アトラ・ハシス

『きずな』

ぱぱた

 日が傾き、世界が赤く燃やされる。
 けれどその暖かな色に反し、屋内に射し込む光は冷たく透き通り、島に冬の到来を囁き始めていた。

 ごりごりごり……

 湖のそばに立つ一棟の建物。それは平屋で、屋根の角度は緩く、かなり年季の入った材で作られた家だ。
 くりぬかれた窓には、細い枝と乾かした葉を使ったブラインド状のものが下がっており、その横に大きく張り出したひさしの下には、細かったりいびつだったりと様々な壷が並んでいる。何に使うものなのか、石の槌などの道具も外壁に無造作に立てかけられていた。
 ひさしの反対側、裏庭のような空間には柱が二本立っており、その間に渡された細長い棒には、動物の毛皮をなめしたものや雑な造りの布の服がかかっている。
 何かをすりつぶすような音はその家から聞こえてきていた。

 室内に青臭い匂いが漂っている。長い間に材木に染み込んだ匂いと混じり、それは独特なものとなっていた。
「もう少しで終わりそうですね、姉様(ねえさま)」
 手を休め、幼い少女がかたわらの女性の方へ顔を向ける。頭の両側で縛られた黒髪が、その動きに合わせてふわりと動く。
 姉と呼ばれた女性は、少女に比べて髪に茶が強いことをのぞけば、非常によく似た顔立ちだった。ただ、性格なのか年齢ゆえか、姉のほうがどこか落ち着いた印象をまとっている。
「そうね。後は私がやるから、マユラは休むといいわ」
 姉−リエラ・ナ・スウラが妹に微笑む。だが、少女はその言葉に口を尖らせた。
「何をおっしゃってるんですかっ!! 姉様はそうやってすぐ無理をなされるんですから。休憩でしたら、姉様から休まれるべきです」
 憤然と言われたことに、リエラは少し困ったように首をかしげる。
 たしかに、病人を看病した後、自らが倒れるといったことがままある。そういった点では反論が出来ない。それよりなにより、こういったときの妹はとても頑固だ。
 心配してくれるのは嬉しいけれど、マユラの方こそ無理して背伸びをしているようで、リエラは素直にその言葉に従えないでいた。
「でもね、マユ……」
「でも、ではありません。だいたい姉様はいつも……」
「分かったわ。少し休ませてもらうわね」
 なんだか長いお説教が始まりそうだったため、自身の不利を悟って早々にリエラの方が折れた。
 腰を上げ、リエラが立ち上がる。
「少し外の空気を吸ってくるわ。マユラの方こそ、あまり無理しないで」
 リエラはあまり感情を表に出さない。苦手というのもあるだろうが、それは既に彼女のクセのようなものかもしれない。
 けれど親しい者には……特に妹に対してはそれなりの表情がその顔を彩る。それでも決して豊かとはいえないのだけれど……
 外に出ると、すでに日はその身を半分ほども沈めていた。夜が訪れるのも時間の問題だろう。
 大きく息を吸うと、肺の中に冷たい空気が満たされる。と同時に張り詰めていた気が緩んだのか、疲れがどっとその身にのしかかってきた。どうやらマユラの心配は的中するところだったようだ。あのまま続けていれば、確実に疲労で倒れていただろう。
 湖のふちに腰を下ろす。湛えられた湖の水面が赤く燃えさかり、そこに映す『ア・クシャス』の山をも紅く染め上げている。その様子は、神が紅き衣をまとっているかのようで、リエラはしばしその姿に見入ってしまった。
 マユラは頭の両側、高い位置で髪を縛っているが、リエラは首の辺りの低い位置で二つにわけ、それを編み上げている。時折吹く風が冷たさを増し、リエラの髪を軽くもて遊ぶ。その冷たさが、いやがおうにも冬の息吹を感じさせた。
 冬になると島では雪が降る。寒さが厳しいこともあり、当然ながらしっかりとした冬支度が必要不可欠であった。姉妹が室内で行っていたことも、その冬支度の一環である。
 二人は医術師。
 とはいえ、まだまだ未熟であり、修行の真っ最中でもある。いわば医術師の卵だ。
 冬にのみ取れる貴重な薬草もあるとは言え、大半は春から秋にかけて採取される。先程までの作業は、塗り薬にするために、とある薬草をすり潰しているところだ。そうやって加工保存しておけば、冬になっても困ることはない。
 口にするのは簡単だが、実際には結構な重労働だ。それに、保存方法を誤ればせっかくの薬がダメになってしまうことだってある。
 質を保ちつつ、ある程度の量を確保しておかねばならず、その工程には自然と神経質なほどの注意と集中力が必要とされる。そういう点では、気力と体力を酷使するかなりきつい仕事だ。
 それでも、リエラもマユラも辛いと思ったことはあまりない。それは辛抱強いということもあるだろうが、医療に関わるものの性分といったものかもしれない。二人とも治療に関しては非常に熱心であり、責任感も強い。リエラなどは熱心すぎて、己の身を省みないほどだ。そのことではよくマユラに叱られているが、こればかりはどうにも直りそうもない。
「きゃっ」
 強い風が吹き、その強さと冷たさにリエラは一瞬身をすくませた。
 気付けばすっかり日は沈み、その残滓のような明るさもそのほとんどが失われている。
 紅く燃えていた水面も今ではその様を変え、薄い透明な膜の下に恐怖を呼び起こす暗い闇を内包している。神は美しい面ばかりではないと言いたいかのように……
 どうやら長いこと己の思考の中に入り込んでしまっていたようだ。家からあの、薬草をすり潰す音も聞こえてはこない。
「いけない」
 リエラは慌てて立ち上がり、裏庭に干してあった服などを取り込む。それらを抱え、急いで家の中に入った。結局残りの仕事を妹にまかせっきりにした形となり、申し訳なさでいっぱいだ。
「ごめんなさい、マユ」
 けれど返事は返ってこなかった。
 明かりもつけず、暗いままの室内に薄ぼんやりと見えるマユラの影は、リエラの声に反応を見せてはくれない。
 拗ねちゃったのかしら?
 そう思いもしたが、いつもの少女からはその姿があまり想像できない。
 手に抱えていた服などを下ろすと、リエラは蝋燭に明かりを灯した。柔らかな明かりが室内を満たしていく。
「マユ?」
 リエラが床に座り込んだままの少女に近寄り、その顔をそっと覗き込む。そのとたん、リエラの顔に微笑が浮かんだ。
 マユラは座ったまま、小さな寝息を立てていた。どうやら仕事がひと段落ついて気が抜けたのだろう。片付けの途中で力尽きて眠ってしまったようだ。
 その姿は普段のしっかりした態度とは違い、年齢に見合った無邪気さが感じられてとても可愛らしい。
 少女の隣に座り、その肩を軽くゆすってみる。
「マユラ、そんなところで寝てたら風邪を引いてしまうわ」
 すると、マユラの瞳がわずかに開いた。けれどその瞳は眠気に対抗しきれてはおらず、半分ほどしか開かない。
「す、すみません、姉様……」
「え?」
 文句を言われるならともかく、眠気に抗いながらいきなり謝られ、身に覚えのないリエラは思わず聞き返してしまった。
「姉様大変だから……お仕事、頑張って……って思ったのですが、またご迷惑を……かけて…」
 どうやら眠ってしまったこと、そして寝入ってしまうことを止められない自分を恥じているようだ。だが、少女の小さな身で、十分すぎるほど頑張っていると思う。それは最も近くで見ている者として、姉という身内びいきを抜きにしても素直にそう感じられる。
 どういう言葉をかければいいのだろう?
 リエラが悩んでいると、マユラの小さな頭が自分の胸のほうに倒れてきた。
「ごめん……な、さ……」
 切れぎれにそう謝ると、そのままマユラの頭は隣に座ったリエラのフトモモの上に落ちた。ちょうど膝枕の体勢になると、少女は再び小さな寝息を立て始める。
 その可愛らしい寝顔に、リエラは小さな微笑を再び浮かべた。それはどこか困ったような、それでいて幸せそうな笑み。
 少女の頭を優しくなでる。小さな体で一生懸命ガンバる姿は誇らしくもあるが、時折見せる甘えたような態度はとても愛しい。たとえ少女本人がそれを恥じていようとも、姉としてはやはり甘えて欲しいものだから……
 頭を撫でられたことがくすぐったかったのか、少女の体が小さく動く。起こしてしまったかと危惧したが、どうやら杞憂に終わったようだ。
「かあさ……ま…」
 こぼれた小さな寝言に、リエラの手が止まる。
 安らかな寝息を立てる少女を見下ろす瞳は、限りない優しさを秘めた姉のもの。
 両親が死んで以来、周囲に迷惑をかけまいと必死にガンバる妹。
 大人びた言動で忘れがちになってはしまうが、やはりまだまだ子供なのだ。本来ならまだ親に甘えていたい年頃なのに……
「無理はしなくていいから……ゆっくりで構わないから、たくさんの幸せをつかめるよう歩んでいってね」
 リエラはもう一度だけ、幼い妹の頭を撫でた。

 どうか小さな妹に、限りない優しさと幸せが降り注ぎますように……


あとがき
 ゲームが始まった当初あたりに書いたマユラのSSです。そう言いながらも姉のほうが目立っていますが(笑) ゲーム中だとあまり子供とは思えない言動ばかりになってしまうため(そういうアクションかけてますから(苦笑))、まゆらの子供らしいところを書きたくなって書いたような記憶があります。拙さゆえに、どこまで読んでる人に伝えられたか分かりませんが(汗)
 マユラはきっと、恋を自覚したら相手にべったりかもしれません。独占欲は強そう(笑) 黒いオーラは難民のタウラスとの兼ね合いで目覚めたものですが、その事実は闇に葬られていることでしょう(爆)
 拙い文章ですが、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。もっと文章能力を上げたいなぁ