アトラ・ハシス

第一回リアクション

『探索』

鈴鹿高丸

 島を――いや、おそらくは全世界を襲った大洪水。
 島で唯一無事だったのは、湖の部族と、その集落のみ。
 季節は、秋を迎えて。
 色づいていく森の様子を見つつ、普段ならばゆっくりと冬支度を始めるはずの集落――
 けれども。
 生き残った他部族の者を抱えて、生贄の儀式をも控えて。
 時折頬を撫でる風とともに、かつてないほど慌しく、冬の足音は響きはじめていた。

*        *        *

 その、生贄の儀式について。
 祭具が消えたという話が山の一族のケセラから伝えられた、翌日。
 昨日話を聞いた者に加え、さらに自主的に協力を願い出てきた者たちが集まり、カケイを中心として捜索の方針が話し合われた。
 とはいっても手がかりは少ない。
 黒衣の男――ほとんどそれだけである。
 結局、虱潰しに森を捜索するしかなく、手分けするために数人ごとの集団に分かれることになった。
 カケイは自らも捜索に加わることになり、連絡・報告はしばらく集落にいることになったケセラが、オントが用意した族長宅の離れに滞在して取りまとめるとのことだった。
「あ、あの、もう少しお話聞いてもいいですか?」
 打ち合わせが終わり――皆それぞれに場を退出していく中で、そんな声があがった。場にそぐわない幼い声にカケイが辺りを見回すが、誰も見当たらない。
「こ、こっちです」
 足元の裾を引っ張られ、視線を下に向けると。
 そこでは、オレンジ色のツインテールが揺れていた。大人に混じって入り込み、話を聞いていたアディシア・ラ・スエルだった。
 上目遣い、というよりはほとんど真上に見上げるような格好になる。一瞬、無表情なカケイにたじろぐが、なるべくそれを顔に出さないようににっこりと微笑む。
 ――カケイさんって、ちょっと怖そうだけれども……知っていることはもちろん多いだろうし、ちゃんと話を聞いて少しでも手がかりを手に入れないと。
 アディシアはまだ11歳。だけれども、前向きさとひたむきさ、好奇心では大人にも負けないつもりだった。
「……。……ひょっとして、お前も祭具を探すというのか……? 危ないだけだ。止めたほうがいい」
 端的に、突き放すようにカケイは投げかける。屈強という印象はないが、そのかもし出す雰囲気はアディシアにも分かるほどに迫力がある。
「確かに、森の中に出て行ったら危ないし、足を引っ張っちゃうかもしれないです。でもでも、呪術なら少しだけ使えます。お手伝いくらいは、できると思うんです。だから、ほんのちょっとでも、もっと祭具のことを聞けたらっ……って」
 アディシアなりに必死に訴えかける。
「……これはさっきも言ったが、祭具は三つ。鏡、短刀、黒石だ。それぞれに儀式の際、守り神を照らし、道を拓き、そして最後に神と結ばれるための力になる、といわれている。それに――恐らくは、祭具そのものにもなんらかの力はあるだろう――だから、早く取り戻さなければいけない」
 意外と饒舌に、そして丁寧に答えてくれる。あいも変わらず口調は冷たく、淡々としたものではあったが。
「じゃあ、風の力を使ってその呪いの力を感じるとか、できないのかな? 風の力なら少しだけ、あたしも」
 考えていた捜索方法を口にしてみる。呪術にそこまでの自信があるわけでもなかったが、それでも試してみたかったのだ。
「――不可能ではない、だろう。だが、それで簡単に見つかるようならば、われらの一族の者で見つけられるだろうな――まあ、それでも、手伝ってくれるその意気はありがたい。がんばってみて、くれるか?」
 そこまで言うと、軽くアディシアの頭に触れる。本人としたら撫でているつもりなのだろう。
 最初の見た目と雰囲気で損してるだけな人なのかもしれない、と思うアディシアだった。
 そして――結局風の力で何か感じ取ることができるかどうかについては、カケイも見てくれている中で試してみても、やはり漠としすぎていてはっきりとしたものはつかめなかったのだった。
 だけれども、少しでもカケイの人となりを知り、祭具のことも少しは詳しく知ることができた。それだけでも収穫だったのかもしれない。

「ちょっと、待ちなよ」
 離れでそんなやり取りがあったそのとき。
 カケイの打ち合わせを見届けた後、戻ろうとしていたオントの巨体に向かって声をかける者がいた。口調からは想像もつかないが、その姿は冷たい印象の女性――ヴィーダ・ナ・バリドだった。
「誰かと思えば、ヴィーダか。相変わらず愛想もへったくれもないな」
 振り返った直後に苦笑される。
 本当ならば族長に対しこんな言葉つかいは許されたものではない。オントがそういったことを気にしないだけである。状況によって言葉を使い分けることが苦手な性質のヴィーダにとってはありがたいことだった。
「他部族の受け入れにいつもどおりの冬支度、それに山の一族からのお願い、か。次々と厄介事が舞い込んでくるな」
 オントに追いついて、肩を並べる。ヴィーダは同性の中では飛びぬけてといっていいほどの長身だが、それでも縦にも横にも広い体格のオントと並ぶと頭一つ分は違う。自然、見上げる格好になる。
「言うな、気が滅入るから。そうは言っても、無下にするわけにもいかんだろうよ。こんなことがあって、この辺りだけ助かった。守り神に対する信仰も根強いからな」
「そんな大変な族長様に、差し入れ。まあ、そんな大した酒じゃないけどね」
 腰に提げていた酒瓶を取り出して掲げる。途端に、オントの顔が崩れる。酒に目がないのだ。とはいっても、酒に飲まれる、潰れるといったところは一度も見たことがない。強いのもあるのだろうが、やはり族長の面目というものもあるのだろうか。
「いいのか? ……そうだな、じゃあこれからこいつで一緒に一杯、どうだ。お前も明日から捜索を手伝うんだろう。今のうちに心身ともに休めておかないとな」
 願ってもない誘いだった。
 一も二もなく頷き返し、いきなり早足になったオントについていく。
 沈もうとしている夕陽の中、長い影を残しながら二人は歩いていった。
 木枯らしが一陣、二人の間を吹き抜ける。
 冬はもうそこまで、近づいていた。
 ただそれだけなのに、ほんの少しだけ不安を感じた。

*        *        *

 翌日――。
 湖で倒れていた青年は、急ぎ医師兼呪術師の家に運ばれていた。
 青年は意識を失っていたため一人では運ぶことができず人手が呼ばれたのだが、それは同時に、そこから話が広まることを意味していた。
「……お話を聞きたいのは分かりますが、患者のことを思うのが人としての常識ではありませんかっ!! 自身の目的のために他者の事を鑑みないというのは……」
 そうなるともちろん、好奇心の強い人間が集まることになる。
 だがその野次馬たちの前には少女が立ちふさがっていた。
 その、小さな身体を跳ねさせるほどに背を伸ばして声を張り上げるのは、マユラ・ナ・スウラだった。
 集まっているのはほとんどが大人。扉の前に仁王立ちしているマユラを退かせて中に入ることは簡単だ。簡単なのだが――そうしようとする者はいない。野次馬に来ているだけなのに、正論を語る子供を押しのけて通るとなると、罪悪感が勝ってしまうのか。ある意味適役と言えた。
 と、野次馬の塊が割れ、間から大男が進み出る。身体に似合わないにこやかに笑みを浮かべたその男は、どこにでも現れる族長、オント・ナ・ウスタだった。もっとも、島の人間ではなさそうな男が重傷で見つかり運び込まれたとあれば、様子を見に来るのはもっともと言える。
「オントさんでも駄目ですよ! まだ意識も戻っていないのですし、施療中です。姉様はしばらくすれば意識は戻るだろうと言っていますし、族長としての立場も分かりますが、また後日にお願いいたしますっ」
 とても8歳の子供の放つ言葉とは思えない。扉の前を退こうとしないマユラを前に、オントは困ったように頭を掻く。
「……子供にゃ勝てないな。さあ、皆も帰った帰った。こんなとこで油売ってるほど暇なら、冬支度か祭具の捜索でも手伝ってくれないか?」
 ぐるりと、集まった者たちを見回す。視線を避けて野次馬たちは次々と気まずそうに散っていく。
「じゃ、また明日来るわ。治療、がんばるんだぞお嬢さん。あ、後うちのルヴィにもよろしく言っておいてくれ」
 ルヴィとは、マユラと姉のリエラとともに看護を手伝っている少年、ルヴィ・サ・フレスのことだった。普段はオントの家に通い家事手伝いをこなしているらしい。
 手をひらひらと振りながら背を向けるオント。それが意図したものかどうかは分からないが、野次馬たちは残らずいなくなった。
 マユラもそれに気づいたのか、去っていく後ろ姿に軽く頭を下げ、家の中に戻るのだった。

「――野次馬たちは、帰ったの?」
 後ろ手で扉を閉めると、さっそく姉のリエラ・ナ・スウラの声がとんできた。心なしか顔が青い。体力が無いのに、自分を省みず働くから、いつもそんな調子だ。姉の悪い癖。
「族長がいらっしゃって、追い払ってくださいました。明日また様子を見にくる、と。ルヴィさんによろしくともおっしゃってました――姉様。ルヴィさんもわたくしもいるのですから、少しお休みになってください。それでは姉様が倒れてしまいます」
 少しふらついた姉を支えるようにして言うマユラ。奥で水を取り替えていたルヴィも同意の声をあげる。
「え……族長が来てたの……ご挨拶できなかったわね……うーん、そうね、さっき意識は取り戻したし……ちょっとだけ休ませてもらおうかしら」
 のんびりした調子で話すリエラ。疲れているからもあるが、彼女はだいたいこんなペースだった。妹マユラとは好対照だ。
「えっ、目を覚まされたのですか?」
 びっくりして聞き返す。とてもではないが、まだ目覚めるような様子はなかったのだ。
「ええ、さっき、少しだけ。今はまた眠ってますけど、お医者様の話では、もう峠は越えたみたいです」
 ルヴィが言葉を受け継ぐ。そういう彼も不思議そうな顔つきだ。
「やっぱり……あの石に何か力があるのかもね。強い力、みたいなものは感じるし……私も精一杯力を注いでみたけれど、それだけじゃなさそう」
 三人は押し黙る。青年が握り締めていた、その石――全員、そこが気になってはいた。
 だけれども、とにもかくにもまずは回復を。それも、三人の一致した意見だった。
 
 さらに翌日。
 目覚めた青年を囲むように、リエラ、マユラ、ルヴィの三人は座っていた。お互いに癖を感じるものの、何とか言葉も通じるようだった。
「……そうか。君たちが助けてくれたんだ。俺の名は、ラルバ。ラルバ・ケイジ――ここには、偶然着いたんだ。船でね……洪水を乗り切って。ここがどの辺りかは分からないけれど――近くに、一緒に来た家族が、仲間たちがいるはずだ」
 意識を取り戻し、軽い流動食のようなものを口につけたラルバは、ゆっくりと話し始めた。それは、驚く話の連続だった。
「それ、綺麗な石ですよねー(しげしげ眺める)。何処で見つけたんですか? 見つけたところに行ったらもっと見つかるかなーって」
 続いて、好奇心に負けたルヴィが石のことを聞く。とたん、ラルバの顔が苦しくゆがむ。嫌な思い出があるらしい。それとも、傷がうずくのか。
「この島の、探索に出ていたんだ。寒くなってきたし、食料の確保もある。何人かで出発したんだが……情けないことにはぐれてしまってね。そのときだった……いきなり、仮面をつけた妙な黒ずくめの男が出てきて――向こうもびっくりしていたな、ありゃ。んで、いきなり襲われたんだ」
 ラルバによると、相手は相当の使い手だったらしい。だがラルバも腕に覚えがあった。結局のところかなりの怪我を負ったが、それは相手も同じで、逃げていったのだという。そして、この黒石はそのときに拾ったものだという。
 信じるに足る証拠はない。ただ、嘘をついているようにも見えなかった。

「目覚めたって? さっそく、話を聞こうじゃないか」
 そこまで一通り話したところで。
 まるで見計らっていたかのように、オントが現われた。
「ひゃあっ」
 珍しくリエラが声をあげる。無理もない、今でも少しだけ憧れている族長が、いきなりぬっと顔を出したのである。誰も扉を開けた音にも気づかなかった。本当に神出鬼没だ。
 さらに、その背後からオントと同じような体格の大男が続いて入ってくる。マユラが止めようとするが、オントから、男はただ見舞いに来ただけだから入れてやれと告げられる。
 男は、セイル・ラ・フォーリー。オントの言うとおり、単純に、湖で獲ってきた魚を振舞おうと持ってきただけのようだった。だがまあ、ちょうどオントと合流できなければ、きっと昨日の野次馬と同じくマユラに追い返されていたに違いない。運が良いと言える。
「ええ、さっき目を覚ましたところなんです。今ちょうど聞いたんですが……」
 ルヴィがラルバに今さっき聞いたことを話し始めた。随所でラルバ本人からも補足が入る。
「――石?」
 襲われた話になったところで、オントの顔色が変わった。それは、ルヴィも、リエラも見たことのないような厳しい顔つきだった。
「ルヴィ、すまないがすぐにケセラさんを呼んできてくれないか」
 鋭い声に、ほとんど反射的にルヴィが飛び出す。
 リエラの脳裡に、祭具のことが浮かんだ。オントの反応からすれば、まず間違いないだろう。これはきっと、祭具の一つなんだ――

 すぐに、まさに飛んでくるようにケセラはやってきた。
「その石を」
 さすがに少しだけ息を切らしながらのその台詞に、ちょうど石を覗き込もうとしていたマユラがあわてて渡す。
「間違いない。黒神石じゃ」
 つぶやくと、顔を上げる。深く皺の刻まれた顔からは読み取りにくいが、相当険しい表情なのは誰の目にも明らかだった。
「まさか、島の者でないとは……いったいどうやってあの結界を越えたっ!?」
 叫び散らしながらラルバに詰め寄るケセラ。相手は怪我人です、落ち着いてくださいとマユラが小さい身体で割って入る。
「こやつの言っていることなど信用できたものかっ……怪我人とて、油断なるものか……他の二つの祭具が見つかるまで、どこかに閉じ込めるなりするべきじゃ」
 リエラも立ちふさがると手は止まったが、口撃はいまだ止まらない。
「落ち着いてください、ケセラ様。嘘だという証拠もない。集落から出ないようにしておけばいいでしょう――そうだな……ルヴィに、そこのセイルだっけか?。しばらくの間、日中はこの人と一緒にいてくれるか。他にも一人二人つけてもいい。そこのお嬢さんがたも看護代わりにいてくれてもいいしな。集落の外にだけは出さないようにしておいてくれ」
 オントが妥協案を出し、ケセラもようやく落ち着いたようだった。
 黒石を回収し、さっさと出て行く。
 なんにしろ、不穏な空気なのは間違いない――厄介なことに巻き込まれたようだった。

*        *        *

 そんな、次々に事件の起きる集落でも――日々の暮らしは続いている。
 この時期は冬支度を中心に、食料の確保が大事になってくる。猟、漁が中心である集落にも、畑などが全くないわけではないから収穫の時期でもある。
 アディシアは捜索の手伝いをしながらも、集落の大人の女性に混じって手伝いをしていた。主に、冬に向けての保存食の調理、そしてその保管だ。まだ大したことはできないが、それでもできあがったものを運んだりはできる。他部族からの人が増え、人手以上に食料が必要になっているなか、頑張っているといえた。

 一方集落の外れ。
 アガタ・ナ・ベッラは一人、たたずんでいた。
 目の前には、地面に刺さった木の板が整然と並んでいる。
 墓標、だった。
 そのうちの一つの前に座りこむ。じっと地を見つめる。
 一つ、ため息をつく。深く、より深く。
 湖の部族とて、全ての者が助かったわけではない。アガタは洪水で妻子を失っていた。守れなかった自責の念がアガタを包む。思わず涙がにじむ。
 黙っていればその長身もあり渋い印象を与えるアガタだが、内実は相当繊細だ。涙腺も弱い。
 だが、それだけ大洪水が人々の心に残したものが大きいということでもあった。

 また、テセラ・ナ・ウィルトは持ち前の人当たりの良さと明るさ――率先して動く、口を出すその性格が買われて、洪水から逃れてきた他部族の世話や、交渉役を取り仕切っていた。族長オントも手一杯で、テセラがやってくれていることに感謝しているらしく、文句を言わないどころか、何かあったらまずテセラに相談するようにと伝えているらしい。
「……部族によって習慣の違いとかもあるし、あんなことがあった直後だから、気持ちはわからないでもないんだけどねぇ……。仲裁する側の身にもなって欲しいものよね。……ま、好きでやってるわけだから別にいーけど」
 誰に言うわけでもなく一人ごちるテセラだが、悪い気はしていない。頼られるのは嫌いじゃないのだ。
 ただ、気は疲れる。
 自然、そういった仕事の合間に狩をしながら集落の外を出歩くことが気晴らしになっていた。それに――もしかしたら、まだ集落にたどりつけていない、生き延びた人間がいるかもしれない。まだテセラはそう信じていた。
 行方不明の恋人が、生きていると。
 いや、生きていて欲しい、とそう思いたいのかもしれないけれど。
 と。
 視界の端に、紛れもない人影が映る。一瞬見間違いかと思ってしまうが、そうではない。明らかにこっちへ近づいている、いや――走ってきていた。
 淡い期待。だがそれは、すぐに落胆に変わる。見知った集落の男だった。同じく狩に出ていたはずの男だ。だが……様子がおかしい。
「あっ、テセラさん……ちょうどよかった。ちょっと来て、見てください。この先の崖が――いきなり崩れてきて。幸いにも巻き込まれはしなかったんですが、でも……」
 歯切れが悪い。とりあえず案内をさせることにした。
 そこからは、ほどなくだった。
 だが場所としては、集落からかなり離れてはいる。湖に流れ込む川のうちの一つを上っていったところだった。狩以外ではあまり集落の者も来ないようなところである。
 だが、その狩に出るテセラにとっては見知った場所だった。川に向かって、崖が切り立ったようになっている。
 はずだった。
 その崖が、見事なまでに崩れ落ちていた。土砂崩れ。川が埋め立てられんほどの崩れかたである。ただ、こんなところに人家があるわけもなかったし、人も巻き込まれていないのなら問題は無い。
 だが、気になることがあった。大洪水後もこの崖は無事だったから、大洪水がきっかけということもないだろう。最近に大雨があったわけでもない。腑に落ちない。
 テセラは男に対して、オントに伝えてくるように指示を出すと、崖がさらに地すべりを起こさないように気をつけながら、辺りを見て回る。
 そして――集落からオントが向かわせた男たちが着くころに。
 テセラは、見つけた。
 崖から少し川を上り、少し外れたところに。
 広場のようになった一画を。森が切り取られたかのようにそこだけが拓いている。
 明らかに、人が伐採した跡だった。それも一人二人で行えるような規模ではない。集落も今は他部族の受け入れで家屋を建てるために周囲の伐採をしている。だが後ほど調べたところ、誰もそこで伐採をしたという覚えはないようだった。
 生き残りが別の場所で暮らしているのか、なんなのか――。ただ、こんな必要以上の伐採を一箇所で行うなど、島の者がするとは考えにくかった……。

*        *        *

 その日、メルフェニ・ミ・エレレトは大人の目を盗んで、集落の外れを散歩していた。外れ、とは言ってもまだ人家も見えるくらいのところである。
 子供としてみた中でも、特に自分に体力がないのは分かっている。だから探索にも出ずに、普段は集落内で冬支度の手伝いなどをしていた。他部族の人間であるメルフェニ。それには集落に対する理解を深めようという意図もあった。
 ただ、人付き合いは得意なほうではない。慣れない人たちとの触れ合いに少しだけ疲れてしまっての行動だった。
 だけれど、そんなメルフェニの気分をあざ笑うかのように。
「ちょっといいかな、そこのお嬢さん」
 いきなり声がかかった。独特の、ちょっと変わったイントネーション。
「この村の子かな? ここの長というか、代表者――通じてるかな?」
 見たこともない服装。声をかけてきたのは男で、後ろに二人ほど付き従えているようだった。だったが――よく見る余裕などなかった。
「今、呼んできますわ……少々、お待ちいただけますか」
 言葉遣いだけはいつもどおり丁寧に。だが内心はかなり慌てていた。目を合わせないようにして、背を向け、一目散に走りだす。体が弱いのですぐに息が切れてしまったけれど、とりあえずその場から逃げることだけで頭の中が一杯だった。
 深呼吸して、我を取り戻す。
 そうして、改めてオントを呼びに行く。
 これが、島の民と、難民との最初の公式な接触だった。

「話は分かった――ざっと100人くらいが、洪水を越えてこの島についた、と……他に行くあてもないので、島に住むことを許して欲しいと、そういうわけか……」
 相手は三人組。うち女性が一人。交渉役のリーダーである、メルフェニに声をかけた男はタウラス・ルワールと名乗った。
 対応にあたっているのは、今言葉を発した族長オントと、テセラ・ナ・ウィルト。そしてメルフェニも最初に接触した者として同席だけはしていた。
 テーブルの上には一応歓待のためにと魚料理が並んでいる。ちょうど、セイル・ラ・フォーリーが獲ってきたばかりのものだった。
「まあ……それはかまわないが……こちらもな、大洪水で帰るところを失った人間を多く迎え入れていてな。自分たちのことで精一杯だ。協力まではできないかもしれない」
「そうね……こっちはこっちで、ただでさえいろんな部族が一緒に住み始めたことで少し軋轢なんかも出てるし……」
 オントの言葉をテセラがつなぐ。相手のタウラスは、うーんと唸る。
「では――この島の気候や、冬を越すにあたって何か助言だけでもいただければありがたいのですが」
 タウラスの言葉を受けて、オントが一通りの説明をする。冬はちゃんと準備をしていれば生死に関わるほどではないが、雪も降るので、防寒対策は必要だと。集落ではだいたい今の時期から保存食を大量に準備し、食料はそれで乗り切るのが常だということなどを。
 それに対し三人からもいくつかさらに質問が飛び、しばらく越冬についての情報交換、いやどちらかといえば提供が行われる。
「――ところで、こちらの者で一人、行方不明の者がいるのですが……ラルバ・ケイジという名の青年です」
 タウラスの言葉に、テセラがはっとする。テセラは名までは知らないが、確かにいる。一人、明らかに島の者ではない男が。
「いや、服装を見てもわかるが、そのような格好をしていれば明らかに島の者じゃないってことはわかる。そんなのは見たこと無いな」
 平然と否定するオント。
 ケセラとの兼ね合いもあるのだろう。隠しておきたいというのが今のオントの意見なら、従っておこうとテセラも口は出さないでおくことにする。
 やがて食事も終わり、今回は挨拶までということで、また話をしに来ることを約束した上で三人は辞去することになった。
 オントが、途中まで送らせようと三人に伝える。数人の案内兼護衛がつくこととなった。

 そして、集落のはずれ。
「ほら、ここまで案内してやったんだ。後は好きにしな」
 オントがつけた数人の男たちのうち一人が、いきなりそう口を開いた。
「俺の名はラトイ・オ・アーリ。集落の巡回なんかをしてる。族長の前だったんでおとなしくはしていたがな……あの土砂崩れ、お前たちが必要以上に伐採したからだろう。これ以上、少しでも迷惑かけやがったら……」
 最後は断言までもしなかかったが、その剣呑な視線からは、十分な敵意が発せられていた。
 なかなかに、集落も一枚岩というわけではないようだった。

*        *        *

「ほんとにこっちで道はあってるのか……こりゃ予想以上にきついな……まったく」
 ア・クシャスの、道とも呼べないような道を歩くのは、ヴィーダだった。息は切れ切れで、山に入る前には意気揚々だったテンションもすっかり下がりきっている。もともと体力に自信はないのだ。
 ヴィーダは一人、山の一族の社に向かっていた。祭具の捜索とは言っても、まずは気になることがあったからだ。
「結界ってのも、痕跡がなかったってのも疑うわけじゃねぇけど、俺はやっぱ自分の目で確かめたいしな」
 それに、契りの娘が持ち出したってのもない話じゃないだろ、とつぶやいてみる。まずは本当に結界があるのか、現場の様子はどうなのか見てみたかった。それに、ついでに社の周辺にも手がかりはないのか、調べてみたかったのだ。
 ただそれにしても、あまり何度も行き来したいと思える行程ではなかった。これを定期的に登り降りしているのだから、ケセラもあれで相当の体力なのだろう。化け物じみている。
 それでもやがて――目の前に大きな門が広がっていた。脇にも通用口のようなものがあるが……ここまできておいてなんだが、どうやって入るべきか。まずは何とかして内部の人間と連絡をとらなければならないが……。
 と、考え込んでいると。
 都合のいいことに、通用口らしきところから数人が出てくる。女性が一人と、それに付き従うように男が二人。先頭の女性は、背の高い方であるヴィーダとも負けないくらいの長身の、はっとするほどの美人である。山の一族を象徴するような流れるような黒髪。
 こちらに気づく。
「侵入者?」
 怪訝な顔で近づいてくる。見覚えがあった。ケセラと同じく、山の一族の人間で……そうだ、オントのところで見たのだ。妙に慣れなれしい調子でオントと話していたのでしっかりと覚えている。名は……確か、アイリ。
「違う違う、あれだ、祭具を探すっての。現場とか、結界とか、見てみたいと思ってさ」
 答えるヴィーダを、足の先から髪の毛の先まで、舐めるように見回すアイリ。
「今、それどころじゃないのよ。お嬢さんにかまってる暇はないの。『一族』以外ここには入れないことになってるし――ああそうだ、せっかくだから、この二人を集落まで案内してくれるかしら? 私が行こうかと思ったんだけど、忙しいし」
 まるっきり命令口調だった。
「俺はあんたの小間使いじゃない」
 ずいっと歩み寄り、視線をぶつけるようにして返す。
「……生意気な子ねぇ。そういえば、オント族長のところで見たことあるような気もするけど。まあ、いいわ。さっさと帰りなさいよ。ここにいたら不審者として捕まってもおかしくないからねっ」
 吐き捨てるように言うと、二人を引き連れて山道を降りていく。祭具捜索で何かあったのだろうか。だが、それを問う気にはならなかった。答えてなどくれないだろうし、今のやりとりだけでもう、聞くのも嫌だと思ってしまう。
 しばらく周辺を探すか。
 走り去っていく人影を気にしながら、そう思うヴィーダだった。

*        *        *

 ヴィーダが山に登りはじめていたころ。
 カケイと、カケイとともに祭具捜索に出ようという面々は出発の時を迎えていた。
 結局のところ、手分けして怪しい人間を探し集落周辺から探す、という作戦は変わらず。
 効率は悪いだろうが仕方ないといえた。
「気をつけていってきてくださいね」
 リエラ・ナ・スウラが、顔見知りの部族の者たちに薬や包帯などの応急道具を手渡していく。隣では妹のマユラが手伝っていた。ラルバの看護を少しの間ルヴィとセイルに任せてやってきたところだった。
 捜索にはカケイのほか、十数人。そこには、アガタ・ナ・ベッラ、そしてカタラ・ナ・イスハークの姿もあった。
(ナンだかよく分からないけど、山の人たちの大切なものを盗む人は悪い人だよ。えっと、きっとどこかに隠れてるだよ〜カタラ良く子供の頃、悪さして洞窟とかに隠れてただよ。黒子さんもきっと、どこかに隠れてるだよ〜よ。だったら、ご飯の匂いですぐに出てくるよ! ……カタラ、それでいつも見つかってただよ)
 もっとも、心の中を読む限り。
 カタラはあまり集団で行動するつもりもないようだった。今も、なんとなく集まっているだけのようである。
「では、三班に分けて出発だ。適宜一日一回は、戻って報告をお願いする」
 カケイが簡潔に、だが通る声で集まった者に告げる。それを合図に、三つの集団が森へ散っていった。

 半日後。
 特に収穫がないまま、カケイを含む一団は森をうろついていた。洪水から残った土地は以前の島に比べれば遥かに小さいとはいえ、それでもそこから人、一人を探し出すのは無理がある。
 その一団には、アガタもいた。自ら希望してこの一団に加わったのだった。
 なぜなら。
 アガタがまず容疑者として考えていたのは、ケセラ・『契りの娘』・カケイの三人だったからだ。まず前者二人は結界内部に入ることができる。カケイも警備の者として現場近くにいても不審には思われないだろう。『契りの娘』にいたっては、儀式を行うこと――それが、自分の生命の危機であることなのだ。
 一つ問題は、ケセラ、カケイには自分の立場を危険を冒してまでそんなことをする動機がない、ということだった。ただそれも、逆に重責から逃れたいがためと考えることもできる。
 基本的に、アガタは守り神や儀式に不信感を持っている。集落では、その力によって山とその周辺が助かったと言う者が多いが、だが妻子を失った彼にはそう思うことなどはできなかった。
 そこで、まずは捜索をしながらもカケイの様子を見ることができるようにしたのだった。
 今のところ、おかしなところはない。
「カケイ、あんたはなんでこんなに儀式について必死になってるんだ? やっぱり、一族だから、か?」
 が、油断はできない。思い切ってストレートに話を振ってみる。
 いきなりの問いにさすがに少し驚いたのか、逡巡した様子を見せるカケイ。しばらくしてから、口を開く。
「……まあ、そうだな。一族であるからには、もちろんそうだ――だが、どちらかといえば俺は……母の、いや、ケセラ様の力になりたいと思っている」
 真剣な顔つき。まあカケイはどちらかといえばいつもそんな表情をしたまま、変わらないのだが。それでも、嘘ではないようには見えた。
 家族を思う気持ち。それはアガタには痛いほどわかるのだから。
「……ん、ちょっと待ってくれ。ケセラ様から連絡が――――黒神石が、見つかった、らしい」
 どうやらカケイとケセラは何らかの呪術の力で連絡が取り合えるらしかった。本当かどうかはわからないし、そんな呪術は聞いたこともないから、あるとするなら相当に高等なものだと思われるが。
 カケイが伝え聞いた内容をその場にいる者に説明する。湖で倒れていた島外の者と思われる男が石を持っていたこと、その男は、森を探索中に仮面の男に襲われ、抵抗した際にその仮面の男が石を落としていったと話していることを。ただケセラとしては、仮面の男などという存在は信じていないらしい。
 ちょうど陽もかげってきており、その日は集落に戻ることになった。
 仮面の男――怪しすぎる存在。かえってそれが気になるアガタだった。

 同じころ、他の一団――というより、カタラ・ナ・イスハークに引っ張られる形で森を徘徊している集団。
 こちらは、まったくまとまりがなかった。まとまりというよりは、カタラが勝手にどんどんと進んでいくのだ。他の者から見れば、それはまったく意図が読めない行動だが、あまりに自信ありげに進んでいくので、なんとなく従っていってしまっているのだった。
 だが、彼自身は、ほとんど何も考えてない。その肩に提げた食料で(他の者はそれはキャンプ等用の準備だと思っていた)腹を空かしているだろう犯人をおびき出そうと思っているのである。ただ、その食料じたい、腹が減ったといって既に半分は胃の中に消えている。
「洞窟だよ! まずは洞窟を探すだよ!」
 もちろん、その言葉に根拠はない。だがこう見えてもカタラは35歳。他の者より年上である。それが、同行者を余計に混乱させていた。
 言われるがままに洞窟を探す一行。
 そんな一行の前に。
 唐突に、それらは現われた。
「な、なんだなんだよ!?」
 漆黒の装束。身体の線が分からないようにか、余裕のある服を着ている。顔には仮面。とはいっても、これも黒に塗りつぶされたものに、目と口の部分に穴が空いているだけのもの。そして――その風体の者が……五人。
「黒い装束――祭具を奪ったやつらかっ!」
 そう叫ぶのはもちろんカタラではなくて、その脇にいた男だった。
 その声を合図にするかのように、仮面の集団が動き出し、そして。
 刃を煌かせ――襲い掛かってきた。
 突然の相手の行動に、カタラたちは混乱する。それぞれが集落の中では腕に覚えのある者――だが、平静を保てなければその技量は半減する。
 一人が、肩を切りつけられてその場にうずくまる。
 しかし――平静を失っていてもその力が十二分に発揮されるときもある。
「な、なんなんよーーーー!!!!?」
 カタラだった。
 完全に混乱しきっていたのか、いきなりその場で暴れ始め、一人の仮面をその太い腕で弾き飛ばす。そのまま、やたらめったら辺りで暴れ散らす。
 こうなると、もう手を付けられない。こと膂力に関しては、集落でも並ぶ者がないほどの力の持ち主なのだ。短刀らしきものがその腕をかすめ、血が飛ぶ。
 が、全く意に介しない。
 仮面のうち一人が――その様子を見て。
 さっと、手を振った。
 すると。
 波が引くように、一斉に背を向けて。
 仮面の一団が、消えるように、その場から逃げ出した。
 恐ろしいまでの脚力で。
 しかし――
 カタラの脚力も常人のそれではなかった。分けのわからないまま、仮面の者たちを追いかけていく。追いつけはしないが、離されもしない。
 かれこれ十数分は走り続けたか。
 さすがにへたりこむカタラ。仮面の集団も、いなくなっていた。
 傾いてきた陽の光が差し込み、カタラを照らす。
 そこは、つい先日発見された伐採地だった。

RAリスト(及び条件)
・a2-01:島外の難民と交渉・応対をする。
・a2-02:その他島外の難民に対して行動する。
・a2-03:残りの祭具を捜索する。
・a2-04:儀式・山の一族・契りの娘について調べる。
・a2-05:ラルバを監視する・関わる。
・a2-06:その他集落内部で何かする。
・a2-07:その他集落外部で何かする。

※マスターより
こんにちは。鈴鹿高丸です。
アトラ・ハシスにご参加ありがとうございます。

今回より、難民側との接触も始まりました。
これまでの儀式関連などの話に加え、難民とのやり取りも集落のこれからに大きな影響を与えることでしょう。
次回から季節も冬にはいっていきます。やらなければいけないことは増えてくるでしょうが、サブリアクションを使いメインアクションがダブルアクションにならないよう気をつけてください。

また、リアクションでPLが知っている情報をPCが全て知っているわけではありません。知りえない情報を知っているとしてアクションをかけた場合は、その情報をPCが知れる立場にあるかどうか等の判断をさせていただきます。PC同士での情報交換の場合は、「双方」のアクション、もしくはサブアクションにその旨の明記があった場合に、情報を流したと判断いたします。

では、アクションお待ちしております。