アトラ・ハシス

第二回リアクション

『契約』

鈴鹿高丸

 木々は朱に黄色に染まり、その色とりどりの葉は次々と舞い落ちていった。
 続いて舞いはじめる雪の前触れのように降り重なって。
 そして、極彩色に彩られた山は色を失い。
 ちらほらと、冬を事報せるように、白い花が空より降りてくる。
 ――地は、もうまもなく、真白に姿を変えるだろう。
 落ち着かない人々の騒ぎをよそに。
 冬が、始まろうとしていた。

*        *        *

「率直に聞きたい。時間はあるか? 実際――儀式とは、いったいどんなものなんだ?」
 それは、カケイらとの探索から戻ってきた後だった。
 アガタ・ナ・ベッラはカケイとオントに了解を得て、ケセラと面会をしていた。ケセラは乗り気ではない様子だったが、探索に協力してくれている者の願いである。カケイの口添えもあったのか、少しだけ時間をもらうことができた。
 歳の所為だろうが、虚ろにすら見えるケセラの瞳にじっと見据えられる。無言故の迫力。
「つまり……いつから始まり、どのような時に行い、どのような形式をもって行われてきたのか? ってことだ。それに――契りの娘ってのは、儀式が終わるとどうなるんだ?」
 しばらく待っても返答がないので、矢継ぎ早に質問を重ねる。
 ――再び、間が。
 答えてくれる気はないのだろうか。そうアガタが思ったとき。
 おもむろにケセラが口を開きはじめた。
「儀式とは……ア・クシャスに島を守護してもらうために絶対に必要なのものである。儀式の起こりは定かではない。わしなど知らぬ、遥か昔からのことじゃ。二十年に一度、ア・クシャス様に、契りの娘を差し出す。契りの娘は――儀式の後、最初に産まれた娘じゃ。その身体にはしかと、ア・クシャス様の証が刻まれておる。もちろん、契りの娘は、ア・クシャス様の袂へ赴くのじゃ。二度と戻ることはない」
 つまりは――生贄になると、そういうことなのだろう。今の『契りの娘』はシャナといい、もう数ヶ月で二十歳を迎える――その日が、儀式の行われる日ということだった。
 また、儀式に携わることができるのは山の一族の数十人の者だけであると。
 三種の祭具、紅玉の短刀、銀鏡、そして手許に戻ってきた黒神石はその儀式の際にア・クシャスを呼び出し、接触するために必要となるらしい。
 この辺りはカケイに聞いた話と同じだった。ただ、三種の祭具はそれぞれに力を持つ物ではあるが、そろえたところですぐにア・クシャスを呼べるというものではないということだった。それなりの手順がやはり必要らしい。
「――やはり、生贄になるのか……それで、誰も今まで儀式について不信や妨害・反対はなかったのか? 儀式が邪魔されたとして、儀式ができなかったら……無くなったら、どうする? 俺が、邪魔したとしたら」
 ここまで聞いたら同じと、さらに思っていたことを打ち明けるアガタ。
 すると。
 目が、光ったかと錯覚した。
 虚ろにも見えるその眼から放たれる光が、一瞬だけ増して。眼光に射すくめられて、身体が硬直する。
「――これまでに、そんなことなどはない……これからもじゃ。わしが、そんなことにはさせん」
 冷たい刃を突きつけられるような、そんな感覚。だが、それは一瞬で消え――
「お主は、触れたことがないから言えるのじゃ。ア・クシャスの存在に……あの恐怖と畏敬を感じれば……そのようことは言えまいて」
 目の前に感じるのは、ただの年老い、疲れ果てた者の気配だけだった。
 と、そこで部屋の扉がたたかれる。
 話を止め、扉の向こうに促すケセラ。すると、山の一族と思われる女性が入ってきた。アイリか、と一言ケセラがつぶやく。名前なのだろう。
「――お人払いを」
 アガタを一瞥しただけで、そう言う。かなりの美女だったが、怜悧な、と評するのがぴったりとくる、そんな印象しか受けない。
「他にも話があるならば、また来るがいい。お主のその率直さは嫌いではないわ」
 意固地になってその場にとどまっても、何か聞けるわけではないだろう。黙って部屋を退出するアガタだった。
 扉を後ろ手で閉める。
 聞くつもりはなかった。
 しかしアイリも慌てていたのか。アガタがその場を立ち去ろうとするその前に、声が聞こえてきてしまう。
「――シャナ様が、社を抜け出されました。気配を隠しておられるのか、いまだ見つかっておりません……」
 それは衝撃の一言だった。
 先ほど聞いたばかりの名――契りの娘、シャナ。あまりの驚きに、大きく足音を立ててしまう。
 すぐさま、扉が開く。
 目の前には先ほどの女――アイリがいた。
「……聞いたわね……まあ、聞いてしまったものは仕方ないけれど……くれぐれも、誰にもこのことはしゃべらないように。口外したら……分かるわよね?」
 もちろん、ただではすまない、ということだろう。
 今度こそ、黙ってその場を立ち去るアガタだった。

*        *        *

 そして。
 アガタが追求もできず、それからどうなったのか気になるままもどかしい日々をすごし――一週間ほどが過ぎた、ある早朝のことだった。

「たまには、早朝の散歩ってのも良いもんだねえ」
 ヴィーダ・ナ・パリドは、傍らの影に声をかける。長身のヴィーダと同じくらいの背丈だが、ほっそりとした身体付きと胸のふくらみを見る限り、ヴィーダと同じく女性であるのは間違いないだろう――ただし、顔には防寒用のフードをすっぽりとかぶっている。
 いい、と言いながらも、ヴィーダは両手を自らの肩にまわし、一つ、身を震わせる。
 季節は既に、冬。まだ本格的に積もってはいないものの、時折、雪の姿も見かけるようになっていた。
 風も、身を刺すように冷たい。まあ冬が寒いのは毎年いつものことではあるし、それなりに暖かい格好もしているが、それと我慢ができるかどうかはまた別だ。
「ごめんね……無理言っちゃって」
 すまなそうに、傍らの女性がつぶやく。ちらりとフードから顔が覗く。
 美貌だった。中性的な容姿ではあるが、整った目鼻立ちと、憂いを帯びた瞳。同性であるヴィーダですらも、気を抜くと、一瞬だけでも惚けてしまいそうになるほどだった。
 フードにはもちろん、顔を知られては困るからというのもある。だがそれだけではなく――恐らく、フード無しで出歩けば無用に衆目の視線を集めてしまうに違いないから。
 彼女の名は、そう、シャナ・ア・クー。
 山の一族の者――ただの、ではない。
 『契りの娘』、その人だった。
 出会いは偶然だった。山の一族の住む社へ行き、あわよくば祭具の置いてあった現場でも見せてもらえないか、そうでなくても一族の誰かと接触できるか、せめて周辺の捜索でもできれば――と考えていたのだが。
 何の因果か、いつのまにか隣にはその『契りの娘』がいる。
 声をかけてたのは、話を持ちかけてきたのはシャナの方だ。しかし、それは打算、取引、それだけではない。ヴィーダ自身の意志だ。
 騒ぎに乗じてか、一度外の世界が見てみたいと言って抜け出してきたこの同い歳の娘の寂しげな瞳を見て、放っておけなくなってしまったのだった。
「何言ってんだ、気にするな。しばらくは、山の一族の人間にでも顔を見られたら終わりだし、そのフードと、後出歩く時間は制限されるだろうけど、それだけは勘弁な」
 どのみち、フード取って歩いたら目立ってしょうがない、という言葉は寸前で飲み込む。この娘、一般常識はかろうじてあるようだが、自らが目立つ容貌だとか、そういった感覚的なところはいろいろと「ずれ」があるらしい。この数日間でヴィーダはそう感じていた。
 集落に戻ってから一週間。数日の約束だったが、いつのまにかあっという間に日々は過ぎていた。一人暮らしのヴィーダには、それなりに楽しい生活でもあった。
 今のところは、誰にも気づかれてはいない。元々シャナの顔が知られているわけでもなく、ちょうど今は他部族の人間もかなりの数混ざっているから、知らない人間が歩いていても誰が気に留めるわけでもなかった。
 また、念のためシャナは自分の呪術的な気配を断ってもいるらしい。カケイやケセラ、それに他にも山の一族の一部の者ならば、然るべき術で同じ一族の者の気配を探すこともできるとのことで、その対策だという。が、呪術に造詣があるヴィーダでもどんなものか想像がつかない。話によると山の一族全員にそれほどの力があるわけではないが、それでもその全てが呪術師である一族。やはりその名とノウハウは伊達ではないらしい。
 一週間経ってはいるが、それほど外に出ている時間が作れているわけではない。気分転換の散歩では、あちこちを見るその様子はそれだけでも楽しそうだ。そういえば、生まれてこの方、社から出たことなど数度しかなかったとも言っていた。
「――っ、隠れてっ」
 柄にもなくゆったりとした気分に浸っていたヴィーダに、シャナから鋭い声がかかる。と同時に、袖が引っ張られた。
 気づく。
 向こうから歩いてくる長身の影――ヴィーダも最近は見慣れた、山の一族の男。シャナの世話役であるケセラのその息子、カケイだった。主に祭具捜索を取り仕切っているが、シャナの行方不明を知らないはずもないだろう。
「気づかれたかも……」
 シャナの声が不安に包まれている。だが、今さら物陰に隠れるのも明らかに挙動不審だ。
 少し歩を進めながら、祈りながら、通り過ぎる。
 すれ違う。
 大丈夫だ。
 ほっ、と胸をなでおろし、シャナに声をかけようとした。
 が。
 横を向いたヴィーダを視界は、とてもシャナのものとは思えない筋肉質な腕でふさがれていた。すばやく、その腕がシャナの手首をつかむ。
「まさか、集落の中にいらっしゃったとは……気配も完全に消されて。少々私も侮っていたようですね……シャナ様」
 カケイの落ち着いた低い声は変わらず。まるで宣告を受けるようにシャナとヴィーダに降り注ぐ。
「まずは、こちらへ」
 そう言うカケイに、しかしシャナは、小さく、しかしはっきりと首を横に振った。
 フードがずれて、その顔が露になる。態度だけではなく、表情にも否という決意が明らかに見えていた。
 それを見て、ヴィーダは頷いた。どうするか。決まっている。
「事情は知ってる。だけど、無理矢理ってのは感心しないな」
 ヴィーダが、間に割って入る。カケイの手を払うことは非力なヴィーダではさすがに無理だけれど、それでも、間に割って入ることに意味がある。
 カケイも『契りの娘』相手に無理はできないのだろう。向かい合ったまま、三人の姿勢が硬直する。
 仕方なしに、カケイはそのまま人を呼んで、ケセラを連れてくるように伝えた。

 ほどなくして、族長オントがケセラを連れてやってくる。
 オントか――。
 ケセラに伝わればこうなるのは分かりきっていた。分かりきってはいたが、やはり――オントに迷惑をかけるような事態になってしまっている。
 それは、本当に辛い――だけれども。
 引けないことだってある。
 シャナとともに、毅然として二人を迎える。
「シャナ様! 大丈夫ですか? お怪我は、ありませんか!? この者ですか…シャナ様をそそのかしたのは」
 それが、ケセラの第一声。背後のオントがなだめようとするが、全く意に介しない。
 もうまるで、ヴィーダが一方的にシャナを連れ出したと言わんばかり――いや、実際そう断言していた。
「違います! この人は私の頼みを聞いてくれただけ。私が、全て自分で決めてやったことで」
「話は後ほど聞きます。カケイ、シャナ様を社にお連れしなさい」
 シャナの反論は最後まで続かなかった。ケセラの強い声にかき消される。
 その声に、即座にカケイが動いた。無言のまま、先ほど放した腕を再度、取る。
「カケイ!! あなた、どっちの味方なの!? 私より……いえ、契りの娘より、ケセラの命令に従うっていうの? 手を、離しなさい!」
 シャナが叫ぶ。だが、カケイの反応はない。ただ無言で、その変わらないままの表情を向けるのみ。
 シャナの顔が、悲痛にゆがむ。それはまだ、ヴィーダの見たことのない表情だった。
「お前ら! もうちょっと、シャナのことを考えてやれないのか? 俺は俺で自分の意志でシャナをここまで連れてきた。だけどな……シャナのちょっとくらい外の世界を見てみたいってそんな気落ちも分からないのか!?」
 ヴィーダも間に入って叫ぶ。全く収集のつかない事態。騒ぎと声を聞いて、人も集まってくる。
「しばらく――ここにいてもらったら駄目ですかね、ケセラ様」
 最後に発言したのは、オントだった。いつも、ここぞ、というときに効果的な間で入ってくる。だからこそ、族長なのだろうが。
「どのみち、社に祭具はないのでしょう? 社にシャナ様を戻したところで、また逃げ出されないとも限らないいし、外からの不測の事態にも備えないといけない。なら――社を守るための人員もこっちに呼んで、しばらくこちらでシャナ様をお守りいただいては。祭具が見つかるまでは――その方が安全だとはいえないですかい?」
 場が、静まりかえる。
 ある意味無理矢理とも言える提案。だがしかし、筋は通っている。また、このまま事態を収集させるのは大変だという認識も各人にあったに違いない。
 考え込むケセラ。シャナとヴィーダも、とりあえず矛先を収め事態の推移を見守る。
 そして――出された結論は。
 シャナも、ケセラが仮住まいしている家に置き。
 ただし――その代わりとして、山の一族のほとんどの者が、護衛・もしくは祭具探索のためと称して集落に降りてくることとなったのだった。
 ヴィーダには一応お咎め無しとのことだったが、明らかにケセラの心証は悪くなったらしい。家には近づくな、と強い調子で言われる。
 だがシャナは、去る間際、ヴィーダの耳元にささやいた。
 気にせずに、また会いに来て、と。
 貴女は私の最初の友達、なのだから――と。
 少し、こそばゆいヴィーダだった。

*        *        *

 そんな騒ぎからもさらに数日が過ぎて。
 祭具探しは、黒神石が見つかって以来、ようとして進んでいなかった。
 シャナが集落に滞在することになって以来、多少なりとも山の一族の捜索人員は増えている。それでも、探している物が物である。呪術の力を感じることでも出来ない限り、砂漠の中から石を探すようなものである。
 それでも、手がかりは少しだけ。仮面をつけた黒装束――いや、その一団か。とにかく、それらが何らかの関わりを持っているのだけは間違いないはずだった。
 ただ――その黒装束も、前回島外の難民とやらの伐採地で襲われた者が出て以来、なりを潜めていた。
 そんな状態だから。
 ラルバ・ケイジはいまだ集落内に軟禁状態にあった。軟禁とは言っても、集落内であるならある程度出歩くことは許されてはいたが。
 怪我の治り具合は相変わらず、順調だった。もう既に、歩く分にはさほど問題もない。ただ、激しい運動はまだ無理ではあるが、リハビリもかねて集落内を出歩いている。もちろん、逃げ出さないように監視はついているが。
 たださすがに、ラルバの存在は集落の中に広まっていた。最初に運び込まれたとき以上に、集落を歩けば人の目につき、好奇の視線を浴びる。
 中には明らかに嫌悪の視線を向ける者もいた。だが――ちょっかいまではかけてくるものはいなかった。常に山の一族の者が二名ほどついていたし、何より――
「どーんと、任せておけばいいウガ!」
 厚い胸板をどーんとたたいて語るのは、セイル・ラ・フォーリー。
 ウガウガと歌いながらも、監視と称して漁のための三叉の槍を持ってラルバの側についているこの大男を見て、近づく者はなかなかいなかった。

 それでもこの時期にここまでとは驚異的といえた。やはり怪我の初期の回復が異常だったからだろう――それが、黒神石の力なのかもしれない。
 ほとんど付きっきりで看護をしている、リエラ・ナ・スウラはそう思っていた。
「……逸る気持ちはあるでしょうけど、逃げるのは、もう少し待って。疑われたままで村に帰れば……村同士の争いにまで繋がるかもしれない。皆が祭具の探索を続けているから……きっと、直にあなたが犯人でないことがはっきりします。それまで……お願い」
 手当てをしながら、語りかける。
 リエラはそれでも、手は尽くしていた。ケセラに対して、再三ラルバを解放してあげるようにお願いはしていた。だが、オントを通じて返ってきた答えはいずれも「否」だった。やはり、他の祭具の行方が分かるまではいかんともしがたいらしい。
「しかし、早く、ミコナたちに」
 ラルバには妹が二人いるらしい。ミコナとは、そのうちの一人の名である。
 連絡をしたいのだろう。妹のいるリエラには、その気持ちも痛いほどに分かる。
 だけれど。
「逃げてしまえば、問題はあなただけにとどまりません。あなたの仲間、はては妹さん達をも危険に巻き込んでしまいます。それほど、奪われたものは大切なものなのです。それは、私達個人の意見では変わらないほどに……ですから、どうか勝手な行動は慎んでください」
 その気持ちを汲んだのか、同じ思いでいるのか。傍らにいた、その当の妹――マユラ・ナ・スウラが補足するように語る。
 マユラの言うのがもっともなのは、ラルバにも分かったようだった。言いかけた言葉も飲み込み、すまない、と一言謝る。
「でも――気持ちはよくわかります。妹さんたち……心配されているでしょうし。ですから……手紙、書いてみませんか? 話によると、タウラス、という方が少し前にこの集落にいらっしゃったようです。その方をラルバさんが信用できるというなら、その方に――手紙をお渡しします。妹さんたちに、無事を報せる手紙を」
 しかし、心配のあまりリエラが発したその言葉は、再びラルバに火をつけてしまう。
「な……村の人間がここへ来たのか!? ……タウラス……覚えがある、その名前はっ……くそっ。やっぱり、会うこともできないのか!?」
 リエラに掴みかからんばかりに詰め寄り、そこで相手に非があるわけでもないことに気づいて手を下げ、謝る。だが、もどかしい気持ちは消えはしないだろう。
 もう一度、リエラが手紙について促すと、そこでようやくラルバは渡された紙と筆を手に取り、慣れない筆に苦労しながらも手紙を書き始めた。
 ほどなく、手紙が書きあがる。
 もちろんリエラもマユラも覗き込むようなことはしなかったが、ラルバは逆に、できあがった手紙をリエラたちにも見てもらうように言う。
 おかしなことは書いていないと、それを確認しておいて欲しいということだった。
 妹たちに無事を伝える内容。だけれど、自分のことはただ、無事だからとだけ。
 そこから先は、ただひたすら、妹たちの心配をする文が書き連ねられている。
 一文字、一文読み進めるごとに、切々とした思いが迫ってくるようで、胸を締め付けられるような思いは強くなるばかりだった。
 ざっと読まれた後、きっちりと封をして、それはリエラに手許に渡る。
「後は、タウラスさん次第ですね……おそらくもうすぐまた来るだろう、という話ですけど。うまく、いくと良いですね、ほんとに……」
 リエラが心から心配もしていることも分かっているのだろう。
 ラルバは目線をリエラとしっかりとあわせ、頷き返すのだった。
 なんとか、できないのかな……
 そんな二人を見て、マユラは、あることを考えていた。

「では、そういうことでお願いします。姉が渡した手紙でラルバさんがこちらにいることは分かってしまうかと思いますが、でもくれぐれも、妹さんたちを刺激しないようにお願いしますね」
 マユラは、念には念を、とばかりに目の前の二人に釘を刺す。
 二人――ルビイ・サ・フレスと、テセラ・ナ・ウィルトは、なぜかにっこりと微笑むマユラの背後に黒いオーラのような迫力まで感じて、ただこくこくと頷く。
 二人はこれから、島外からやってきたという難民のところへ視察に行くところだった。
 それを知っていたマユラは、早朝出かけようとする二人を呼び止め、ラルバの妹たちに会い、その様子を見てきてもらうよう頼んでいたのだった。
 目的は二つある。
 一つはもちろん、ラルバに妹たちの様子を伝えること。
 もう一つは――妹たちに、ラルバの人相を聞いてくること――だ。
 意図は他でもない。万が一、万が一だが……ラルバがその名を騙る偽者だという可能性がないわけではない。聞いてきた外見と一致しなければ、それは……だがこれは可能性としてはごくごく少ない。そうまでして名前を騙る意味が考えにくいから。
 でも――。
 姉様が危険にさらされるような要因は、少しでも取り除かないと。
 それが、最優先だった。

*        *        *

 何人かずつに分かれて出発する探索隊。そのそれぞれに、薬を作ってきたマユラらがそれらを渡していく。
 もう既に、それは日常風景となり始めていた。それは、捜索する当人たちにとってはとてもとても、苦々しいことなのだが……。
 朝、探索隊の出発を見守ると、集落はいったん落ち着く。準備し、溜め込んだ備蓄で冬をすごす。継続的にしなければならないことはあるが、いざ冬に入ってしまえばできることは少なくなる。
 多少の燃料集め、食料集めをするぐらいだ。アディシア・ラ・スエルもそういった手伝いを日課にしていた。冬の寒さは堪えるが、きっちりと防寒対策をしておけば、子供のアディシアでもそのくらいの作業はできる。
 だがもう少し幼い子供たちになると、冬は退屈で仕方ない。できる遊びも限られてくるからだ。そんな中――子供たちの相手役は、カタラ・ナ・イスハークがかって出ていた。
「カ、カタラ、皆の面倒を見てるだよ? あ、遊んでる訳じゃないだよ?」
 そうは言っているが、どう見ても相手をしているというより――むしろ、相手をしてもらっているようにしか見えない。
 ようは、一緒に遊んでいるのである。
 見た目こそ最初は子供たちに怖がられるが、精神年齢はほとんど変わらない。逆に子供にいいように遊ばれているようにさえ見える。
 どちらにしても、子供たちの親としては助かっているので問題はないのだが。
 テセラも難民側の集落へ赴いていたとき以外は、比較的に負担は少なかった。外へ出て接触することが少なければ、異部族同士の衝突や問題ももちろん起きにくいからだ。

 そんな日常の、ある日。
 その日も、雪が降っていた。
 吹雪いているわけではなかったので、いつも通り、カケイたちの探索隊は森へと出発している。
 いつも通りに一日が始まる。
 そして、いつも通りに一日が終わる。
 はずだった。
 降りしきる雪の中。
 昼でもなお暗い中。
 それらは、唐突に現われた。
 人の少ないこの日、この時間を狙ったのか。
 今回は黒い服ではなかった。周囲の雪に紛れる、真白な装束。
 ただ、それと同じだと分かるのは。
 ただ無造作に、視界を確保するだけのための穴が二つあいた、それだけの仮面。
 数にして――一、二、三――四人。
 取り囲むその場所は。
 ケセラとシャナが滞在するその家だった。
 しかし、そこには家の外に常に見張りがいるはず。
 だが外の見張りは――既に、気絶させられていた。
 山の一族の者を騒がずに気絶させられるとすると、やはり相当の手練れであるのだろう。
 そのままなだれ込むように、押し入る。
 まるでその中は下調べ済みだと言わんばかりに、迷いなく進む。『契りの娘』シャナの部屋を無視して、その向かいの扉に手をかける。
 そこは、ケセラの部屋だった。
 声を出さぬままうなずきあうと、ぎらりと光る大小それぞれな刀剣を取り出し、扉を開け放つ。
 が――。
 足並みは、そこで乱れた。
「婆だと思って、油断したか。呪の気配を消そうと、衣擦れの音、足音――シャナ様のお側につく者として、今だ感覚は鍛えておるわ」
 背後に、ケセラが現われる。四人の集団は、とっさに部屋の奥に入り込み、ケセラと正対する。武器を構える。
「狙いは、シャナ様ではなく、石か。逃げられるとお思いでないよ……! 襲撃じゃ! 誰か、出あえぇいっっ!」
 最後のその声には、呪術の力がこめられていた。
 風にのって、集落中に広がる。
 響き渡る。
 同時に。その声に弾かれるようにして。
 四人の仮面が、一斉に飛び掛る。
 さすがに四人一度は無理と判断したのか、老人とは思えない俊敏さで数歩後ろに退く。
「どうしたっ!? こいつらは……?」
 飛び込んできたのは、ちょうど再度ケセラに話を聞こうとやってきていた、アガタだった。武器は持ってきていないが、その巨躯は相手を威嚇するには十分だ。
 ケセラをかばうように割り込んだアガタ。
 それを見て。
 咄嗟に仮面の一人が体当たりをかけてくる。
 その手には、刃が煌く。
 避けきれない。
 ケセラとともに、その場に倒れこむようにして避けるが――刃がわき腹を浅くかすめる。
 そして。
 扉をふさぐようにしていた二人が倒れこんだ隙を狙って、仮面の者たちが殺到し、逃げていく。これ以上は状況が悪化するのみと判断したのだろうか。
「ええいっ、見張りの者たちはどうしたっ!」
 起き上がったケセラが、今度はただ単に叫ぶ。
 だが応答はない。
「な、何があったの!?」
 今さらながらにシャナが現われて狼狽した声をあげる。実は向かいの部屋にいたのではなく、抜け出してヴィーダと会っていたのだが、ケセラの呪術の声を聞いて慌てて戻ってきたのだった。ただ、もちろんそんなことはおくびにも出さない。
 仮面の者たちの逃げ足は速かった。既に、その姿はない。
 だが慌てて、集落の中で動ける者たちが仮面の一団を追っていく。その中には探索にでていなかったセイルや、怪我を押さえて走るアガタの姿もあった。
 オントにも、すぐさまこのことは伝えられたが――またもや、手がかりもないまま逃がしてしまう――そうなってしまうと思われた。
 だが……幸か不幸か、事件はこれで終わらない。

 さかのぼること数時間前。
 メルフェニ・ミ・エレレトは、疲れ果てていた。
 こっそりと集落を出てきて半日。
 目的は一つ。
 難民の集落を見に行くことだった。
 だが、道連れはいない。
 メルフェニ、ただ一人である。
 冬に入ったこの時期に、子供一人で森を出歩くなどあまり……というか、どう考えても危険な行動である。
 ただ、メルフェニの考えもそこにあった。
 ――難民のところへ行きたい、と言っても、きっと止められる。
 それならば、止められないように、置手紙だけ残して出てこればいい。
 いざとなったら、空を飛べばいいし。
 防寒対策に大きな外套も着込んできたし。食料にって、お菓子も持ったし。
 大丈夫だと思っていた。
 けれど。
「雪まで降ってくるなんて……これじゃ、飛べない……」
 視界が悪くて、危なくて飛ぶことができない。
 しかもだんだんと地にも積もってきて、歩きづらい。
 元々メルフェニは子供の中でも体力のあるほうではない。
 だんだんと、足が重くなってくる。
 体力の衰えとともに、大岩などを越えるのに使っていた飛行術も、使えなくなってくる。
 難民の集落――は、まだ遠いはず。
 だいたいの方角と場所は聞いているが、メルフェニはその辺りまで行ったことはない。
 これは……無理かも。
 まずは一旦帰ろうと、決める。
 これまで向かっていた方向と反対に振り向き、歩を進め始める。
 いや、進め始めようとした、そのときだった。
「ちょ、そこのお嬢さんーー待っておくれっスーーー」
 いきなりの声。
 嫌な予感がする。
 既視感。
 以前にも、こんなことがあった。忘れるはずもない。相手の声の調子は全く違うけれど。
 振り返らない。
 一目散。
 メルフェニなりに、精一杯に走り始める――が。
 やはり相手のが速いらしい。足音が急激に迫ってくる。
「きゃあぁっ!」
 慌てすぎたのか。足がもつれて、転んでしまった。積もり始めた雪にまみれてしまう。
 近寄ってくる。
「ひぐっ、あ、あのっ、わ、わたしは美味しく無いです、ごめんなさいごめんなさい食べないでこれさしあげますからっ」
 懐から慌ててお菓子を取り出して差し出す。相手の顔など怖くて見れないので、下を向いていた。
「あ、あのさ。落ち着いてくれっス。何にもしないっスよ。大丈夫っスから」
 少し間の抜けた調子にも聞こえるその声に、少しずつ正気が戻ってくる。
 恐る恐る、顔を上げる。
 そこには。
 見たこともない風貌の男が、いた。
 天を衝くばかりの、金色に輝く髪の毛。青い瞳。
 甲高い悲鳴が、森にこだました。

「オレっちは、アルファード・セドリック。キミは、この島の子かな? 良かったら名前を教えてくれっス」
 少しして。
 金髪の男――島外からの難民の一人、アルファード・セドリックは、ようやくまともにメルフェニと話ができる状態になっていた。風貌を見て余計にパニックに陥ったメルフェニに対し、根気よく話し続けたのが良かったのだろう。
 メルフェニのほうも、取り乱したことに気づき、相手に敵意がないことを知ると、気恥ずかしさを隠すためか、冷静を装ってちゃんと話を聞き始める。立場は真逆なものの、どうやら相手も、メルフェニと同じく一人で相手の集落へ向かおうとしていたらしい。
 ただ、アルファードのほうは……慣れない地形に慣れない気候。結局一人で出てきてしまったこともあり、迷子になりかけていたらしかった。
 いったん、相談をする。そして――まずはいったん、体力的に疲れているメルフェニが休むためにも、距離を考えても、湖の集落へ行くことになった。
 メルフェニとしても、道中に相手の話を聞けば情報収集にもなる。一応目的は果たせるのだから、まあ妥協できるところではあった。
 戻る途中、お互いのことを聞きあう。難民たちは、メルフェニたちでは考えられないような文化を持っていた。木ばかりか石も加工して家を作り、鉄製の道具を使い。
 何より、食料とするために集落内で動物を育てているらしい。動物は狩ってくるもの、という考えが主流のメルフェニたちにはなかなか理解しがたい話ではあった。
 また逆にアルファードのほうから見れば、自然と共存する形で生きている島の人々の暮らしぶり、また山を神と信仰し、生贄という儀式まで残っているその行為も信じられないものだった。
 話している間に、集落が近づいてくる。
 まだ見えてはこないが、もうすぐ着きます、とアルファードに告げる。
 ほら、人影が――きっと、集落の人たちです――
 と――。
 様子がおかしい。彼方に見える数人の人影は、相当な速さでこちらに駆けてくる。あっという間にその姿が大きくなる。
 そして。
 その姿の異様さに、二人は気づく。
 全員が、雪に紛れるかのような白い装束。そして、視線を通す穴が二つ開いただけの、木の面を被っている。
 アルファードもメルフェニも、別のところからその話は聞いていた。
 曰く――集落の者が仮面の集団に襲われた、と。
 曰く――仮面を被った謎の男に襲われた者がいた、と。
 示し合わせるまでもなく、二人の行動は一致していた。
 アルファードが銛を構え、メルフェニがその陰で術の詠唱を始める。
 案の定――相手は、襲い掛かってくる。その数、四人。
 一人目の斬撃をかわし、二人目のそれを銛で受ける。
 そうしている間に、メルフェニが術でカマイタチを起こす。
 それが、相手を切り刻む――はずだった。
 だが、カマイタチは相手に届くことなく――消える。相殺されるようにして。
 おそらく、同じカマイタチの術をぶつけられた――それが、メルフェニにはわかった。
 かなりの――少なくともメルフェニと同等以上の術の使い手もいるようだった。
 二対四。
 しかもメルフェニは武器を持って戦うことなどできない。
 圧倒的に不利な状況――複数を相手にし、アルファードは浅くではあるが腕を切られる。
 血がしぶく。
 このままでは、二人とも――やられる。
 けれど。
 二人がここにいたことは、実は、僥倖だった。
 仮面の集団が来た方角から、声が聞こえてくる。
 それは、アガタたち、集落から仮面の者たちを追ってきた人々だった。
 追っ手の声を聞き、仮面の者たちがアルファードから手を引き、明後日の方向に逃げ始める。
 そうはさせじとアルファードが銛を突き出し、牽制する。
 一人がそれに邪魔され、体勢を崩した。
 残りの三人はあっという間にその場から離れ、視界から消えていく。
 そして残された一人は――アガタたちも到着し、囲まれる。
 だが。
 相手はそれでも、強かった。
 超人的、というほどではないが。
 こと、身体能力に関してはかなり自信があるアルファード、アガタ、セイル、そして他にともに追いかけてきた者たちを相手にしても立ち回る。
 それでも、多勢に無勢。しかもこちらにも山の一族が数人いる。彼らは呪術的
 アガタら相手に怪我を与えることも、逃げることもかなわず。
 ついに――アガタ、セイル、アルファードとその他数人の者たちの前に、仮面の者は気絶させられたのだった。
 大の字に伸びているその白装束。
 すぐさま、ロープを持ってきた者が縛りあげる。
 どうやっても動けないように念には念を押して固く、固く。
 仮面が――剥がされる。
 そこには、男の顔があった。
 アガタも、アルファードも……心の中でつぶやいていた。
 知らない顔だ――と。

 そうして、男たちが倒れた男を囲んでいる間。
 メルフェニは手持ち無沙汰にその集団を覗き込もうとしていた。
 だが、メルフェニのその身長で様子が窺えるはずもなく。
 しかたなく、辺りをうろうろする。
 と――。
 何かが光った。
 雪に光が反射したのか。いや……。
 違う、と思って、手を伸ばす。
 ――あった。
 固く、小さい物の感触がある。
 拾い上げてみると。
 それは、何かの破片のようなものだった。緑色で、半透明。石のような――気がするけれど、見たこともない。
 なんとなく気になって、メルフェニはそれを懐にしまっていた。

*        *        *

 そんな事件よりほんの一日前のこと。
 タウラス・ルワールたち難民側の交渉役が、再び湖の集落にやってきていた。
 その人数は、四人。前回の面々に加え、さらに女性が一人増えていた。
 増えたのは、橘・花梨。前回の交渉の話を聞いて、今回、提案したいことがありついてきたのだった。その他は前回と変わらない。代表として責任者としてタウラス。そしてその補佐としてフッツと、ピスカの両名である。
 花梨はスレンダーな体格に、ボブカットに整えた黒髪。その容貌はどちらかといえば島の人間と似通っている。元々東方の国の出身で、民族的には近いのかもしれなかった。服装さえ着替えればきっと区別がつかないだろう。
 ――正直、交渉ごとには向いていない、と自覚はしていた。話をするのが苦手なのではない。自分の性格や容姿、しゃべり方からすれば、発言力や信頼度、という点でやはり心もとないのだ。
 それでも、提案内容には自信があった。勝手な話ではあるが、難民である自分たちの側の集落の為になるはず。
「よっしゃ。やったるでぇ」
 ついに口に出る。
 会合場所までの案内にと迎えに出てきていた原住民の男が、キロリとこちらを睨んでくる。この男――さっきから不満そうな顔を隠そうともしない。それどころか、聞こえるように不満たらたらの独り言を吐き散らしている。
 前回の会合は比較的平穏に終わったというが、全ての原住民がこちらに対し害意を持っていないというわけではないらしい。
 やがて、ある家に通される。タウラスによれば、前回もそこに通されたらしい。どうやらそこが族長の家であるとのことだった。
「また遠いところまでお疲れさん。雪も降ってきたが――そちらは大丈夫かい?」
 四人を座らせて、向かいの大男が手を広げる。にこやかに笑ってはいるが、この場にそぐわない体育会系のオーラを発散しているような体格だ。そして――その傍らには、少女と――先ほどの愚痴男。一人だけ、まともそうな女性がいる。この人が頼りだろうか。
 なんだか先が思いやられる――と花梨は思う。
「まず、前回もいてもらった、テセラは紹介いらないか? んで、こっちはラトイ。村の警護役なんかをやってもらってる。今回は話にも加わりたいってな。後、こっちの可愛いのがアディシア。ちっこいが、しっかりしてるぞ。とりあえず見学したいっていうから同席させたが、かまわないな?」
 ラトイはふてぶてしい顔をしたままだが、アディシアと呼ばれた少女はぺこりと頭を下げる。ちょっとおどおどしてるようだが、うん、良い子そうだ、と花梨は感じた。
 テセラという女性は前から交渉に参加しているらしい。そういえば、こちらの村に来たという二人組のうち一人が、こんな女性だったような気がする。花梨はちらっと見ただけだったが。
「そちらも一人増えてるな――ええと、お名前は?」
 大男――どうやら、この男が族長のオントという者らしい――が、花梨に向け話を振ってくる。
「こちらは、橘 花梨さん。今回は花梨さんからも提案があるので、一緒に来ていただきました。ですが――まず先に、私から用件を」
 タウラスがそういって話を始める。
 まずは、前回の話し合いと前後して起きた、もしくは問題になったことについて――要は、伐採と、それが原因で起きたと思われる土砂崩れのことだった。
 まずは率直に謝罪するタウラス。この件に関しては、タウラスは自分たちに非があると思っていた。今後は気をつけるということをしっかりと伝える。
 ただ、レイニが言っていたように、こちらとしては意図があってのことだとも付け加える。伐採自体必要だからしたことなのであると。
「それで、これを聞いておこうと思ったのですが、他にも原住民側が立ち入って欲しくない場所があれば、教えて欲しいのです。住民にも注意を喚起いたしますので」
 トラブルが起きてからでは遅い。事前に聞いておくことに意味があった。
「そうだな……山だな。とはいっても、そっちの集落もここよりは高いところにある……はっきりとした境界があるわけじゃないが、あの山……ア・クシャスはこの島の守り神がおわすところなんだ。なるべく高いところへ行かないでおいてくれ」
 さっそく、オントが答えを返してくれる。神域――宗教、信仰ほど厄介なものはない。肝に銘じることにする。
 なんとか、なりそうだ――そう思ったとき。
「はぁ? 何を言っているんだお前は。そんなのはそっちの勝手じゃないか。勝手に我らが島に土足で踏み入り、土砂崩れまで起こしておいて、必要だったからした、だと?」
 今まで押し黙っていたラトイが突然大きく声をあげた。嫌味もけれんもたっぷりの口調である。
 鋭く、こちらを睨みつけてくる。
 脅すように付け加えるラトイを、オントが言いすぎだ、と抑える。
 その後も雑談交じりに冬の過ごし方や雪の積もり具合、お互いの生活様式のことなどが話されるが、一つ一つ、丁寧なまでに茶々を入れてくる。邪魔なことこの上ない。
 いい加減辟易して花梨が口を出そうとすると、それに気づいたのか、オントがラトイに退席を命じた。ラトイもさすがに族長の命令とあって、その場を辞する。
「すまない、あいつはちょっと警戒心も強くてな――少し神経質になっているのかもしれん。後でよくいっておく――だがな。あいつが過激なほうだとは言え、ある意味でこちらの意見の代表でもある。テセラからもそちらの意見を事前に聞いてはいたが、少なからず、あの伐採も含めて反感を持っている者はいる。今後、同じことがあるようなら、俺もあいつらを抑える側には回れない、そういうことだ。分かってくれるな?」
 ラトイと違い、こちらは興奮した様子もなく、飄々と語る。だが、それだけにその言葉には族長らしい重みがあった。言っていることに誇張はないのだろう。
 雰囲気が、重くなる。
「あ、そういえば。私がそちらにお伺いしたときに、レイニ・アルザラさんから受けた質問――代表者同士の会談の件ですが、こちらでも話しあいました。特に問題ありません。そちらの代表が決まり次第、今のところ私とオント族長――場合によってはもう少しの者が参加するかと思います」
「後は――部族じゃないが、山の一族、っていう特殊なのもいるが……これはな……たぶん、今の状態では集まりみたいなのには出てこないだろうけどな……」
 話題を切り替えようとテセラが言い、それにオントが続ける。それは、彼女が難民側の村へいったときに、現在の村の代表らしき女性、レイニから提案されていた用件だった。話に合わせて、オントも大きく頷く。既に話は決まっていたらしい。
 続けて、タウラスは質問を続ける・
「後は、これはこちらの村民会議でもあがったんですが、仮面をつけた奇妙な人物について、何かご存知なことはありますでしょうか。実は先日、こちらの村で、仮面をつけた黒装束に襲われたという者がおりまして、目下調べているところなのです」
 この問いに対する答は即座だった。
「ああ。その件か。テセラがそちらへお伺いしたときにも話題になったそうだな……そう、こちらでもそんな風貌の集団に襲われた者がいてな。ちょうど例の伐採地なんだが……すまんが、こっちでも調査中なんだ。何かわかったら伝えよう。ちなみに、そちらの人間でないってことははっきりしてるのか? その辺りも教えて欲しいが」
 オントがそう告げる。仮面の集団、その一人が捕まるのはちょうどこの次の日。今日この今ではまだ情報はないのだった。
 タウラスは聞かれたことに対し、村の周辺で襲われたらしいなど、知っていることを伝えて情報交換を行う。
 そしてそこで、ちょうど、話が一旦途切れた。
 そろそろ、と花梨はタウラスに目配せする。
 ちょっと雰囲気は良くないが、出番をもらわなくては。
「あ、ではそろそろ、花梨さんのお話を聞いていただけますか?」
 察したタウラスが話を振ってくれる。
「えーと、そんでな。まずうちが今回原住民サンと話したいんは、やっぱモノの流通の事に関してや――通貨での取引とはさすがに言えんが、それでも共通に価値のあるものをその代わりにして、まず物々交換がええと思って。まずはいくつか持ってきたんやが」
 そこまで語ると、道中苦労して持ってきた包みを広げ、次々と色々なものを取り出し、見せていく。
 鍋に紙に布、さらには、筆記用具から金物まで。何が興味を引くかわからないので、かなり雑多にもってきていた。
 これについては、一つ一つに、オントは興味を示す。特に気に入られたのは、やはり金属製の道具類だった。原住民ではやはり鋳造、精錬技術は発展していないらしい。
 不穏になりかけていた空気が、多少やわらかくなる。まずは、試しも含めお互いにやり取り、交換をしていくことになった。
 恐らくこちらからは皮類や防寒物になるだろう、とオントも話を進めてくれる。
 第一歩としては、まずますの結果を残せそうだった。

「そうだ、私たちにもとりいれられる工夫がみつかるかもしれません。少し、こちらの集落を巡らせてはいただけないでしょうか?」
 話が弾む中。そろそろかなりの時間が過ぎようかというところで、タウラスがそう口に出す。結局のところ細かいところまで集落というものを見て回る時間を今だ取れていない。
 まあこれには、行方不明者や第三者との接触した様子がないかを確認してみたい、という裏の思いがあったが。
「あ……なら、あたしがご案内します。いいですよね、オント様」
 それまでじーっと話を聞いていたアディシアが、初めて声をあげる。
 元々、アディシアは島外の人間に色々話を聞いてみたいと思っていたのだ。
 いいチャンスだった。
 オントも特に反論があろうはずもない。とりあえず四人には一日泊まってもらうことになり、その間にアディシアが集落を案内することになった。
 最初は大人に囲まれる格好にもなったせいか無口になっていたアディシアだったが、タウラスの落ち着いた雰囲気、そして花梨が気軽に受け答えしていたおかげか、次第に慣れてきて、お互いの暮らしぶりの話になる。
 狩、漁が中心の島の民に対して、彼らは基本的に、自分たちで食料を育てるところから始めるのだという。種をまき、育てる。肉となる動物も育て、子を産ませ、またそこから食料を得る。それは、アディシアには理解しづらい考え方だった。
 ――それらしき人間はいない、か。隠されているのかもしれないが……
 アディシアと受け答えをしながら、辺りの様子をそれとなく伺うタウラス。しかしそう簡単に見知った姿や気になるものをみつけることはできず――ただひとつ、途中声をかけてきた女性の言っていたことが気になったが。
 そして、やがて夜を迎える。

 夜。
 草木も寝静まった頃。
 雪も止み、月が大地を照らし、積もった雪はほのかに白く灯る。
 明るい夜だった。
 だが、こんな時間に歩いている者はいない。
 私以外には。
 そう思いながら雪を踏みしめ歩くのは、リエラだった。一歩足を進めるたびに、雪がぎしっ、ぎしっと音を立てる。
 それがただ、リエラの周りを包みこむように響く。こんな寒い夜は、音も澄んで聞こえる。
 こんな時間に出歩くなんて、リエラ自身にもあまり覚えがない。若い身空、身の危険もあるだろう。
 だけれど、今日はどうしても、必要があったのだ。
 やがて、一軒の家の前で立ち止まる。
 そこは――タウラスが宿としてあてがわれているところだった。
 もちろん、目的は、タウラス・ルワールその人。実はこっそり、日中も接触していた。タウラスたち難民側の交渉役が集落を見て回ると聞いて、その際に少しだけ。
 そう、タウラスが気にしていた女性とは、リエラのことだった。
 夜、お伺いします――そう伝えたのだった。
 用とは他でもない、ラルバに書いてもらった、直筆の手紙である。
 これを手渡すのだ。
 昼間に渡してもよかったが、あまり人目についていいものでもない。
 それでこうして、こんな夜更けにやってきたのだった。
 こつ、こつと扉をたたく。
 ほどなく、扉が開く。恐らく、起きて待っていてくれたのだろう。現われたのは、タウラス・ルワールその人だった。
「こんな夜更けにごめんなさい。まずは、これを……ラルバさんの妹さんたちに、渡していただけますか。ラルバさん、本人が書かれた手紙です」
 衝撃の一言だった。
 いきなり初対面の原住民の女性から、行方不明の男の名が出たのである。しかも、直筆の手紙――とるものもとりあえず、それを受け取る。
「ラルバ、という名前。これを知っているというだけ信じてもらえるかと思います。彼は――無事です。でも、怪我をしていて……それに、集落で起きたある事件に巻き込まれて、疑いを持たれてしまっていて。疑いが晴れるまでは、ここを出るわけにはいかない状態なんです」
 複雑な事情があるようだ。タウラスは相手の、そのリエラと名乗った女性の苦しげとも取れる表情を見て、そう思う。
「私は、彼の無実を信じています。それが証明できるまで、ラルバさんを守ります……だから、もう少し、待ってください……原住民と難民の間に争いを起こしたくないし、この事が公になって悪感情が生まれる……なんてことがあっては……」
 切れ切れの台詞の中に、必死さが感じられる。
 だが、知ってしまった以上――いや、しかし。
「ラルバさんの、妹さんたちはお元気ですか? ラルバさん、かなり心配してて……」
 ラルバが知りたがっているのだろう。リエラの問いかけに、タウラスは自分の知っていることを伝える。詳しくは把握していないが、寂しがってはいるものの、病気・怪我などはしていない、と。
 少しほっとした様子を見せるリエラ。
 これも、といってさらにタウラスに小さな包みを渡す。
 少しずつ集めた薬草類と、小物が入っているとのことだった。これも、ラルバの妹たちに、冬の助けとして使って欲しいらしい。
 手紙を渡していただくかどうかも、お任せします――
 最後にそういって、深く一礼して、リエラは背を向け、去っていった。
 小さな手紙――だけれど、それはタウラスの心にとってはかなり重いものとなりそうだった。

 一方、リエラは――
 これで、いいのよね。うん。後は――なんとか、少しでも早く、ラルバさんの無実を証明しないと――
 ためらいを残しながらも、自分に言い聞かせるようにして帰途につく。
 相変わらず、冬の月夜に他に人気は見当たらない。
 族長オントの家の近くを通り過ぎ、自宅へと向かう。
 と。
 オントの家の裏口が、ゆっくりと開いた。
 鉢合わせ、というわけではない、が――中から現われた人影に、どうやらこちらも気づかれてしまう。
 まずい。
 体格からいってオントではない――けれど、こんな夜中に歩いているわけを聞かれて答えられる自信はリエラにはない。
 近寄ってくる。
 ――女性だった。
 長い黒髪。
 美人だった。――見たことがある。
 山の一族の……確か……アイリさん。
 こんな時間に、族長の家から。逆にこちらが疑問に思う。
 それを察したのか。相手から声をかけてくる。
「こんな時間に、どうしたの――って、私もか……まずいところ見られちゃったわね……って、貴女も同じようなもの? まあ、その、ね。男と女のことだし。分かるわよね? お互いに、ここで会ったのは内緒ってことで、ね」
 見つめてくる。リエラはこくこくとただ頷く。
 その返答を見て納得したのか、アイリはいずこかへ消えていく。
 色々な意味で、驚きと――混乱するリエラだった。

*        *        *

 時間は再び――仮面の者が捕らえられた日に、そして、次の朝になり。
 倒れた者は厳重に縛られ、カケイ、ケセラ、シャナが寝泊りする家の一室に放り込まれた。
 だが、その後しばらく、何も知らせはなく。
 数日後、ただカケイから、あの男は自害した、手がかりは得られなかった、とだけ周囲に伝えられる。
 捕らえた次の日の朝に。厳重に縛られていたはずの戒めを破った上で、どうやってか、自ら喉笛を掻っ切ったのだという。
 ただそう言われても、納得できるはずもなく。

 黒神石以外の祭具は見つからないまま。
 事態は次々と、そして加速しながら、複雑になっていくのだった。

RAリスト(及び条件)
・a3-01:島外の難民と交渉・応対をする。
・a3-02:その他島外の難民に対して行動する。
・a3-03:残りの祭具を捜索する。
・a3-04:集落内にいる山の一族に関わる・調べる
・a3-05:仮面の集団・死んだ男について調べる
・a3-06:ラルバを監視する・関わる。
・a3-07:その他集落内部で何かする。
・a3-08:その他集落外部で何かする。


※マスターより
こんにちは。鈴鹿高丸です。

難民とのやり取りも頻繁になり、また登場人物もより増えてきました。
儀式は数か月後となっていますが、実質三ヶ月と少しとなっています。
このまま問題なく行われる場合、第五回の時期の後半にあたることになります。

リアクション中にも書かれていますが、現在山の一族の大半の人間が湖の集落に暮らしています。とはいってもその数は二十人程度です。

では、アクションお待ちしております。