アトラ・ハシス

第五回リアクション

『あなたを失いたくないから』

川岸満里亜

 普段来ることのない場所なので、少し緊張をする。
 コンコン、とノックをすると、すぐに「どうぞ」という言葉が返ってきた。
「リリア・アデレイトです。失礼します」
「お疲れ様。どうだった?」
 文字を書く手を止め、こちらに顔を向けたのは、レイニ・アルザラ……村の村長だ。
 ここは、村長執務室。湖の集落から戻ったリリアは、報告に訪れたのだ。
 それともう一つ。決意したことがある。
「水面、やっぱりかなり上昇しているようです。それでも集落まではまだ距離があるので、騒ぎにはなっていませんでしたが」
 リリアは、出発前にもここに立ち寄り、儀式の必要性や、儀式が行われなかった場合の危険性を湖の集落の人々に話してもよいかどうかの確認をとっている。
 話した際の反応についても、レイニに報告をすることにする。
 儀式については、既に散々山の一族が必要性を説いて回っていたことや、仮面の一件もあり、関心は高まっていたようだが、危機感は足りないようであった。
「そのような話は聞いていたけれど……そんなに上昇してるなんて。
 こちらとしても、湖の集落にも本当はもっと危険性を訴えたいところなんだけれど、認識が違いすぎて、難しいの。山の一族が散々必要性を訴えていても、その程度の認識でしかないんだものね。儀式を成功させるための干渉まではできないし。失敗した際、避難を呼びかけても、ここには湖の集落の人々を受け入れるだけの場所も食料もないから……。もどかしいわね」
 吐息を付くその様に、村長である彼女も、自分と同じような思いを持っているのだと知る。しかし、状況を把握しているが故に、手を出せない悔しさというものも人一倍抱えているのだと、リリアは感じ取った。
「あの……っ、魔法防衛の件、私やります」
 リリアは思い切って言った。
 守りたいものがあるから、と。
「学園の友達とか、面倒なのに雇ってくれた花梨さんとか、湖の集落で仲良くなれた人とか、守りたいもの沢山できたから……」
「ありがとう。若いあなた達に負担をかけてしまうことを、どうか許してね。手段と範囲は?」
「手段はこれから考えます。範囲は、村とその周辺で」
 レイニは住民登録簿を取り出し、リリアのページに目を通す。そこには、彼女の健康状態や、魔法能力まで載っている。
「村と周辺だと、湖の集落の人々は守れないけれど、それは理解している?」
「…………」
「あなたの魔力なら、島全体を守ることも可能よ。だけれど、それをしてしまったら、あなたの身体は持たないわ。リリアの体力では、村と周辺で精一杯。わかってるのかな?」
 船に乗った時のように。
 誰かが死んだり。
 家族と離れなければならなかったり、そういうのを見たくないから……。
 だから、受けると決めた。
 だけれど、命を賭けずに守れるのは、村の人々だけ。
 湖の集落の子供達を受け入れられるだけ村に避難させたとしても、それは家族と別れさせることに……。
「誰かを見殺しにして生き残るのも、結果的に見殺しにしてしまった後で辛い思いをするのも……もう嫌だから。命くらい、ちょっと怖いけれど賭けてもいいって、今は思ってます」
「でも、私は“あなたを”見殺しにすることはできない。命を賭けるつもりがあるのなら……命を賭けてまで頑張ってしまう可能性があるのなら、リリアに頼むことはできないわ」
 レイニははっきりと言った。
 ……洪水を乗り越えて、一緒に過ごしてきた学園の仲間達。リリアにとって、学園の子供達が一番大切だった。
 だけれど、湖の集落で出会った人達も。大切になり始めていた。
 だから……。
 コンコン。
 迷うリリアの耳に、ドアを叩く音が入る。
 レイニが返事をすると、ドアがゆっくりと開かれる。
 現れたのは、アリンだった。学園の卒業生で、リリアと同い年の女友達だ。
 リリアの存在に気付かないほどに、アリンは真直ぐに、レイニに近付いた。
「どうしたの?」
 彼女の目は赤く腫れあがっていて、今にも涙が溢れそうだった。
「魔法防衛の事……聞いたんです。先生が……オリン・ギフト先生が、受けるつもりだって……」
「そっか、オリンも受けてくれるつもりなのね」
「ダメです!」
 アリンが突然叫んだ。
「先生は、必要な人です。村にいなくてはいけない人です。危ないことなんて、させないでください!」
 目から落ちた涙が、床に零れ落ちてゆく。
「生活の為には、頂上まで護らなきゃって。自分の体力を超える範囲までやるって、そう言って……。そんなの、だめ! 大丈夫だっていうけれど、保証なんて、何も無い。少しの間でも会えないのは耐えられないのに……そんな危険なことをして、先生が、先生がもし、い、いなくなってしまったら……っ! お願いです。お願いです! やめさせてください!!」
 頭を深く下げ、アリンはレイニに嘆願する。
 嗚咽を漏らしながら、必死に。
 ……そんな友達の様子が、リリアはいたたまれなかった。リリアは知っていた。アリンがオリン・ギフトを特別な目で見ていることを。オリンのことを楽しそうに話をしている様子を、学園で毎日のように見てきた。
 リリアは、アリンに近付くと、手を伸ばして肩を抱いた。
「大丈夫。先生なら、大丈夫だよ! 私、魔法防衛受けることにしたの。先生にはやらせないから。先生が必要な人だって、私も皆も、わかってるし! 無茶はさせないって、ねっ」
 リリアがそう言うと、アリンはしがみつくように、リリアに抱きついた。声をあげて、泣く。
「嫌だ、やだよ、もうこんなの嫌っ!」
「大丈夫だから……」
 友達の頭と背を、そっと撫でてあげる。
「リリアちゃんにだって、やってほしくないよ。死んだらやだッ!」
 自分が守りたいと思うように、皆、大切な人を守りたいと思っている。
 そして、自分のことも。リリアのことも、大切に思ってくれる人がいる。
 アリンを抱きしめる自分を、更に抱きしめる人がいた。
 抱き合う二人を覆うように、レイニ・アルザラが、二人を抱きしめていた。
「村の人々は、みんな私の子供だから。オリンも、リリアも。誰一人、犠牲になんて、しないから……」
 それは、まるで失った母親のぬくもりだった。

 守りたいと思っている。
 誰もが、誰かを。
 誰かが、私のことを。

※このリアクションは以下のPCに発行されています。
リリア・アデレイト