントの語る言葉は、いつも耳に心地よく、行動は信に足る。もちろん何から何まで正しいというわけではないが、失敗を笑い飛ばして和ませる明るさも持っている。
 それが、何故――分からないのは、そこである。オントが本当に黒幕だとして、なぜそういったことに手を染めているのか。その動機を、考えを聞いてみたかった。
 だが、いきなりそんなことを聞いては、命すら危ない。
 遠回しに攻めるほかない。
「そういえば、山の一族の儀式ももう近いのですよね……無事儀式に必要な道具も戻ったそうで。ですが今は島外でも異変が起き、世界そのものが軋んだ状態。儀式を滞りなく行っても、なおイレギュラーな事態はおきかねないかと。念をいれて島や集落を守ることも考えておくべきでは……と思うのですが、何か考えておられますでしょうか」
 話題を儀式のことに変える。
 オントはその問いに、一つ唸るような声をあげる。
「……難しい話だな。失敗してもし天変地異でも起きた場合だが……逃げる場所が想像もつかない。俺としては、儀式の前後はできる限り集落で一箇所に固まり相互に助け合えるようにしておくこと、社へ近づかないようにするよう言うことくらいで、後は何かあったときに混乱しないように心構えしておくくらいしかな」
 そう言うと、さらに――社へ近づくなといっても、前回の儀式のことを考えれば言うことを聞かずに儀式の近くへ、と考える島の民はいるかもしれない。とても全てを止めるわけにもいかない、と続けた。
「そうですか……我々も有事の際には出来る限り村を守る方法を模索しています、結束はまだ弱いので不安はありますけれど……その点、こちらの集落はオント殿の呼びかけならばみなさんも備えに動かれるでしょうね。社へ向かう人も少ないのでは?」
 住民から信頼を得ているのは羨ましい、という態度を前面に出す。それは――その住民達を裏切らないで欲しいという――タウラスの願望でもあった。
 続いて、島の安定を保つための研究をしたいからと、二十年前の儀式前後の異変について、どんなことがあったかを聞いた。オントからは、地震、強風、そういったところだったと答えがある。
 儀式の内容、前回生贄となった娘の話も聞いてみるが――儀式の娘自体、その姿を見ることはほとんどない。二十年前の当時、湖の部族の長の息子として、ほんの少し、偶然に姿を見ることがあったが、それくらいだったという。また――儀式の手順なども、どうしても聞きたいならアイリ、カケイに聞くしかないが、そう簡単に教えてくれるものではないだろうと、そう言われてしまう。
 それ以上突っ込むわけにもいかず、タウラスはさらに話題を変えた。
「最後にですが――その儀式とも関連はあるのでしょうが、道具が戻って――襲撃の首謀者も捕まったとか。どんな人間だったのですか?」
 それはもう一つ確認したいことだった。聞いている情報があっているなら――また一つ、納得できない点ができる。
「信じられないことだが――この集落の人間で、ヴィーダという女。そして、捕らえたときは仮面をつけていたらしいんだが、シャナ……契りの娘にそっくりな顔をした男だった。容姿からしても山の一族の人間なのだろうが、アイリは詳しくは言わなかったな」
 あくまで、自分は山の一族関連のことは詳しくない、というスタンスは変えない様子だった。だが――契りの娘、シャナと顔が瓜二つ……それだけで十分だった。
 おそらくそれは、似顔絵にあった――最初に村人を襲撃した仮面の者に間違いない。そしてその男ならば――オリン・ギフトに聞いた話では、怪我をし、村近くでかくまわれていたらしい。ならばその間は、指示を出せたはずはないのだ。首謀者としては、考えにくい。ありえない話だろう。
 それでも、疑念を深めつつも――顔には出さない。出せない。
「取り決めどおり処罰はそちらにお任せします。ただ、襲われた者も同席する形で話しあう機会を設けていただけますか?」
 そう伝える。話し合いの機会を作ることで、口封じの機会を失わせる。それが目的だった。こちらの人間も襲われているのだ。まだ体面を気にするのならば、断れない要求のはず。
「……分かった。今は最低限の怪我の手当て、食事をさせて、ある家に軟禁状態にしてある。アイリから、儀式に必要な人員を除いた数人の、山の一族の人間を見張りにと手配してもらっているから、そのままの状態を保とう。日程は後日決めるということでいいか?」
 日程を決めないのは、オントとしても時間を稼ぐつもりなのかもしれない。それでも、口封じさせないだけでも違うだろう。
 タウラスはその提案に頷きで返した。
 その他、細かいことを話す。ホームステイ、また交易関連についてはお互い他の人間に具体的な話は任せているので、特に改めて二人で話すこともなく、ほどなく話し合いは終わった。
 家を出ると、外はまだ相当に寒いにも関わらず、汗がどっと出た。
 オントの態度は今までと変わりない。だが、やはり相当な緊張感がタウラスを包んでいたようだった。

 とにもかくにも、一旦話し合いも終わり、すぐに帰途につくことになる。今から出発の準備をして出るとなると夜を越えることになるが、今は途中に泊まる場所もある。さほど問題はないだろう。オントらが自分達を襲う理由もないはず。
 ただ――一緒に戻ることになるラルバ・ケイジへ持たせる荷物の運び手、そして護衛としてオントが数名つけてくれると言ってくれたが、それは辞去した。それでもオントも退かず、結局一人だけ人間をつけることになったが。
 ホームステイ関連の打ち合わせが終わったフレデリカも合流する。隣には、ルビイも一緒にいた。どうやらホームステイの事前調査として、今回一緒に村まで行くらしい。正式な調査のためとあれば、問題もないだろう。
 そして――その、ラルバ・ケイジ。
 彼も、一行に合流する。
 長い時間がかかってしまったが。
 ようやく彼も、村に戻る。
 彼の妹たちもそのときを今か今かと待ち受けているだろう。
 見送りに、リエラ、そしてマユラの姉妹が来ていた。一言二言、ラルバと言葉を交わす。ラルバとしてはこの集落にはわだかまりもあっただろうが、献身的に治療をし、親身になってくれたこの姉妹や他の何人かの者達には感謝しているらしい。
 少しだけ、名残惜しそうな目をしていたのが、印象的だった。
 そして行きより人数の増えた一行は、村へと戻っていった。

*        *        *

 アイリにつれられたメルフェニは、社へと足を踏み入れた。
 ここまで来ておいて何だが、まさか上手くいくとは思っていなかった。
「どうしたの? やっぱり止めるの? なら集落まで一人つけてあげるけど」
 思わず門を見上げて立ち止まっていると、アイリが振り返って告げた。
 慌てて、後を追いかける。
 山道に疲れてはいるが、アイリも歩くペースを落としてくれたのだろう、何とか倒れたりはせずに社まで来ることができていた。
 門をくぐる。
 だが、それで何があるわけでもない。
 正面の奥、しばらく歩いたところに、集落では見たこともないような大きい建物。高さはそれほどでもないが、いったいいくつの部屋があるのかと思わせるような広さを、ここからでも感じることができた。
 アイリは社へ向かいまっすぐ歩いていく。社へ続く道の両脇には、いくつも小さい家が並んでいた。聞いてみると、アイリやカケイは社の中で住んでいるが、一族の全員が社で暮らすわけではなく、社の周辺にこうして住んでいる者もいるという。今は一族全員で数十人。家系はシャナやアイリのクー家、カケイ、ケセラのロウン家を含め三つの家系があるという。
 そういった話を続けながら、社の敷地の中を進んでいく。
 中に入ると――外から見たよりもより、広さを感じる。
 余裕を持った造り――廊下も、柱も、扉も、二倍以上の大きさを持っている。それでいて、柱や壁には深い年月を感じさせる重厚さがあった。古い建物特有の、木の匂い――。
 いつもの生活と違いすぎる空間に、どうにも落ち着かなさを感じる。
 と。
 どんどんと廊下を進み、何度も曲がっていくアイリについていくうちに。
 廊下は細くなり、小さめの部屋がいくつも並ぶようになってくる。
「実際に社に住んでいる私たちなんかは、この辺りの部屋を使ってるわ。さっき通ってきたあたりは今回の儀式以外にも色んな細かい祭式を執り行ったり、道場代わりになっていたりね。とりあえず――ここが空いているから、寝泊りに使うといいわ。まずは儀式に向けて……今まで歩いてきたこの建物の中の掃除に、儀式の準備で忙しい皆のために炊事なんかをやってもらうことになると思う。忙しいわよ。余計なことなんて考えられないくらいにね。後、関係ないところうろうろしていたら放り出すから、そこは覚悟して」
 後はまた指示を出しに来るから、と言ってさっさと消える。
 釘を刺すくらいなら、連れてこなければいいのに。
 もちろん、忠告を聞く気はなかった。
 そして、次の日から。
 アイリは準備の合間に、また他の者を使って伝言と言う形で、次々と指示を出してきた。
 廊下の拭き掃除。柱の拭き掃除。炊事。洗濯。
 次から次へと肉体労働を指示される。
 それは体力のないメルフェニにはきつい毎日となるのだった。

 それと同時に、シャナは社の奥の間に篭もりはじめた。メルフェニも伝え聞いただけで、その真偽を知る術はないのだが――最初の十日間はアイリが世話するということで、食事を持っていったり着替えを持っていったりはしているらしかった。
 そして、数日が経った。
 社の周辺は、まだ人の気配はない。時折、社の中から一族の人間が出てきては、その周囲を警戒するかのように回るくらいだ。
 儀式が近づいているとは言ってもまだ二週間ほどある。社に入れてもらえないのだから、さすがにまだ寒いこの時期、今から儀式のときのために集まる者などいなかった。
 もちろん、オントが族長として、危険だから社に近づかないようにと集落内に触れてあるということもある。
 それでも。
 言っても聞かない人間はいた。
「……やっと……これが、社……ほんと、死ぬかと思った」
 雪塗れになりながら、ようやく見えてきた門を見上げる。
 カレン・ル・ジィネは、無謀にも一人で社までやってきていた。体力に自信はない。冬だから獣などもいなかったのは幸いしたが――慣れない山道に疲労は身体いっぱいに満ちていた。
 儀式のその日に、少しでも儀式を近くで感じようと社の外に集まる――そのために今からやってきたわけでは、もちろんない。
 目的は――メルフェニと同じ。
 湖の部族の時と同じようにその準備を手伝いたい、参加したいということだった。
 本当ならアイリが集落内にいるときにでも接触して頼むつもりだったのだが、これまであまり面識のないカレンがその方法を探すうちに、すぐにアイリは戻ってしまったのだった。
 そこで、無謀だと分かりつつもこうして社までやってきたのだ。
 儀式を見てみたい。もちろんその気持ちもあった。しかしカレンを突き動かしていたのは、もっと切なる思いだった。
 自分が、ならばまだいいけれど――誰かの犠牲の上の平穏なんて欲しくない。
 そう思っていた。
 だから、手伝いといって入り込んだ後、信用を得ることができたら――儀式を、邪魔するつもりだった。
 門の前に立つ。
 雪をはらって、身なりを整える。
 息を吸って。
 誰かいませんか、と。
 張り上げるとまでいかなくとも、少し大きな声を出してみる。
 ほどなくして。
 社の中から男が現われる。特に見覚えがあるわけではない。だが、山の一族の人間には違いないだろう。
「すいません、儀式の手伝いをさせていただきたいな、と思って来たのですが……雑用でも何でもいたしますので、手伝わせていただけないでしょうか」
 ……。
 反応がない。相手の仏頂面はぴくりとも動かない。山の一族にはこういうタイプが多いのだろうか。
「そのために……ここまで来たのか?」
 呆れ返った声。それが相手の第一声だった。
「……一族の儀式は、一族にて執り行う。その他の人間には、基本的に社へ入ることも許されない。ま……実際に今例外が一人いるが……世話役の口利きだし、儀式とは関係ない雑用をさせてるしな」
 にべもない。
 要は、なんのツテもないお前を入れるわけにはいかない、ということだった。
「ですが、そこを何とか……人手は足りないのではないのですか?」
 食い下がるカレン。しかし、相手の態度は揺るぎもしなかった。無理、できないの一辺倒である。
 それでも、やっとここまで来たのに、となおも粘るが――
「あんたの言うとおり、こっちだって忙しいんだ。帰る途中で死なれたりでもしたら夢見が悪いから、なんなら湖の集落まで送ってもいいが?」
「いえ、結構です。失礼いたしました」
 もうそれ以上は話すことはない、と言うその相手の態度に、カレンは即座に踵を返した。声を荒げはしないものの、刺々しさを隠しもせずに。普段はおっとりとしていても、カレンは意外にも、売られた喧嘩は買う方である。
 あっけに取られる男を背に、山を降りる道を歩き出す。
 そして、十数分後。
 降り出してきた雪とともに、カレンは少しだけ後悔を覚えていた。
 既に体力的には限界に近い。降りは楽そうに見えても、かなり体力を消耗するものだ。
 いっそ、社に戻って――やっぱり送って欲しいと頼むべきか。
 木の根に腰掛け休憩しながら、ほんの少しだけ、そう思ったとき。
「こんなところで何をしてるんだ、キミ?」
 いきなり声がかかった。驚きのあまり、飛び上がるように立ち上がるカレン。
 前を向くと――そこには、男がいた。服装からして、島の人間ではない。
 逆立った金髪というのも珍しい。と、そういえば、見覚えがある気がした。集落内に特別扱いで滞在を許されていた島外の人間――名前は、確か――。
「オレっちは、アルファード。アルファード・セドリック。キミは?」
 急に立ち上がったせいでよろめいたカレンを支えるようにして、アルファードは問うた。
「カレンです。カレン・ル・ジィネ……貴方こそ、こんなところで何を?」
 質問に、質問で返すカレン。その問いに……アルファードは狼狽した。
 実を言えば――この周辺にきているというのは、誰にも内緒だった。湖の主を釣りにいくと嘘をついて、社周辺の調査にきていたのだった。
 目的は、儀式の邪魔。先んじて儀式の行われる場所などを調べておき、儀式のときにシャナを拉致し、儀式を中断させた上で自分の意見を述べるつもりだった。
 カレンに声をかけるつもりもなかったのだ。だが、社で追い返されるのを見、そして疲れ切ったかのように座り込んだのを見て、見てられなくなったのというのが正直なところだった。
「湖の、主を釣り上げに……」
 と返してみるものの、湖は山の麓。
 迷ったというにも、あまりにも場所が違う。
 追及するカレンに……やがて、社の周辺を調べていたと、アルファードは喋ってしまった。それに対し、カレンも、儀式の手伝いをしたいとやってきたのだが無下に断られてしまったと話す。
 そしてしばし――腹の探りあいも兼ねた情報交換、雑談をするうちに――二人は、お互いの目的が同じなのではないかと察し始めた。
 カレンが、犠牲を伴う儀式はおかしいのではないか、と振ってみる。
 迷った風を少し見せながらも、アルファードは同意した。
 それを聞いて、とにかく、集落まで送ろうかと言ったアルファードに対し。
 カレンは、社を調べるなら手伝う、と宣言した。
 驚くアルファードに、自分の真意を告げる。
 数十分後。
 二人は一緒になって社の調査を始めていた。

 なんとか儀式を行う場所などが分からないかどうか、社を遠巻きにしながらも調べる。
 が、外からはそれらしいものは見当たらない。
 逆に言えば、儀式が行われるのは外から見えないところに絞られたということにはなる。
 ちなみに――社は、島の建物としてはかなり立派だ。
 敷地は高めの木製の柵で仕切られているが、隙間から中を覗き込むことは容易。
 侵入も敷地内ならできそうだが……見通しがいい分、簡単に見つかりもするだろう。そのときの覚悟と、作戦はいる。
 まだ儀式まで日はある。二人は今しばらく調査を――そして作戦を考えることにしたのだった。

*        *        *

 舞台は集落に戻り。
 今月数度目となる、島外の村からの来訪者がやってきた。
 人数は、四人。
 主となるのは、橘・花梨。
 集落との交易に訪れた面々だった。
 他のメンバーとしては、今回はかなり多めの荷物を運んだために、運び手としてレザンとシランという男が二名ついている。
 そして、後一名は――リリア・アデレイトである。
 とはいっても、厳密にはリリアは交易のためにやってきたわけではなかった。もちろん花梨に同行している以上、交易の手伝いもする予定ではあったが、それよりもまず第一の目的として――話に聞く、水面上昇の調査と島の人間たちへの忠告――があった。
 もし本当に水面の上昇があり、しかもそれが顕著であるならば。
 島の人たちにも伝えておきたい。また、儀式のことについても、失敗したときの、行われなかったときの危険について報せて、何とかして、有事の際の被害を少なくしたいと、リリアは思っていた。
 儀式の結果次第での危険性については、話して良いかどうかは事前にレイニに許可を得ていた。
 前回来たときに、集落の人たちとも大分打ち解けてきている。いや――もし打ち解けていなくとも……もう、最初の洪水のときみたいに誰かを見殺しにして生き残るのも、結果的に見殺しにしてしまって後で辛い思いをするのも、そういう思いを抱えてる人を見るのも嫌だった。
 だから、いてもたってもいられなかった。
 集落につくと、荷物整理を手伝った後、花梨たち三人と別れる。
 まずは知っている人間に話を聞こうと――メルフェニ・ミ・エレレト、そしてフェネア・ナ・エウルの二人を探す。一応、先に花梨経由で住んでいる場所などは聞いていた。
 だが――メルフェニは既にいなかった。話によると、しばらく前に、山の一族のアイリという女性と一緒に山を登っていったらしい。
 それでも何とかフェネアは見つかった。早速事情を話し、水面について知っていることはないかと聞く。もし水面の上昇が現われているなら、できるだけ内陸部へ逃げることを考えたほうがいいと伝える。
 フェネアは頷き、すぐに色んな人に聞いてみると言ってくれた。それに、自身はこの後、ホームステイに参加するらしい。それならば、フェネアについては少し安心といえた。
 また、メルフェニさんから預かっていたものです、と染料を渡された。もしリリアが来たら渡してくれと頼まれていたらしい。また、『あれから工夫して作って見たのです。少し奇抜な色ですけどもしかしたらそちらでなら合う使い方があるかも知れません』と、伝言も聞くことができた。会えないのは残念だったが――それでもフェネアに伝言までして気にかけてくれたのは、素直に嬉しかった。
 後は村に戻るまでに、少しでも多くの人に伝えるだけだった。フェネアも、協力してくれると言ってくれた。
 為すすべも無かった以前とは違う、とリリアは実感していた。

 一方、リリアと別れた花梨は、たくさんの荷物を抱え、レザン、シランと共にアガタの待つ会談場所へと向かった。交易関連は現場の者同士でということになっているので、特に族長オントを通す必要もない。最後に挨拶でもしておけばいいかな、と考えていた。
 今回持ってきたのは、できる限りの工芸品、金属等、そして、塩だった。塩については考えがあってのことで、基本的にはそれ以外のものをできるだけ食料品に変えたい、と思っていた。この際今回は損をしても構わないとまで思っている。
 それだけ、今、村にとっては食料品は最も価値が高いものだから。
 すると、到着の報せを聞いたのか、アガタが迎えに出てきた。隣に、アガタとそんなに背の変わらない、大柄な女性を連れている。
 それは、花梨にも見覚えのある――というか、既に友人と言ってもいいほどの女性――アルマ・ナ・ラグアだった。正式にアガタとともに交易の担当となったのだろうか。
 ともあれ、二人に挨拶をして、荷物も手伝ってもらって。
 まずは、一休憩しながら、花梨、アルマ、アガタの三人で話をするということになる。レザンとシランには疲れもひどいだろうからと、別室で休んでもらっていた。
「まず、最初にだが……いきなりで申し訳ないが、今回アルマに同席してもらったのは……自分はこれから先交易から身を引く可能性があるので、そのときのために、花梨とも面識のある彼女に交易のことを知ってもらおうと思ってな。彼女自身も交易に興味があると言ってくれたし」
 突然の言葉だった。
 アルマが言葉を受け、改めてよろしく、と手を差し伸べてくる。
 その手を握り返しながら――花梨は、身を引くとは、どういうことなのか――それを聞いてみる。
 すると。
 まだ先の話だが、集落を……いや、島を出ようかと思っている。
 そう答えが返ってきた。
 島を――出る?
 思わず聞き返す。
 アガタは頷きで返す。世界はこの島だけとは限らない。そう言う。
 ちらり、とアガタの顔を見ると、いたって真面目――というか、決意を秘めたというような、固い表情をしていた。
 どうやら、本気らしい。
「とにかく、今は交易の話を進めよう。お互いのために」
 アガタが、この話題はここで終了、と言わんばかりに告げる。
 聞けば既にオントの了解も取り、しばらくはアルマを中心に、引き続きアガタが補助という形で同行するというこが決まっているらしい。
 それならばそれで、仕方なかった。アルマならば見知った仲で、やりやすいというのもある。
 さっそく、交易のことについていくつか相談を始める。
 まず花梨からは、今回持ってきたものの一覧、そして希望するものが一通りあげられる。そして、ここからが本題――。
「交易の基本は物々交換です。例えば今回は特にたくさん色々と持ってきましたので、できたらこれを食料品と交換していただきたいと思ってます。今、こちらは常に食料品は不足していますので、最大限譲歩もしますが……問題はそこです。交換の場に相手が望むものを用意しなくては取引が成立しない。ので、互いが共通の価値を認めたものを支払いに用いる――というのはどうでしょうか」
 要は、貨幣制度というわけである。ただ、島の民にそういった考えがあるかどうかはわからない。理解してもらえるかどうかが問題である。
「……んー。分かったような分からないような」
 案の定な答えをアルマが返す。そこで、身振り手振り、また図のようなものを書いて説明する。具体例があれば、比較的簡単に飲み込める話だからだ。
 しかし。
「言いたいことは分かった。だが、例えば塩にするとしても、だ。塩が必要でもないのに塩ばかり作っていって……塩ばかり溢れかえって困ったことにならないか?」
 アガタが指摘する。
 仕組みを分かってもらったところで、同意を得られるかどうかは別問題だった。
 というか――指摘されて、花梨も問題点に気づいた。
 そう、一時的にしろ塩を貨幣代わりにするには、お互いに勝手に作ることができてしまうのだ。価値があっというまに変わってしまう恐れがある。
 貨幣の発祥のそのほとんどが貴金属であることからも分かるように、一定の価値をある程度保てる、供給源も限られているもの――もしくは、国か第三者が一定数発行する券でないと、貨幣としては問題があるのだ。インフレなどがあっという間に起きてしまう。
 ならば、と。
 もう一つ、将来的にはそちらにしたいと思っていたものなら――と。
 塩が問題なら、採れる量が限られている金属――銅などはいかがでしょう、と提案する。
 銅ならば、道具などに使うため、それ自身に一定の価値も常に見込める。
 将来的には専用の貨幣という形にしていきたいが……いきなりその考えを相手の住民全てに浸透させるには、今この二人の反応を見ても無茶だと分かる。
 案の定、それならば多少は理解できるという反応が得られた。
 物々交換での交易の際に銅をなるべく使い、少しずつ、この物は銅の重さどれだけ、という形で価値をつけていく。そうして交易を円滑に進めていこうという方針は取り交わされる。
 ただ今回はまず冬を過ぎるまでの食料品調達が主目的のため、持ってきた品を次々と説明し、それぞれ出せる限りの食料品と交換していくことになる。一部は銅とも交換できたが、まだ少しである。本格的に銅を基準とした交易をするのは次回以降ということになっていくだろう。
 交換の条件についてはアルマは中々に厳しく要求・判断をつきつけてきたが、それでもまあなんとか最低クリアしたい基準の量だけの食料品は手に入れることができた。冬も半分以上が過ぎ、ある程度余剰食糧が計算できるようにはなってきているらしい。干し肉や乾物のように加工してある果物・キノコ類がほとんどではあったが、それでもこの島の生態系にも慣れていない花梨たち側からすればありがたいものだった。食料にもなるし、その加工技術の研究材料にもなる。
 荷物の交換をし、さっそく戻れるようにレザン、シランに梱包を始めてもらう。
 それも終わると――それらの準備や力仕事も手伝ってくれたアルマが、こう言った。
「今度はアタイの家で酒盛りなんてどうだ? とっておきの果実酒と、鹿の肉で振舞うぞ。先月のお礼もかねて」
 花梨にアルマのその言葉を断る理由はなかった。レザン、シランも異存はない様子。
 今回も、夜は長そうだった。

*        *        *

 一旦、日付は戻る。
 マユラとアガタがカケイに接触した、その次の日の早朝。まだ夜も明けきらぬほどの時間帯。
 その日、マユラはカケイと話した家に泊まっていた。アイリも元々住んでいたのだから、部屋はいくつもある。リエラにも事情を話して了解をとっていた。
 既にマユラもカケイも起きだしている。マユラが泊まったのも、見張りは変わらないものの、その他の人気を避けて二人に会いに行き、話を聞こうという考えだった。
 だが――同じようなことを考えてか、どうなのかは分からないが。
 それはちょうど出発しようかというときだった。
 突然扉が開け放たれ、一族の男が一人、息せき切って入ってくる。
「起きてましたか……ちょうど良かった、すぐ来てください。集落の男が一人、暴れているんです」
 話を聞き終わらないうちに、カケイが駆け出す。マユラも慌てて後を追った。
 隣の家だから場所はすぐ近くである。
 それでも、マユラの足ではカケイの背中はあっというまに小さくなる。
 まだ怪我が治ったばかりで体力だって戻ってはいない。早足程度で向かう。
 そして、その場に着いてみると。
 暴れる大男――明らかに、知っている男――セイル・ラ・フォーリーが、カケイとその他数人の一族の男達に組み敷かれるようにしていた。
 それでもセイルは抵抗している。こと膂力・体力で言えば一族の人間にも引けをとらないセイルだ。
 マユラは、巻き込まれないようにゆっくり近づく。
「どうしたんですか、セイルさん? こんな無茶をするなんて……落ち着いて、話を聞かせてもらえませんか?」
 その声を聞いて、ようやく観念したのかセイルの動きは止まる。
 しばらく間をおいて――マユラが、もう大丈夫、とカケイに合図をした。
 すっかりおとなしくなったセイルを立ち上がらせる。
「許せないウガ! マユラを傷つけて、婆様を殺したやつは、許せない……問い詰めてやるウガ!」
 言っているうちにまた興奮してきたのか、口調が荒くなった。
「言いたい事があるならついてこい。ただ、有無を言わさぬ暴力は、相手とやっていることが変わらない……暴れないと誓うなら、だが」
 カケイが言う。
 肩を捕まれそう諭されたセイルは大人しく頷いた。もともと激昂していたと言っても、物分りの悪い人間でもない。
 いまいち納得がいっていない様子の見張りを下がらせると、マユラも呼んで三人で家の中に入る。マユラは、最低限の治療をさせるために呼んだと説明した。
 マユラが目を見張った。
 おそらく、セイルなら、二人が首謀者でないと分かれば手を貸してくれると考えてのことだろうが――今までのカケイからは考えにくい柔軟さだった。
 そのまま、奥の部屋の扉をくぐる。
 緊張感と圧迫感がマユラを襲う。二人が首謀者でない、どちらかと言えば被害者に近いはずということは確信しているものの、それでも不安はあった。
「――起きているか」
 まだ薄暗い部屋の中に、カケイが声をかける。
 がそごそと動く音がした。
 マユラが灯りをつける。
 二人の姿が浮き上がる。
 手足はまだ固く縛られた状態の二人。ヴィーダの顔はまだ腫れているようだった。
「まず、手当てをする。大人しくしていてくれ」
 カケイの言葉に、マユラが反応する。ヴィーダの元へ行き、簡単にだが手当てを始める。
 そして、手当てをしながら。
「……話がある。お前達は本当に、仮面の者達を率いていたのか? まだ他に、首謀者がいるのではないのか?」
 駆け引きも何もない。
 いきなり本題。それも、何のひねりもない聞き方だった。
 さすがに、二人も面食らっている様子。
 場が凍りつく。
 さすがに何とかしなければ、とマユラが後を継いで話し始める。内容は、カケイに話したこととほぼ同じ。二人がどうして首謀者でないと思ったのか。だとするならば、誰が首謀者だと思ったのか。その理由、今まで得てきた情報を全て話す。
 そしてオントとアイリの話が出てきたとき。
「……そこまで知っているのか……だが、アイリより俺たちを信じるとでも言うのか?」
 ヴィーダが初めて言葉を発した。
「……信用するのか?」
「セゥ……カケイはともかく、この子……マユラは信用できる。どのみち、俺たちに後はないんだし」
 ヴィーダが、男をセゥと呼んだ。聞いてみると、名前は無いというので、ヴィーダが『空』という意味のこの言葉をつけたという話だった。
「まだ、俺は信じたわけではない――話を聞きにきたんだ。知っていること、全てを話してくれないか」
 他の皆を遮るようにして、カケイが繰り返す。
 分かった。と返して――ヴィーダは、一つずつ、思い出しながら……この数か月のことを少しずつ語り始めた。信じる信じないは相手が判断すること。今はただ、伝えるのみだった。
 最初は――一人で社へ向かったとき。
 そこで、社を抜け出したシャナ――契りの娘に偶然に会い、外の世界を見てみたいと言われたこと。頼みを聞いてやり、しばらく一緒に行動していたが、シャナは見つかってしまったこと。
 そんなことがあって、シャナと親しくなって。
 シャナが、いや、誰かが犠牲にならずとも何か方法があるのではないかと思い、それを探そうと、仮面の者たちに接触しようと決めたこと。
 しかし、その、旅立つ前――世話になった、いや、憧れていたオントにだけはそのことを話してから旅立とうとしたとき。
 オントが、言った――仮面の者たちに会いたければ、会わせてやると。指示を出しているのは、自分だと。
 そしてその時言われたのは――今いる、この男、セゥ――産まれた瞬間に殺されたはずのシャナの双子の兄――と、黒神石を奪回することだったと。
 だが、その翌月――黒神石を奪ってきた自分達を待ち受けていたのは。
 掌を返すようなオントの、裏切り。
 ケセラを亡き者にし、オントと手を組んでいるアイリが世話役になり、無理せず儀式を乗っとることができる状態になったことで、全ての罪をヴィーダとセゥにかぶせる、そんな計画だった。

 言っていることに証拠はない。
 だがこれまでの全てのことが説明できているのも確か。マユラの推論とも、アガタが聞いた遺言、そして体験したこととも齟齬はない。
 それでも――アイリと、どちらを信じるのか――。
「だが……一族の、母の遺志を……儀式は、行いたい……手順の詳細はアイリしか知る者がいない。しかし今の俺には、一族の誰が敵かも分からん……あくまで、儀式を成し遂げるために、オントとアイリの余計な行動を防ぐために、ならば……助けてやってもいい」
 悩み、考えながら、カケイは少しずつ声をつなぎ、そう答えた。
 願ってもない申し出。
 喜んで、受け入れるところだろう。
 しかし。
 それだけではヴィーダは納得できなかった。
 譲れないものが、ある。
「……その、儀式なんだが。確信も、根拠も無い。だが――俺はシャナにも死んで欲しくないと思ってる。そこで、だ。ここにいるセゥが、シャナの兄だってのは分かってるだろう。もちろん、セゥの身体には『契り』の証もある。呪力も強い」
 左肩だ、とセゥが自らの肩を差し出すようにする。もちろん両手を塞がれているので自分で見せることはできない。カケイが近寄り、確認する。
「……確かに。やはりお前は、あの時の赤子……なのだな」
 カケイがそういうなら、それは真実なのだろう。
 事情を良く知らないセイルが、この男はシャナの兄なのか? と聞くと、カケイが説明する。
 シャナには双子の兄がいたことを。
 しかし、『契りの娘』は一人。しかも女児のはずである。そうでない子供など一族にとって不吉の象徴でしかなく……産まれてすぐ殺された――はずだと。
 ヴィーダがそこに補足する。
 その赤子は、アイリの父親――シャナとセゥにとっては伯父――の手によって、今は亡きオントの父親――湖の部族の前族長――に預けられたという。
 確かに、オントの父とアイリの父は、部族が違うながらも親しくしていた――とカケイも話す。
「でも――これだけ似ているのに、今まで気にならなかったのかウガ?」
 セイルが当然の疑問を口にした。
 この男がシャナの兄だと、カケイは確認してはいなかったのだろうか。これだけ似ている。話し振りからすれば、二十年前、シャナとこのセゥが双子で産まれ、男子であるセゥが殺されたことも知っているようだ。まあ、実際は生きていたのだが。
 死んだと思っていても、これだけ似ているのだ。ならば捕らえたすぐにでも調べようと思うのではないか。
 カケイは答えなかった。
「シャナ一人じゃ無くて。シャナとセゥの二人が生贄になるか補佐につけば、二人とも助かるかもしれない。儀式をしなければ皆死ぬ、でも……シャナもセゥも失いたくないんだ。だから……懸けてみたい」
 切実な、声。
 それは、既にセゥとも話し合ったことだった。
 もしカケイたちが現われなくとも、何とか脱出し――そして、実行に移そうと思っていた計画。
 受け入れられるとは、思っていなかった。
 だが、意外にも――。
 まっさきに反応したのは。
 カケイ、その人だった。
「『契り』が二人生まれたという……それこそが、ア・クシャスの啓示だったのやもしれんな……」
 そんな呟きだった。
 どうしたのだろう。
 背後で聞いていたセイルにも分かる。
 それは、言い訳に聞こえた。
「ケセラ様だけじゃなくて……シャナ様も……どちらも、大切だったのですね?」
 マユラが声をかける。
 きっと――。
 知れば、ほんの少しでも、ヴィーダと同じ事を考えてしまうと思ったのだろう。セゥの協力があれば、あるいはシャナも助かる――しかしそれは、ケセラの遺言に反する結果を生むかもしれない。
 でも、揺れるほどにシャナも大切ではあったのだ。
「……それを、許すとは言えん。だが――もしアイリが逸脱し、オントが乗っ取ろうとするなら――それを防ぐために、手を貸してくれ。機を見て、ここから逃がしてやる。社にも手引きする。それ以上のことは俺には言えん」
 そう言うのが精一杯だったのだろう。
 結局、ヴィーダはそのカケイの煮え切らなさに納得がいかない様子ではあったが、セゥが、まずここから出て、社に入れるのなら手段を問題にしてはいられないと主張し、まずはカケイの話に乗ることになった。
 具体的な相談に移る。
 儀式までは、まだ日がある。
 逃げたということがばれてしまっては、アイリに対処が打たれるかもしれない。儀式を乗っ取りたいのなら、今の状態なら、なるべくはぎりぎりまで手順どおりにするはず。
 そこで、脱出は儀式前日の夜と決まる。
 カケイは引き続き見張りのためと残り、オントに牽制もしながら、前日の夜に社まで手引きする。そして、後は儀式の邪魔をする者達に対処する――もっと詳細な手段はその日までに決めていくことになった。
 長居しすぎても怪しまれるので、カケイ、マユラ、セイルの三人はそこで話を打ち切り、出て行った。
 カケイのその顔は最後まで、これまでと違い――冷たさよりも熱さを、毅然よりも迷いを現していて――まるで別人のようだった。
 それが本当のカケイの姿なのかもしれなかった。

*        *        *

 そして、日は過ぎていった。
 アイリは使者をよこし、安全のために二人を処刑するようカケイに訴えてきた。
 だがカケイはその要求を退けた上で、社にも戻らず集落に滞在し続けた。
 その理由は、こうである。
 話を聞く限り、また簡単に捕まったことといい、二人が首謀者とは思えない。首謀者を引き出すためには二人を殺すわけにはいかない。だからと言って逃がすわけにもいかないので、尋問と見張りのために残るのだと。
 マユラが語った、二人が首謀者でない理由を流用したものだった。
 一日、また一日と過ぎていく中。
 セイルもそれとなく気にしながら、オントの動向をうかがっていたのだが。
 オントは動く気配はなかった。山の一族の儀式が近づいているが、今回は洪水のことや仮面のこともあり、万が一のことを考えて社には近づかないようにと通達を出した上で、いつもどおりの族長としての生活を送っているようではあった。
 こちらと同じく、周囲の目を気にして、ぎりぎりまでは動かないのかもしれない。
 少しずつ、逃げるその当夜の流れを決めていく。
 そんなこんなでさらに日は過ぎて。
 話では、シャナはしばらく前より完全に外界とも接触を絶ち、アイリとも会わないで儀式のその日を迎えるのだという。
 嵐の前の静けさ。
 不気味なほど、何事もなく。
 儀式の、その前日を迎えた。
 カケイの話では――この日、アイリはシャナのいる奥の間に入る。
 そして次の日、儀式が行われるとのこと。
 そこから先の細かい手順は分からないが――祭具を使い、ア・クシャスは顕現し――その上で、『契りの娘』が自らの命を捧げて、その力を鎮める。
 そうやって、島の平穏を保つ――と、言われているのが、一族の儀式だった。
 今頃、アイリに連れられて……シャナはどんな心持ちでいるだろうか。オントはどうしているのだろうか。まだ動きがあったという話はない。
 こちら側の決行は今夜――その時を待ちながら、ヴィーダは思いを馳せていた。
「そろそろですね」
 そう言うのは、マユラである。彼女は怪我の手当てのためと、今ちょうどこの部屋の中にいた。もちろん偶然ではない。
 やがて。
 軟禁されている部屋の外からなにやら騒ぎ声が聞こえ始める。
「始まったか」
 セゥが言った。そう、それは計画通りのことだった。
 外で暴れているのは、セイルである。
 前回大人しくなって一緒に話を聞いたものの、納得がいかず収まりがつかないまま、セイルが再び強硬に押し入り、二人を締め上げようとする。
 もちろんそうはさせまいと、カケイは残っている数人の一族の者たちに、セイルを押さえつけるように指示し、自らも加わる。抵抗するセイル。
 そのタイミングを狙って。
 既に戒めを解かれている二人のうち――セゥの腕がマユラに伸び、抱え上げる。
 片腕は首に巻きつけるように。
「しばらく窮屈だろうが、我慢していてくれ。セゥ、締めすぎるなよ、力強いんだから」
 ヴィーダの台詞にセゥは、当たり前だ、と返事をする。セゥも以前よりは口数が多くなってきているような気がする。それはきっと、いい傾向だろう。
 扉を開ける。
 そのまま走り――外へ。
 まだ、セイルたちはもみ合っている。カケイがうまく足を引っ張り、苦戦させているのだ。
 だが当然――一族の者の一人が、気づいた。
「カケイ様っ!」
 叫び、セゥとヴィーダ、そして抱えられたマユラを指す。
「……近づくなっ! 近づけば、こいつの命はないぞっ!」
 ヴィーダが短剣を取り出し、セゥに抱えられたマユラの顔に近づける。
 セイルを置いて向かおうとした一族の者二人が、一瞬、動きを止める。
 それを見計らって、今度はまたセイルが暴れ始める。暴れているうちに見境なくなってきてしまった――という設定だった。
 不意を突かれ、その二人が体当たりを食らう。それを見て、セゥとヴィーダが背を向け、走り始める。
「お前らは、そいつを抑えておけ! 俺はあいつらを追う!」
 カケイが叫ぶ。
 セイルは大人しく押さえつけられる。
 少しの後。
 カケイは元の場所に戻ってくる。そして――一族の者に、取り逃がした旨を告げ――お前達はこのまま、集落に残っている残りの一族の者数名と森へ捜索に出ろ、と指示する。
 慌てて出て行く二人。
 後はセイルを助け起こし、逃げた三人も拾い出すだけだ。
 その三人も、逃げたと見せかけて近くに潜伏させている。
 後は、捜索をかいくぐり、迅速に、社へ――。
 合流した五人は、カケイの先導で山を登る。
 さすがに道を使うわけにはいかない。だがカケイにしてみれば勝手知ったる我が庭のようなものだ。
 深夜にはなってしまうが――社の裏――というよりは横手につく。
 先にカケイが様子を見に行った。
 そこからなら、カケイの私室が近いらしい。狭いがそこに全員を詰め込んだ後、改めてカケイだけが正面から社に入る予定だった。逃げた二人が侵入してこないよう、防備を固めるために戻ってきたといって。
 ほどなく、合図がある。
 まだマユラを抱えたままのセゥを先頭に、ヴィーダ、そして殿にセイルが続く。
 何の障害もなく。
 全員が、部屋の中にはいる。五人が入ってもなんとかなる程度の広さはあるようだった。
 不気味なほど、うまくいった。
 何より社周辺の警戒が弱いような気がした。
 カケイもそこを不審がる。
 人が少ないのだ。全くいないわけでは、もちろんないが。隙がありすぎる。
 それもそのはず――五人は預かり知らないことではあるが。
 同じ夜。
 湖の集落の、族長の――オントの家からは。
 オントの姿が、消えていたのだった。
 ほぼ、時を同じくして、彼も……社へと、アイリの手引きで入っていた。

 そして、朝を迎える。
 儀式の、その日の朝を。
 その日は、よく晴れた、いつもよりも、いっそう風の強い日だった。

*        *        *

「シャナ様。それでは、儀式の間へ」
 厳かに、アイリが告げる。
 真白の装束。質素な、全く飾りつけのない装い。それが逆に、これから行われる儀式の、その厳しさを体言しているかのようだった。
 そっと頷いて……シャナは、ゆっくりと立ち上がった。
 こちらも、ほぼ同じ、染めの無い、いや、白で染めているではないかというほどの、それほどの真白さだった。
 シャナが着るとそれは――死装束に見えた。
 アイリが先導し、二人は奥の扉をくぐっていく。
 その先は、通路がしばらく緩やかに下りながら続いていて、半地下となっている儀式の間へ続く。
 そう、聞いていた。
 だから、十数分も待った後、出てきて、追いかけてこればいいと。
 十五分ほどの時間が経つ。
 奥の間の、隅に置かれた木箱。
 そこから、二人が消えたその様を見ていた者が、顔を出す。
 特徴のある、水色の髪。
 メルフェニだった。
 彼女は、掃除の合間に見つけた床下へ抜ける穴から、偶然にも奥の間へと抜け――シャナと接触していた。
 そして儀式のこの日までの間。メルフェニは毎晩、シャナの話し相手になっていた。そこで、今日の日のことも詳しく聞いたのだ。儀式を覗くために、その流れも聞いていた。
 周りに誰もいないことを確認して。
 メルフェニは、二人が消えていった通路に向かい歩いていった。

 少し後――カケイの部屋で、朝を迎えた五人は。
 やはり同じく、奥の間へと向かっていた。
 カケイの後ろに、マユラ、ヴィーダ、セゥ、セイルと続く。
 五人も固まって動き回ってはさすがに人目につきやすいだろうが、カケイは警護の長だ。つまり指示を出すの立場ある。前もって、奥の間へと移動するための動きに従って、他の人間に見つからないよう――特に信用できる数人のところだけ通ることができるようにしていた。
 途中、その数人――実際のところ、三人だった――と合流しながら、奥の間へと向かう。
 本当ならその三人には周囲の警戒、けん制をしてもらう予定だった。
 だが、彼らが言うには――既に、何人もの護衛任務の人間が、所定の位置を離れているふしがあるという。
 ということは、おそらく。
「待ち伏せ、されてるウガ?」
 セイルが言うその台詞は、その場の全員の頭の中に浮かんでいたものだった。
 そして。
「カケイ様。社に一族以外の者を連れてきていただいては困ります」
 声が、前方からかかる。広間のような場所。
 その先にある扉が、奥の間に繋がっているらしい。
 ざっと――十人ほど。
 それが、アイリの息がかかった者たちなのだろう。一族とは言っても非戦闘員――子供などもいる。それを考えれば、そこそこの人数だった。
「お前たちこそ、ここで何をしている? 警護担当の長は私のはずだ。指示通り、所定の位置に戻れ」
 無駄だと知りつつも、カケイはそう言い放った。
「ア・クシャスを信じないわけではない。だが……一族が縛られる理由はないはずだ。オントは、ア・クシャスの力を利用すると言った。力持つ我ら一族がただ儀式のためだけに生きるのは間違っていると。いつ沈むかも知れないこの島で……島のために我らが縛られるのではなく、我らが直接島を支配すればいいと言った」
 相手の一人が語る。そして、武器を構えた。
「オントが約束を守ってくれるかどうか、分からないんじゃないウガ?」
 セイルがもっともなことを言う。
「だとしても――今の一族を変えたい……そう思ったんだ」
 そしてその男は飛び掛ってくる。ほぼ同時に、残りの者たちも動いた。
「だから、って、婆様を殺したりみんなを傷つけて良いわけないウガ!!!」
 前に出たのはセイルだった。相手を迎え撃つかのように前に出て、数人を手持ちの槍の柄で薙ぎ払い、吹っ飛ばす。
 さらに――。
 カケイが、同じように残りの三人より、セイルより前に出る。
 両手を広げて。
 風が――起こった。
 今、まさにカケイに触れんばかりのところにいた者も含め、相手が全て吹き飛ばされ、壁に打ち付けられる。
「すごい……」
 思わずマユラがつぶやく。
「一時しのぎだ……呪具も合わせて、ちと無理を……した」
 既に、カケイの息は荒い。
「先へ行け。ここは食い止める――同族の後始末は――俺がする」
 でも、一人では――と言いかけたマユラを、セゥが抱えあげる。走り出す。慌てて、ヴィーダも追っていった。
 ただ。
「手伝うウガ。みんなを傷つけたやつらを、退治するウガ!」
 セイルはそう告げると、槍を持ち直す。
 敵のうち、半分以上が起き上がってくる。先ほどの術は風で吹き飛ばしただけで、それそのものに破壊力はなかったようだ。
 まだ相手の誰にも致命傷は与えていない。こちらは、カケイ、セイルと……カケイが信頼を置いている一族の者三人……合計五人。
 相手の数は二倍ほど。
 それでも、やるしかなかった。

 今度は時間は少しだけ戻り。
 儀式の間――間と言うには、人工的なものを感じにくい、そこは――半地下で、奥になるにつれ、剥き出しの、削ってすらいないような岩肌で占められていた。
 ただ、広さは――恐ろしく広い。広間というよりも広場といったほうがいいほどのそこのその先は闇に溶け込んでいて――メルフェニには見通すことができない。
 そしてその闇の向こうからは、常に強い風が吹き付けていた。
 その風を受けるように――かろうじて見える位置ほどに、巨大な、古びた祭壇がある。岩を削ったものだろうか。それは、暗闇の中で――ぼんやりと光を帯びていた。
 メルフェニが入り込んだときには、既に二人は祭壇の前にいた。
 こちらに背を向け、つまり祭壇の方を向いて、かしずくような態勢。
 やがて、アイリがその態勢のまま脇に下がる。
 シャナが、懐から何かを取り出し、真っ直ぐ天井に向かい、両手でそれを差し出すようにする。
 淡く、その手が緑色に光る。腕はゆっくりと降ろされ、その光は、祭壇に据えられた。シャナ手から離れたそれは、より強い輝きを持ってあたりを照らし始める。
 シャナは立ち上がると、その緑色の中で、ゆっくりと動き始めた。
 微かに、声も聞こえる。
 やがてそれは舞となり、旋律となり。
 狂おしいほどに激しくなっていく。
 見惚れてしまうほどに、それは美しく、悲壮な舞だった。
 湖の儀式とは違い、それは誰に見せるものでもない。あえて言うなら――ア・クシャスにだろうか。
 それに連れて、緑の輝きは強くなっていき。白く峻烈な光となって儀式の間を覆っていく。あまりの輝きに、メルフェニは目が眩み、何も見えなくなる。
 このままではどうしようもない――と思っていると。
 突然。
 その光が、収まる。消えるのではなく、まさに――収束する。
 いつのまにか、シャナは祭壇から少し離れた、向き合う正面に立ち。
 短刀を、抜き払っていた。
 収束していく光はやがて、祭壇に置かれた石と短刀の先を結ぶように、光線となる。
 まるで、シャナと祭壇をつなぐかのように。
 そしてシャナが大きく、短刀を振り上げる。
 その足元には、石できていると思われる、台座のようなもの。
 そこに向かって、短刀を、突き刺す。
 驚くほど何の音もせず、吸い込まれるようにして、短刀のその半分が、台座の中に呑み込まれる。
 光線は、台座と祭壇とを繋ぎ、より一層研ぎ澄まされるかのような鋭い光となる。
 その様子を確認するかのように、深く息をつくシャナ。
 さらに、台座に置かれていた円盤状のものを持ち上げる。銀鏡――に、違いないだろう。
 それを、短刀の前に。
 光の道を遮るかのように、掲げる。
 鏡が、光を受けて。
 祭壇に向かって、その光が返っていく。
 拡散され、祭壇を包み込むように。
 風が、さらに強くなる。
 座って隠れているメルフェニですら、その場に留まるのがきついほどに。
 強くなる。
 風だけではない――。
 来る。
 何かが――。
 風とともに、何かが。来る――メルフェニの、存在そのものを、消さんとばかりに。そう……消えかけのろうそくの炎を、吹き消さんとするように
 寒い。
 寒い。寒い。寒い。怖い。寒い。寒い。怖い寒い寒い寒い寒い怖い寒い寒い寒い寒い寒い怖い怖い怖い怖い寒い寒いさむいさむいさむイサムイ――
 身体が、内側から凍り付いていく。
 身動きが取れない。
 圧し潰されてしまいそうになる。
 その場にいる。自分が自分であると保つ――それだけで、精一杯だった。
 必死に、耐える。両腕で自分を抱きしめて、震える歯を抑える。
 やがて。
 少しずつ、圧力が退いていく。風も、ゆるやかになっていく。
 でも、感じる。圧倒的な、何か。
 おそるおそる、頭を上げる。
 祭壇の上に――それは、在った。
 在る、としか形容しようがないもの。
 風をまとい、竜巻をまとい。
 翼を持った狼のような――巨大な――しかし、淡く輝くそれに、はっきりとした実体はない。
 だが、確かにそれは、そこに、在った――。
 鋭く光る、二つの――恐らく、眼だろう――が、シャナを見下ろしていた。
 呼応するかのように、シャナは手を広げ、見上げる。
 何かを悟ったかのような、諦めたかのような、悲しい瞳――。
 再度、ア・クシャスから、圧力を伴った、風が吹き付ける。
 迎えるように。
 シャナはそれに応えるように、一歩、足を踏み出した。
 と――。
 そのときだった。
 一つの影が、メルフェニが隠れていた場所とは離れた――アイリが控えていた辺りから現われた。
 堂々と、歩を踏み出し、シャナに近づき――広げた腕の、その手首を取る。
「捧げるのは、ちょっと待ってもらおうか」
 シャナの瞳が、驚きに見開かれる。
 その影は――見間違いようもない。オント――オント・ナ・ウスタ。湖の部族の、族長――だった。
 シャナの腕を掴んだまま、無造作に、台座に刺さった短刀を抜き放つ。
 ア・クシャスの姿が――激しく揺らぎ。
 また、その力が――風となって溢れだす。オントもそれに当たっているのか、顔をゆがめるが、だがその場を離れようとはしない。
 シャナが叫ぶ。アイリ――と。
 けれど、アイリは。
 ただ立ち上がっただけで。じっと、二人を見つめるだけだった。
 オントの行為が、予定通り、とでも言わんばかりに。
「待つんだ! オント!」
 そこへ。
 メルフェニよりも後方――奥の間から続く道の方から、悲鳴とも取れるような、悲痛な叫びがあがる。
 見ると――二人――いや三人の姿がそこにあった。
 見覚えのある、人たち。
 叫んだのは、ヴィーダだった。その隣に、男。シャナに似ているのが、ここからでも分かる。そして――小さな影。マユラ。
「止めてくれ。お願いだ」
 声そのものが、泣いているかのようだった。
「それで、止めると思っているのか……? 今まで話してきて、分かっただろう。もう……止めれんよ。と……邪魔もさせん。シャナがどうなっても良いというなら、止めにきても良いがな」
 シャナを引き寄せ、その首筋に短刀を当てる。シャナは抵抗もしない。いや――できない、といったほうがいいのだろうか。儀式で力を使い果たしているのか、半ばトランス状態なのか――表情も虚ろげだった。
「……権力だけでは、足りんのだよ。力だ。何が起ころうと、揺ぎないもの……絶対に消えない、永遠がいるんだ。もう、俺は捨てられはしない。捨てもしない」
 そう言うと、オントは、アイリを呼んだ。
 アイリが、ヴィーダ達と、オント、シャナの間に――立ちふさがるように。
 オントは少しずつ祭壇に近づく。
 短剣を抜かれ揺らいでいた光が、オントとシャナを包む。
「『契りの娘』からこいつに注がれるはずの力を逆流させる。祭具を通じて、俺はその力の奔流とともに、ア・クシャスと一つになり――ア・クシャスそのものになる。うまくいくかどうかは分からんが――ただ朽ち果てるよりは、ましだ」
 黒神石に、手を伸ばす。
「アイリ、あんたはそれでいいのか! あいつを止めることが、あんたのやるべきことなんじゃないのか!」
 ヴィーダが、再び――叫んだ。今度は、立ちふさがる、アイリに向けて。
 アイリは、微笑んだ。
 メルフェニは、気づいた。
 その顔が、悲しげな瞳が。
 集落で社についていきたいといったときに、最後に見せた、迷っているかのような、諦めたかのような、あの時のそれと――同じだと。
 なら――。ほんの少しの、アイリの迷いが、メルフェニを社に入れてくれた、それに現われているのなら。
 自然と、身体が動いた。
 隠れていたのは、ヴィーダ、マユラたちと、オントと、アイリ。その直線からははずれたところ。
 自分でも信じられないくらいに。
 さっきまで身動きすらできていなかったのに。
 メルフェニは、駆け出した。
 オントの意識も、祭具に――黒神石に集中していたのか。
 駆け寄るメルフェニに、気づかない。
 その手が、石に触れたとき。
 メルフェニは、オントまで、後、数歩というところまで近づいていた。
 信じられないものを見た、という表情で、オントがやっとこちらに気づき、首をもたげる。
 全力で走っていた、その勢いで。
 シャナに、ぶつかる。
 オントの手から、シャナの腕が離れて――メルフェニとシャナは、倒れこむ。
 祭具を二つ、手にしたオントは――祭壇に、もたれかかるような体勢になり――ア・クシャスから溢れ出る光が、力の奔流となって――オントを――襲う。
 黒神石がその手を離れ、転がり落ちた。
 低い呻き声が、あがる。それは確かにオントの声ではあるが……苦痛ともつかない、地の底から響くような――唸り声が。
 うずくまるオント。
 その瞬間を、セゥは見逃さなかった。
「オントぉぉぉぉぉぉ――!」
 剣を振り上げて、一足飛びに、襲い掛かる。
 風の呪術を使い、加速して、一気に。
 その剣が、振り下ろされて――。
 鮮血が、ほとばしる。
 その刃は。
 同じく呪術で移動し、オントの前に移動し――大きく手を広げた――
 アイリ。
 の、肩に――。
 深く、深く。沈み込んでいた。
 オントが、立ち上がる。
 それは――人と言って良いのだろうか。
 元々かなりの体格だったのだが。
 短刀を持っていた左腕の、その肩が、破裂せんばかりに。右腕に比べ、左腕は三倍近くに膨れ上がり――その先は――短刀と、一体化していた。手が膨れ上がった肉に飲み込まれるようにして消え、短刀の切っ先が変わりに繋がっている。
 顔も、その左肩に引き攣られるように腫れあがり、血管が浮き出ている。
 まさに――異形。
「こ、こんな……中途半端な……ぅがぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
 叫びながら、突進する。
 ヴィーダとマユラが立つ方向へ。
 止めようとする、ヴィーダが――マユラとともに呪術のような、力に弾かれる。
 オントであったものは――そのまま、通路へ消えていった。
 セゥが、追いかけようとする。
 だが。
 その足が、止まる。
 背後の、力の圧力を受けて。
 うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっ
 低い、オントのそれなどは比べ物にならないほどの、その声そのものが力を持った、唸り。響き。
 ア・クシャスの姿が――激しく揺らぎ……瞳は明滅し。
 風が波を持つかのように、強弱を変えながら激しく噴きつける。
 碧の光が、閃光となってあちこちに放たれる。
「暴走……しかけているわ……」
 切れ切れの声。
 アイリだった。
 気づいて、セゥが、肩に刺さった刀を引き抜こうとする。
 慌てて、マユラが止めた。
 下手に抜けば、余計に血が止まらなくなる。
 だけれども――マユラでなくとも。
 もう助からない――。そう思えた。
「……短刀がなくても……鏡と石があれば……二人いれば……あれは儀式のことだけれど……テセラも、言っていたし」
 それでも手当てをしようとするマユラに助け起こされて。
「……呪力の高い人間で……バランスを取れば……しばらく、抑えることは……できるかもしれない……から……」
 喋っちゃだめ、と言うマユラの言葉を聞かず、アイリは続けた。
「名無し……シャナを手伝って……あげて……こんなことを……引き起こした……わたしが言うのも……なんだけど……」
「アイリ……なんで……なんで」
 シャナが、血塗れになるのも構わずアイリを抱くようにする。
「ごめんね……」
 それが、最期の一言だった。
 ゆっくりと、アイリは、瞼を閉じた。
 シャナは、いたわるように、アイリの身体をそっと、寝かせる。
「……数か月前、会ったわよね……そのときは、仮面つけてたけど……兄さん……になるのかな……手を、貸して……ア・クシャスを、鎮めないと」
 立ち上がると、セゥにそう言う。
 途切れ途切れの言葉だったが、そこには悲しみを乗り越えようとする迫力があった。
 そして――その後。
 視線が、ヴィーダとぶつかる。
「ヴィーダ……また、こうして会えるなんて」
 シャナが漏らすその言葉に――ヴィーダは、少しだけ顔を緩めたが――すぐに、頭を振る。
「……再会は、後でゆっくり喜ぼう。今は、まだ、それより……」
 見上げるヴィーダ。
「そうね……まずは、これをなんとかしないと……でも、二人だけじゃいつまでも保てないかも……呪力の高い人なら、交代でなんとか……できる限りの人が、欲しいかもしれない」
 そう言って、シャナが鏡を、そして指示に従って、セゥが石を掲げる。
 淡い光が結ばれて――少しだけ、唸りが小さくなる。
「オントは、俺が追おう」
 さらに、後方から声がかかった。
 カケイが、現われていた。
 セイルに肩を貸してもらいながら。
 全身に、怪我を負っているようだった。慌ててマユラが近づき、様子を見る。致命傷はなんとか無いが、かなりの傷だった。追うとは言っても、とてもそんな状態ではない。
 セイルの活躍もあり相手の者達を倒したものの――そこへオント――あの化け物が現われて、とても止めることができず、逃がしてしまったのだという。
 短刀は、取り戻す――だからそれまでの間、頼む――と二人に言い、カケイはセイルの肩を離れて、踵を返そうとするが――ひざをついてしまう。
 最低限の手当てだけでも――とマユラが止める。
 オントも追わなければならない。
 しかし、ア・クシャスの暴走も抑えなければならない。外がどうなっているのかは、ここからでは分からない。儀式は終わっていないのだ。
 ひょっとしたら、集落も既に沈んでいるかもしれない。
 そうでなくとも、既に犠牲がでているかもしれない。
 完全に暴走してしまえば、終わりだ。
 とにかく、全力を持ってして、抑えなければならない――。

*        *        *

 そうして、内部で次々と事件が起きていた間。
 社の周辺は、二十年前とは比べるまでもないけれど、それでも数十人の島の民が集まり、それぞれに祈りを捧げるなどしていた。
 やがて、風が強くなり――社が淡く緑に輝く。
 どよめきがどこからともなく、漏れる。
 人々に分かるほどの、何か、得体の知れない圧力のようなものが高まって――閃光も走り、光が舞う。
 その光景に、ほとんどの人は地に、ひれふすようにしていた。ただただ、無事に終わるようにと。
 だが、光は収まることがなく。風は強く吹きつけたまま。
 どよめきが、畏怖のそれから――不安に変わっていく。
 逃げ出し、山を降りていく者もいた。
 そんなときだった。
 悲鳴があがる。
 民衆に紛れてなんとか儀式にもぐりこめないかと調べていたアルファードとカレンは、目を合わせると、どちらからともなく走り始める。その悲鳴の起きた方へ向かって。
 ほどなく。
 悲鳴がどこからあがっていたのかが、分かる。
 明らかに。
 異常な――ものが。
 周囲の人々が逃げ出していた。
 その中心に。
 人の――ようなものが。
 背は、アルファードよりも頭一つ以上高く。
 人の形を保ってはいるようだが――左肩が、腕が大きく膨れ上がり。その先に、刃のようなものが、埋まっているかのように見える。手は、その刃となっているかのように、既に見えない。
 左肩・腕以外も、膨らんだそれに引き攣られるようにして歪み、血管が浮き出ている。 かろうじて人の面影を残すその顔には、アルファードも、そしてもちろんカレンは見覚えがあった。
 オント・ナ・ウスタ――。
 族長――。
「こんなところで、何をしている……?」
 呆気に取られていると、アルファードに話しかけてくる者がいた。
 誰だ――と振り向くと。
 シャオ・フェイテンがそこにいた。アルファードもそれほど面識はないが覚えてはいたし、シャオもこちらのことを、原住民の村に特例で滞在を許された人間、ということで覚えていたらしい。
 何でも、儀式の、原住民のことをずっと調査していたらしかった。
 と。
 くぐもった声で、オント――であろうものが、周囲に何かを叫ぶ。すると、周囲の逃げていなかった民衆の中から、十人ほどが、おそるおそるオントに近寄る。
 それらに何かをさらに告げると――その者たちを連れて――山を降りようとしていく。
 道なき山の中を消えていく。
 方角くらいなら、アルファードにも把握できる。
 その先には――自分たちの住んでいる――島外の者達の――村がある……はずだった。
「……このぉぉ……力ぁがぁ……制御さえ……できればぁ……神に、すべてを……支配……えいえんの、生……あれを……手にぃ……ぃぃぃぃ」
 そんな――声が。いや、既にそれは……叫びとも、唸りとも。人の声と獣の声が混ざったような、低く響く、地を揺らさんばかりの音。
 それに続いて、哄笑が響き渡る。天に向かって、天を衝かんとばかりに。
 狂っている――アルファードの脳裡に、そんな言葉がよぎった。
「魔力の……中和を狙っているのか……? そんなようなことを言っていたような」
 シャオが言う。
 難民村から離れがちで、しかもアルファードには縁のなさそうな系統の話題だ。だがなんとなく気になって、聞いてみる。
 シャオはついでに、と難民側の状況も含め色々と語ってくれた。
 儀式が失敗したときのため、魔力の高い者の協力を得ての魔法防衛の計画が立てられていること。また、先月の代表者会談の際に、タウラスが魔力を制御し触れた者の魔力を無効化したりする石をオントに見せたことがあるらしい。
 そして今、オントは、制御がどうのと言っていた。それはアルファードも少し聞こえた。
 おそらく――狙いは、その石。

*        *        *

 ア・クシャスの山は――社は、いまだ緑に輝き、風は強く――。
 あちこちで竜巻のようなものも起こっていた。
 呪力をある程度以上持つ者は、今までとは違う、明らかな違和感を感じていた。
 そして。
 大地が揺れた。
 さらに、空は分厚い灰色の雲が覆い始め――雪ではなく――冷たい雨が、降ってくる。
 それは、豪雨と言っていいほどのものだった。

 集落は、混乱に陥っていた。
 豪雨に強風、さらに地震が重なり。
 さらに――集落内のどこにもオントがいない。いつのまにか、姿を消していた。指示を出す者がおらず――混乱が起きていた。
 避難のためになるべく集まろうにも、先導する者がいない。
 テセラも、ルビイ、フェネア、アディシアや他数名の子供の保護者として、ホームステイで難民村に行ってしまっている。
 だがそれでも、やがて、人々を取りまとめようとする者が出てきた。
 ラトイが――そしてアルマが。
 空き家状態の族長の家など、少しでも大きい家に人を集め、集まれない者たちもお互いに連絡を取れるようにした上でなるべく固まっているようにと指示を飛ばす。
 そして――。
 外海の水位がさらにあがり――風にあおられ、高波が起こり。
 津波が、島を襲う。
 集落も、村も無事ではあったが。
 津波は――島の、さらに一部を――海の中へと飲み込み、沈めていった。
 まだ、海は荒れ、風は強く。
 さらに、津波が、集落を、村を、いつ襲うかも分からなかった――。

RAリスト(及び条件)
・a6-01:社に行き、ア・クシャスの暴走を食い止める/その他儀式関連で何かする
・a6-02:オントを追いかける
・a6-03:集落で住民を指揮/手助け/その他何かする
・a6-04:難民村へ行く/難民村で何かをする
・a6-05:その他の島内の場所で何かする

※マスターより
こんにちは、鈴鹿です。
第5回リアクションを公開いたします。
難民側リアクションもご確認ください。

第6回は5回直後から始まります。
その前提でアクションをお願いします。

またいくつか、情報格差について言及をいただきましたが、私個人としては、アクションに対しての結果と言う形でリアクションを発行している以上、PC、PLともに、進むにつれ情報格差は出てくるものと思っています。それを埋めるための交流・相談だと思います。まず、情報を得ようとしてみてください。それがきっかけで、連携を取ったアクションにしようということになるかと思います。その際、どうしても交流すら拒む方等いましたら、それはこちら側としましてもなんらかの対策を考えなければ、と思っています。

次回はとうとう、最終回です。
最後ですし、今まで以上に交流・情報交換もしていただいて、ぜひ、力の篭もったアクションをお願いいたします。