鈴鹿高丸
毎日掃除に明け暮れ、疲れ切っていたメルフェニだったが。
当初の予定である、儀式の調査が進まなかったかというと、そういうわけでもなく。
むしろその掃除こそが、社の中を把握するには持ってこいの作業になった。社の中には、造りは広いが柱が入り組んでいるところや古く老朽化していそうなところがある。メルフェニならば通れるところがあるのではないか……とそういったところをチェックしていく。
与えられた自室に戻ると、疲れのあまりすぐさま眠りに落ちる。
そうして、あっという間に数日が過ぎていった。
その日もまた、掃除をしていた、あるときだった。
社の主要部分の端あたりにある小部屋。
数日後からシャナはアイリとも接触を断ち、前日までは儀式の間近くの奥の間に篭もるらしい。そのときのための食料やその他のものをここに運び込むから、ということで掃除を頼まれていた。
もともと倉庫のように使われていたのか、埃っぽい上になんだかよく分からないものが散乱している。手がかかりそうな部屋だと思いながら、片付けを始め――。
ふと、目が留まる。
部屋の隅。
床に――穴を見つけた。床板が腐ってしまっていたのだろう。荷物で塞いであったほどだから、人が通れるほどの大きさではない――大人なら。
片付けながらも、最初と同じように荷物で穴を塞いでおく。
その日は体力を使い切ってしまわないよう、適度に加減しながら掃除をした。
夜――。
こっそりと、部屋を抜け出す。
見つかったら本当にそれでお終いだ。でも――ここまで来て、退く気もない。昼間の部屋に入り、隅の荷物をどける。
その中は、闇。
どうなっているのかも分からないが――昼間に動くわけにもいかない。
息を呑む。
しばし、迷った後。
足を、穴に踏み入れる。
ほどなく、足が地につく。
土の感覚。
それを確認して、頭まで滑り込ませる。
これまでの毎日で、おそらく――儀式の間や、今シャナがいるはずの奥の間――その方角は分かっている。話の中からの類推と、消去法。
それに、さっきの部屋の用途からしても、シャナのいるところはそれほど遠くないはず。
明かりはちらほらと漏れ出ている。
もちろんそのほとんどは、通ることもできない上に、もし出たとしても、まず――一族の人間に見つかってしまうだろう。
まだ日はある。
慎重に――慎重に。
四つんばいのままで聞き耳を立てながら、一つずつ、明かりの下へ移動していく。
男の声――は、明らかに違う。
身体が泥だらけになる。着替えはもらってはいるが――こっそり洗濯しなきゃいけないな、と余計な心配をしてしまう。
そんなことでも考えていないと、不安で心が折れそうだった。
いくつ目かの明かりを調べ。
これ以上は、戻れなくなる――と諦めかけたときだった。
何度か、聞き覚えのある声。
一瞬、アイリかと思う。
少し似てはいるが、違う。
さらに耳を澄ます。
「……さすがに……堪えるなあ。こういうときに孤独にされるのは、さすがに……この日のための覚悟は、そりゃもう十分してきたけど……」
軽い口調。けれどそれは明らかに――不安の裏返し。口調は軽くても、声のトーンは、重い。床越しにだって、分かるほどに。
シャナ――だ。
確信する。そして、思う。シャナならば――話しても分かってもらえるかもしれない。
気づいてもらえるかどうかは分からないが。
意を決して。
メルフェニは、強く天井――部屋の中にいる者にとっては床となるそれ――を叩いた。
ガタン、と音がした。何かが落ちる音。突然のありえない方向からの音に驚き、何か落としたらしかった。
続いて、声をかける。
「シャナさんですね……こんなところから声をかけておいて信んじて、ってのも無理かもしれないけど……怪しい者じゃないです。湖の集落に住んでいる、メルフェニと言います」
声は届いただろうか。
じっと、待ってみる。
「ひょっとして――下!?」
届いていたらしい。
「はい……なんとかして、そちらにあがれないでしょうか?」
自分はここだ、と教えるために、床板を叩く。頭上の足音が近づき、真上で止まる。
「この下ね……ちょっと待って……そうね、こっちへ」
方角が分かるように、床を叩いて合図をしてくれる。その合図に従って、移動する。
「ここなら……ちょっとさがって」
よく分からないまま、後ずさりする。
すると。
鈍い音と――舞い上がる土煙。
と同時に、光が強く差し込む。実際はそれほどのものではなく、薄明かりなのだが、暗闇に目が慣れていたメルフェニにはそう感じる。
シャナが、床に穴を開けたらしい。風の呪術で切り落とした、というところだろうか。
その漏れでる光の中から、腕が差し伸べられる。
メルフェニはしっかりとそれを掴む。
ぐいっと、引き上げられて。
出たところは、仄かな明かりに包まれた、大きい部屋。
だが、思っていたほどではない。十数人も人が入れば窮屈になるほどの部屋。
メルフェニが寝泊りさせてもらっている部屋と比べても、二倍強くらいでしかないだろうか。
奥には祭壇が設えられて、香が炊かれていた。そのほかは、ほとんど何もない。
こんなところで、ずっと過ごしているのだろうか。
「見覚えある子ね……湖の部族の儀式で確か」
確かに先だっての儀式では、メルフェニは巫女の補佐として、舞台にも上がった。シャナはかなり興味を示していたようだから、覚えていたのだろう。
「で……なんでこんなところに? 床下にいたのももちろん驚きだけど……そもそも社の中にどうやって入ったのかな」
問いに、メルフェニはこれまでの経緯を話した。
アイリに無理を言ってここで雑用をしていること。その隙を見て、床下に通じる穴を見て、まさにシャナを探していたこと。
そして本当は儀式の手伝いをしたいのではなく――もっと端的に――儀式を近くで見て、今回の、これまでの騒動の色々なことを知りたいと思ったこと。
全て、シャナなら話せば分かってもらえると考えてのことだった。
「……いいわ。ただし、条件があるけど」
少し考えた後、シャナはそう言った。
何を言われるだろうと、身構えるメルフェニ。
「これからできる限り毎日……今日のこのルートを使って話し相手に来てくれないかな。夜のこのくらいの時間ならアイリも来ないし。それに、十日前からは完全に私一人で篭もることになるしね」
「それだけ……ですか?」
シャナは大きく頷く。顔には笑みが浮かんで……いや。
目は、笑っていなかった。強い、そして切羽詰ったような眼差しが向けられる。突き刺さるような、圧しかかるような。
「……それだけ、よ……最期のそのときまで、一人でいたくないの。それだけ」
シャナの端正な顔立ちが、少しだけ歪む。顔には微笑を浮かべたまま、奇妙に歪む。その奇妙さはそのまま、不安定なシャナの心がにじみ、溢れ出ているように見えた。
メルフェニは小さく頷いた。
シャナと話をすれば、もちろん儀式のことも分かるだろう。
それに――単純に、そうしてあげたいと、思ってしまったから。
すぐに、頷いた。
よほど疲れていつのまにか眠ってしまった日はあったが――ほとんど毎晩、メルフェニはシャナのもとを訪れた。
奥の間の祭壇を前に、薄明かりの中、色んな話をする。
儀式のことも話した。儀式の十日前から前日までは、この『奥の間』で一人で過ごすこと。その間は世話役とも接触しないこと。儀式を行う場所は、この奥の間から続く、儀式の間――半地下になっているらしい――で、行うこと。
三種の祭具を手順どおりに使用し儀式を進め、ア・クシャスを呼び出し、そしてそこでア・クシャスに歌を捧げ、そのまま自分をも捧げること。詳しい手順も聞くことができた。
シャナ自身のことも、話した。
物心ついたときから儀式のことも、そのとき自分の命がなくなることも聞いてきた。当たり前だと思っていて――疑問というほどのものは浮かんでなどいなかった。
だけれど、湖の集落に行って。少しの間だけれど、ヴィーダと暮らして。メルフェニも参加した湖の集落の儀式と、その後の宴――色んなものを見て、感じている間に。
少しだけ――そう。
死にたくないな。
と、思ったこと。
こんなことを語ることができたのは、ヴィーダと、そして今こうして話しているメルフェニだけだと。
カケイとの関係。
世話役がケセラで、その息子。そして、側付きの護衛の長。
一族の中でもよく話をしたほうだった。口数の少ない人だったけれど、十以上離れていたけど。結構憧れていたと。
でも集落で――最初に抜け出して、見つかったとき。儀式の遂行を優先するカケイを見て……あの人は、自分を『契りの娘』としてしか見ていなかったのだと思い知らされたこと。
まだ少し名残はあるけれど。
こうしてメルフェニと話せて、少し気も晴れたということ。大洪水が起きて、今はさらにア・クシャスの影響か異常気象もある。皆のためにと思うことはできなくても、知り合えた人たちのために儀式へ向かおうと、そう思えること。
そうやって、毎晩話をして。
日々が過ぎて。
儀式の間にアイリ、シャナの二人が行くのを見はからって、いつものルートからこの奥の間へ来るように、シャナから伝えられる。隠れる場所も用意してもらった。
そしてやがて――儀式の日、その前夜がやってくるのだった。
※このリアクションは以下のPCに発行されています。
メルフェニ・ミ・エレレト