アトラ・ハシス

第四回リアクション

『歩きながら』

川岸満里亜

 何度も通った道だ。川沿いを慎重に下っていく。交易に携わる者達が利用しているのだろう。雪道だが、さほど歩きにくくはない。
 いつもは、フッツとピスカを連れているのだが、今日はメンバーが違う。
 ピスカの代わりに、シャオ・フェイティン――。
 村外れに住む男性だ。詳しい事情は知らないが、彼は他の村人とは違う。危険な雰囲気を持つ男性である。
 だが、村にとって危険な人物ではないことは、タウラスにも、もうわかっている。なにより、こうして自分についてきてくれている。
 彼とは、先日、湖の集落で顔を合わせている。その目的が諜報であったことは、既に知っていた。
 ちらり……と横目で彼を見る。
 聞きたいことがある。しかし、レイニが黙秘することを、彼に問いただしてもよいものか……。
「すれ違いにならないよう、上空から確認してみますね」
 フッツが風を操り飛び立った。
 舞い上がった雪が降りかかる。
「今から話す事を、信じるか否かは、お前の自由だ」
 ……と、雪を払いのけるタウラスの耳に、声が届いた。
 声の主……シャオと視線を合わせる。
 空気でわかる。自分が欲している情報について、彼が語ろうとしていることが。
「信じますよ。どんな内容であっても」
 軽く頷いて、シャオは語りだす。
 あの後……湖の集落でタウラスと別れた後、シャオは山の一族を調査したという。更なる情報を求め、山の一族の女性をつけ、族長宅の敷地に忍び込んだ時、この会話を耳にしたとのことだった。

「色々とつまづいているところもあるが――まあ順調だろうな」
 それは男の声だった。
「でも――石は、どうするの? あいつからは無事だと連絡があったから、短刀はいいとしても」
 女の声は甘い調子だった。
「あの婆さんが一番の問題だ……がな、ちょうどいいことに、来月、一緒にあっちの村にいくことになってる。そこで――勝負をかける。やって、くれるな?」
「もちろん……貴方の為なら」
「それと、会議の方で相手側を懐柔できないようなら、そうだな、その代表者辺りには、いなくなってもらおうか……ホームステイに行く者の中にも、一族じゃないやつらをまぜる。そいつらを使ってな」
「悪い、人ね……」
「あっさりと、向こうの状況も知ることができたし、送り込む口実もできたからな……都合のいいことだよ」

 一文字一句違えることなく。正確にシャオはタウラスに伝えた。
 あまりの内容に、タウラスの身体に衝撃が走る。
 何度も対面した先方の族長の姿が思い浮かぶ。
 まさか、彼が……いや、信じられない。
 間違いであるとしか考えられないほど、タウラスの知る族長は信頼できる人物……のように見えた。
 レイニが必要以上に警戒していた理由が分かる。これが真実なら、難民村で代表会談を行うのは非常に危険なことではないのか……。
「襲撃があるなら、おそらく帰還時だ」
 シャオの言葉で現実に戻される。先ほど聞いた台詞をもう一度頭の中で反芻してみる。
「こちらに対しては、会議で懐柔できないようなら……ですか。そうですね。それを見極めるまでは、こちらに手を出してくることはないでしょう、ね」
 懐柔できないようなら、ホームステイの際に仕掛けてくる。そういう事だ。
「ならば、何故、レイニ殿はホームステイ案を拒絶しないのでしょう? 知っておられるのですよね!?」
 先月、賛成は出来ないが承認するとは言った彼女だが、この事実を知ってはそうも言っていられないはずだ。もとより難民側には賛成者が少ない。否決すべきではないのか。
「って……あ、いえ。解りました」
 シャオの返答を聞く前に、タウラスには解った。
 多分……レイニは、少しでも子供を救いたいと考えているのだろう。儀式が失敗に終わった場合、難民側の知識で犠牲を出さす救えるのは村周辺だけになる。先住民の子供を預かることで、少しでも命を救いたいと、そう考えたのだろう、と。
 時期も、彼女は来月後半を指定するようだ。そうすると、会談から1月以上間が空くことになる。
 日々、状況は変化している。シャオが聞いたという密談通りに干渉してくるとは限らないだろう。
 ため息をついて、シャオに向き直る。
「どうして、話してくださったのですか? これは、雇用主との契約違反ですよね?」
「いや、俺はあいつに雇われた覚えはない。取引相手として互いに利用しているだけだ。お前に話したのは、あの言葉……『代表辺り』というのが、気がかりでな。恐らく――レイニとお前のことだ。何も知らず殺されたんでは、さすがに不憫だからな。護衛するにしても、狙われている自覚がなければ、お前は他の誰かを庇って自滅しかねん」
 背筋が寒くなる……。
「大人しく懐柔されてみるか? ならば、お前はターゲットから外れるだろうな」
 さて、どうする? と。
 シャオが浅い笑みを浮かべながら、タウラスを見る。

 滝が、目に映る。
 豪快ではないけれど。
 一つの方向に。
 音を立て、飛沫を上げて……。
 流れ落ちていくその様を、タウラスはただ、目に映していた。 
「俺は……」
 難民村での、会議が思い浮かぶ。
 湖の集落での会議が思い浮かび。
 執務室での村長との討議が浮かぶ。 
 村の人々の姿が、頭を巡る……。
 次々に……。
「まだ見えません〜!」
 大声を上げながら、フッツが下降してくる。
 シャオとの会話は、ここまでのようだ。
「……ありがとうございます。肝に銘じておきます」
 タウラスはシャオに礼を言い、湖の集落の方面を見据えた――。
 
※このリアクションは以下のPCに発行されています。
タウラス・ルワール