アトラ・ハシス

第五回リアクション

『疑惑』

川岸満里亜

 フレデリカ・ステイシーは、レイニ・アルザラの申し入れを受け、村長秘書として働くことになった。
 湖の集落から帰還後、フレデリカはしばらく多忙を極めていた。先ほどようやく、タウラス・ルワールの容態も安定してきたことから、レイニに詳しい報告する時間がとれたのだった。レイニやタウラスに付き添っていたので、事情も大体わかっている。
 いやむしろ、安定してきたといえば、レイニの精神状態だ。タウラスが重体で戻ってきて以来、レイニは酷く荒れていて、近付くことに危険さえ感じるほどであった。村長がそんな状態であったから、秘書である自分の仕事が増していたともいえる。
 拘束された男は、多分、よほど酷い目にあっていることだろう。自業自得、同情の余地はないが。
 レイニには、フレデリカの他にも受けなければならない報告や職務があった為、フレデリカの番が回ってきたのは、ラルバ・ケイジとの話し合いの後であった。
 湖の集落での事を、あらかた報告した後フレデリカはこう続ける。
「集落を訪れて、いっそう思いました。せっかく生き延びたのに、親族結婚を繰り返すような狭くて寂しい未来よりも、島の方々と交流を活発に行い、ひとつになる未来の方が素敵だと。そのためにも、村長秘書として、勉強をしていきたいです」
「あなたのその勉強という姿勢に感心させられるわ。よろしくね、フレデリカ」
 改めてレイニは、フレデリカに秘書を頼んで正解だったと感じるのであった。
「ひとつになる未来ね。フレデリカは目指す未来をどのようにイメージしているかはわからないけれど、一つの国の違う民族の集落同士……のような関係になるのは、そう遠くない未来だと思うわ。
 今、湖の集落が抱えている問題さえ、解決すれば、だけど」
「それなのですが……」
 その、湖の集落が抱えている問題に関して、フレデリカにはどうにもわからないことがあった。レイニに訊ねようとした、その時、遮るように執務室のドアがノックされた。
「どうぞ」
「橘・花梨です。失礼します」
 入ってきたのは、橘・花梨であった。交易の仕事から戻ったらしい。
 フレデリカはレイニの隣に控えて、花梨の報告を聞くことにする。
 今回の取引内容に、食料の確保状況、今後の取引について等、一通り報告をした後、花梨は控えめにレイニに訊ねたのだった。
「あの……タウラスさんが、湖の集落から帰還時に、怪我されたって……ホンマ、やろか?」
「……ええ、本当よ」
 レイニの返答の後、数秒、沈黙が続いた。
「花梨、言いたいことがあるのなら、言って」
「い、言いたいことちうわけではおまへんけど……わからへんのです」
 やる気はあるし、真剣に取り組んでいる。
 だけれど、やっぱり気にしてしまう。先日の、レイニの言葉を。
 平和に見える湖の集落で、一体何が起きているのか……。
 花梨はレイニから忠告を受けていた。気をつけるように、と。湖の集落の誰かが、村を狙っているから、というような忠告を。
「一見ええ人そうな人が怪しいて仰っとったけど、それなら、カタラさんが一番怪しいんちゃうやろか? だから、わからへんのです……」
 消して猜疑の目で湖の集落の人々を見たりはしないが、気になって不安になってしまうのだ。
「そっか……」
 吐息をついて、レイニは花梨を優しい瞳で見た。
「やっぱり、心配させちゃったわね。詳しく話して巻き込んでしまうことを恐れたのだけれど、話さないで不安にさせてしまうのも、酷なことよね。あなたは交易の代表者として、これからも誰よりも湖の集落を訪れるのだから。
 いいわ、ちょうど、フレデリカにも話そうと思っていたから……」
 そう言って、レイニは二人に語り出したのだ。
 確証は得られていないのだけれど、信じるに値する情報、と前置きをする。
 機関士を襲った仮面の男……湖の集落で問題を起している仮面の集団を率いているのは、おそらく、“湖の集落の族長”だ、と。
「だから、族長に派遣されて来た人の方がある意味危険なのだけれど……。そういうわけで、曖昧な言い方しかできなかったの。ごめんね、花梨」
 仮面の主目的は儀式にあるのだから、儀式が終われば事態は大きく変わるだろう。それまでは、原住民側の訪問は公私係わらず出来るだけ受けたくないというのがレイニの考えらしい。
「彼が仲間の女に言っていたらしいの。“代表会談で、こちらを懐柔できないようなら代表者辺りにはいなくなってもらう”……そんな事を。これは、どういう意味だと思う? フレデリカ、あなたの意見を聞かせて」
 フレデリカは、秘書として閲覧した、会議、会談の資料。更に湖の集落の状況、タウラス、ラルバから聞いた話、先日の訪問で見聞きしたことを頭の中で整理する。
「懐柔して……ゆくゆくは支配でしょうか。懐柔できそうもない人物であるのなら、代表は消す……いえ、代表を消すことで、村を混乱させ、自分が混乱を鎮めて統率、併合するとかそういう考えかもしれません。善人を装って裏で人を上手く操って指揮者としての支持を得ているのでしょうから」
「そうね……あとは、技術や力ということも考えられるわ。こちらの技術を手に入れることが狙いで、懐柔して楽に手に入れることができるのなら、それでいい。出来ないようなら、私を暗殺して、タウラスが代表になるよう導き、タウラスを懐柔するつもりだとか。タウラスは一見人当たり良くて、温和で優しくていい人そうだものね。……付き合ってみると、実際そうでもないのだけれど。癖のある男だわ」
 厳しい表情ながらも、レイニはちょっと笑う。
「族長の狙いだけれど……タウラスは多分、技術。私は、どちらかといえば支配じゃないかと考えてる。だから、花梨に乗っ取ろうとしている人物がいる、と話したのだけれど……。タウラスが狙われたということは、やっぱり支配の線が濃厚かしら。そもそも、魔法防衛のことも話していないし、会談時の村の案内も上手く避けたから、こちらの技術レベルはまだ知られていないはず。ホームステイで確認する前に技術狙いで暗殺を決行するとは考え難いわよね」
「両方っちうことも考えられまへんか? それとも、タウラスさんも懐柔でけへん人物と判断されたとか」
 花梨の言葉の後、3人は黙り込んで考える。
 しかし、情報が少なすぎる。彼女達と湖の集落の族長の接点はとても少ないのだから。
「結局、こちらは、防衛しながら、向うの人達が早期に解決してくれることを願うしかないのよ。本当なら弾劾したいところなんだけれど、失敗すれば、関係悪化どころじゃ済まされない状況になりかねないから」
 何せ、相手は湖の集落で絶大な信頼を得ている族長だ。
 レイニは深いため息をつく。
 フレデリカと花梨の頭は混乱していた。
 それぞれが、それぞれの知る範囲で、もう少し考えてみる必要があるようだ。
 これ以上、何も起きないことを祈りながら――。

※このリアクションは以下のPCに発行されています。
フレデリカ・ステイシー
橘・花梨