川岸満里亜
青を基調とした部屋だった。
リビングに敷かれた簡素な作りの敷物も、薄いカーテンも青色だった。
中央の大きなソファーが印象的だ。ソファーと木造のテーブルが、部屋の半分を占めてしまっている。
来客が多いせいかと訊ねると、そうではなく、ソファーで作業したまま眠ってしまう事が多いので、ゆったりとした物を用意したのだと、彼女は答えた。
そのソファーに向かい合って腰掛ける。テーブルの上には、ワイングラスが2つと、ワインボトルが1本。
タウラス・ルワールは、ワインボトルを取ると、2つのグラスに濃紫色のワインを注ぐ。
「あなたは一杯だけね」
注ぎ終わると、レイニ・アルザラがボトルを取り、自分の方へと寄せる。
「酒癖悪いっていうし。女の子を口説きまくるんでしょ? 今日はゆっくり話したいの。ナンパに行かれたら立場ないしね」
誤解をされているような気がするが、当時の事は記憶にないのだから、反論できない。
酒を飲もうと約束したのは、もう数ヶ月前だ。
食事の後に、「飲みましょう」と切り出したのは、タウラスの方だった。「それなら、私の部屋で」と場所を提供したのはレイニだった。
軽くグラスを回して色と香りを楽しんだ後、レイニは一気に中身を飲み干した。
対照的にタウラスは一口ずつ、味わいながら飲む。
「あなたの家の建築、後回しになりそうね。残念よね、豪邸建てて、色々な女性集めて、ハーレムにするつもりだったのにねぇ〜。タウラスも一夫多妻制推奨組み? ちゃんと一人に決めなきゃだめよー。食事に誘ってくださいーなんて手紙書いたら、みんな勘違いするじゃない。今夜はどのお嬢さんのお家に泊めてもらうつもりなのかなぁ〜? うふふ」
二杯目も軽く飲み干し、三杯目を注ぎながら、レイニが言った。既にテンションが変わっているが、まだ酔ったというより、酔おうとしているというところだ。
彼女の言葉に、タウラスは苦笑する。
女性達からの報告が常々レイニに届いているようだ。
なんだか、タ・ラ・シ!と思われているような気がするのは、気のせいだろうか。
役場棟にあるタウラスの部屋はドアが修繕中であったこともあり、雨水が入り込み、悲惨な状態になっている。本調子ではないことを理由に、病院のベッドのお世話になっているのだが、そろそろ仮宿を見つけるか、自宅の修繕を進め、せめて寝室を復旧させねば、不自由極まりない。
「結婚を考えてみたい方はみつけました。子供だと思われているそうですから、まずはそこを覆すことから始めなければならなくて……目下の悩み事です」
グラスを手に、にっこりと笑って見せる。
「うんうん、あなた子供だもんね〜。ご主人様という父と、故郷という母の姿を追い求めてやまない子供」
あっさりと返されてしまい、再び苦笑する。
「子供はいつか巣立っていくものなのに。いつまでも両親の面影にすがっているんだもの。いい加減、自分の道を歩きなさいっ」
カツンと空になったグラスをテーブルに叩き付ける。
「あー、でも違うかなぁ……。私は忠誠ってよく分らないんだけど、父というより、伴侶に近いのかな、あなたにとってのご主人様って。親も子も、親友も、今は共にいても、何れは別の道を歩むけれど、伴侶だけは……唯一、支えあい、添い遂げる約束が出来る……存在だもの」
どこか、遠い目をした。
きっと、旦那を思い出しているのだろう。
いつの間にか耳に入っていた情報では、レイニは13年前に、主人を亡くしたという。彼女より、11歳年上の体格のよい漁師だったという話だ。港町の組合会長の一人息子であり、その所以で、レイニは姐様と呼ばれるようになったらしい。
「でも、いいじゃない。タウラスって一見大人びて優雅に見えるし。表面だけではなく、そういう子供なところをちゃんと分ってくれている人なら、私は良縁だと思う。覆すなんて考えず、今の本当の自分を受け入れてもらうことを考えるべきじゃない? そんなことよりも、もっと付き合いを深めていくのが先決だと思うけどなぁ。慎重すぎるのはあなたの悪い癖ね。そうこうしている間に、他の誰かに取られちゃうわよ。
結構分らないものよ。……私だって結婚考えていたくらいだし」
「!?」
意外な言葉にグラスを口に運ぶ手が止まる。
「レイニ殿が結婚を、ですか?」
「まーねー。ほら、山の一族の代表の息子が私と同じ年くらいだって聞いてね。政略結婚考えた。今回の件は、結局山の一族の体制と無知が主因なわけでしょ? 一族以外関与させられないっていうのなら、一族になってやれってね! 変われないというのなら、内部から変えてやるって意気込みでいた。自分自身はもちろん、子供ができれば、その子が二つの集落の橋渡しになってくれると思うし。
……二度目の結婚はそういうのでもいいかな、と思ったのよ」
「そんな大事な話を、相談もなく進めるつもりだったのですか? レイニ殿はここの村長ではありませんか。……大体、あなたの夢はどうなされるのですか? そのような結婚をしたら、今以上に島に束縛されてしまうではありませんか」
「村長に選ばれたのは私。誰かの妻だとか、家柄だとかそんなものは関係ない、私という個人だもの。結婚しようが続けるつもりでいたわよ。
夢だって同じ。島で自分の出来る限りの事をしたのなら、私は海へ出るつもりだった。私にとっては、もうここが故郷。皆の側が帰るべき場所だから、旦那に故郷と家を守ってもらいながら、自分は生存者を捜し、世界の安定に動くつもりだった。島を安定させて早く旅立つには、そういう結婚で先住民との関係を築いてしまうのが、手っ取り早いとも思った」
更に聞けば、既にラルバには話してあったとのことだ。儀式が無事終了したのなら、シャオかラルバを通じ相手側に内々に話を通し、代表会談で正式に話し合うつもりだったとか。
「レイニ殿は性急すぎます。もう少し何事も吟味してから行動に移すべきです」
「タウラスは慎重すぎるわ。時には、強引に推し進めないと期を逃してしまう」
顔を合わせて、同時に小さく吐息を付く。
「つまり、私がレイニ殿を抑えるくらいがちょうどいい」
「私が、タウラスを急き立てるくらいがちょうどいい……そういうことよね」
レイニは席を立ち、ワインボトルをもう1本、戸棚から取り出した。相変わらず、タウラスには渡さず、自分のグラスだけに注ぐ。
「それに、ノーリスクで産める年齢のうちに、もう一人くらい、子供がほしいとも思ったりして。……思い切り、特別に愛せる存在が、ね。……女は子供がいると強くなれるのよ。この子の為に頑張らなきゃって。子供が心を支えてくれるの」
少し切なげな顔をした。
隠すように、ごくごくとワインを飲み干し、上気した顔でレイニは笑ったのだった。
「でもいいんだ。可愛い息子ができたから……」
タウラスに向けられた満面の笑み。つまりそれは……。
「ねえ、隣にいってもいい?」
甘えるような顔だった。タウラスの返事を聞くまもなく、レイニは立ち上がり、タウラスの隣に身体を移す。
ぴったりと身体を寄せると、軽く睨むように、タウラスを見上げた。
「信頼には信頼で返すだとか、協力し合うだとか、支え合うという言葉……私に隠し事をしたり、まるで私を見定めるような態度をとったり。私、あなたが本当にわからなかった。私を村長と認めたでしょ? 信頼できる人物と認めたからじゃないの? それなのに信頼してないの? 信頼していない相手を村長と認める理由って何よ。私が村長で、あなたが補佐である以上、私達の関係は対等ではないわ。あなたは私の仕事を補佐する立場にあるというのに、私を解ろうともしない。私がどういう方針で村を導きたいと思っているか、理解していた? 村の運営を指揮統括するのは、あくまで村長の私。その私を補佐するのがあなたの仕事なのに……。
そりゃあ、私は直情的なところがあるけれど、聞く耳は持っているつもりよ。あなたは部下なはずなのに、、あなたは対等の姿勢。村人の一人として、村長という肩書きと大きな責任を、つまり私に押し付けておいて、立場は対等。自分の分野において、自分の方針を押し進める。私や村人をきちんと見ようとしない。それで信頼には信頼って態度は、ちょっと冷酷すぎないかしら? ……私はそんなふうに思ってた」
表情を変える。
風呂上りのような火照った顔で、艶やかな瞳でレイニはタウラスを見つめた。
「だけど、あなたが必要だったから。私を手伝ってくれるあなたが好きだったから、いつかきっと心を開いてくれると……本当の意味で、私を補佐してくれると、ずっと待ってた。私があなたの方針に合わせようと、努力もした。知ってのとおり、気は短い方なの。随分耐えたのよ、わかってくれる?」
タウラスが静かに頷くと、レイニは目を細めて微笑んだ。
「だから、あなたが私と共にありたいって言ってくれて、本当に嬉しい。その一言で、あなたが共に背負おうとしてくれていることが、わかったから。あなたは、凄く新鮮な考えを持っていて、常に私を驚かせてくれる。私の苦手な分野を補ってくれる。とても魅力的だわ。……大好きよ、タウ」
レイニは、身を寄せて、タウラスの肩に手を回した。
「今後、あなたが補佐でい続けてくれるのなら、仕事に於いて、隠し事はしないで何でも相談してほしい。……でも、私は村長としてあらゆる責任を持たなければならないから、あなたに言えないことも、言わずに進めようと判断することもあると思う。それを望まず、あなたが対等を求める……責任をも、半分担ってくれるというのなら、完全に仕事を分けて、二権分立制にしてもいいと思う。だけどそれだと……また、心が離れてしまうかもしれないから。私もあなたと共に、在りたいから……今のままの方がいいなぁ」
タウラスと長く解り合えなかったことも、彼女にとっては、既に「よかったこと」なのだろう。
それが、二人の想いを強め、今に繋がったのだから。
「ああ、そうだ。こんなのどうかしら。村長を個人にするのではなく、家にするの。村長家ってね。その家の成人が村長の責を担うのよ」
小さな村だ。それも良案かもしれないが……。
「でも、それでは何も変わらないのでは? 現時点でレイニ殿の他に、村長をやってくださる方はいないでしょうし」
「うん、だからタウラス、本当に私の息子にならない? 養子縁組して」
「養子、ですか……」
レイニとタウラスの年の差は10。親子にしては、近すぎるとは思うが……。
「早く孫の顔が見たいわ〜〜〜っ」
レイニは一人嬉しそうに、タウラスの肩に頭を乗せた。
タウラスの肩を抱きしめて――。
しばらく、そのままでいた。
タウラスが、今までの会話について、考え込んでいると……。
ふと、レイニの力が抜けた。
「タウラス、あなたは自分の主人に会って……何をしてもらいたい? 受け入れて、認めてもらいたい?」
タウラスが顔を肩に向けると、視線をかわすように、レイニは下を向いた。
「あなたと主、私と娘では関係事態が違う、のよね」
何を言いたいのかが分からず沈黙をしていると、落とすように、レイニの口から声が漏れる。
「……私、は……」
トーンを落とした、ゆっくりとした声が、タウラスの心に響き渡る。
「娘に、何も貰わなくていい。必要とされる必要もない。逢いたいというのも、何かしてあげたいというのも、私のエゴだから」
レイニにとって、娘は何れ巣立つ子供。タウラスにとって主は帰るべき場所。
そのように、レイニは捉えている。
「ただ……」
小さな声が、響く。
「生きていてくれれば」
それは、吐息のような声だった。
「私の事なんて、思い出さなくていいから……」
レイニの掌が、タウラスの腕をぎゅっと、掴んだ。
「ただ、生きて、笑っていてくれれば……それだけ、で……」
触れていた髪が……更に深く。タウラスの首に入り込む。
「ごめん……辛くなってきた……」
レイニの顔は見えない。
声だけが、タウラスの心に響く。
「ごめんね……」
誰に謝っているのか、何を謝っているのか。小さな言葉が、重い響きを放っていた。
そして……タウラスの首筋に一粒、冷たい水滴が落ちた。
「あなたは、もう少し、お母さんの傍にいてね」
強く、引き寄せられる。
「タウ……」
胸に、響く――。
心が締め付けられる、声だった。
彼女の肩に、そっと手を回した。
肩と腕の傷を労わるように優しく手を滑らせて。
腕を身体ごと、抱きしめた。
存在を、確かめるように。
心を重ねようと。
茶色の髪に頬を当て、ゆっくりと、目を閉じる。
海の香りがした。
まだ見ぬ彼女の娘の笑顔が――。
少女と共にいる、自分の大切な人の姿が、脳裏に浮かんだ。
※このリアクションは以下のPCに発行されています。
タウラス・ルワール