アトラ・ハシス

第三回リアクション

『いざない』

鈴鹿高丸

 シャナと別れた後。
 ヴィーダはその足で、見慣れたその場所に向かっていた。
 何度も訪れたその家。
 オントの家。
 ノックをし、本人がいることを確認すると、どうしてもしたい話がある、と伝える。
 しばらくして。
 ヴィーダは、オントの部屋にいた。
「なんだ、改まって」
 そして、聞きなれた声。
 それを聞くのも今日が最後かもしれない。
 そう、思う。
「単刀直入に、言うよ」
 長居して離れがたくなったら困るから、と心の中で継ぎ足す。
「儀式が間違ってるとか言うつもりはないが、俺は誰かの犠牲の上に幸せになれるとは思えねぇ。それがシャナであってもなくてもだ。だから何か方法を探してみるつもりだ、山の一族と険悪になってもさ……でも」
 区切って、そして、続ける。
「俺はあんたに惚れてる、迷惑かけるつもりは無い。だから何かあっても見捨ててくれて、切り捨ててくれて構わない」
 良いながら、触れるほどに、近寄る。
 軽く見上げる。目の前に広がるオントの顔。強い視線。
 胸倉を、引き寄せる。
 少しだけ、背伸びをする。
 軽い、口づけ。
「戻ってこれたら、答えでもくれよ」
 それで、振り向く。
 止めても、聞かないつもりだった。そして――仮面の一団を探し、取引を持ちかける。その目的次第では、彼らに協力する。そのつもりだった。
「……仮面と、接触するつもりか」
 見透かしたように、オントは言う。
 止めるようなら、一服盛ってでも、行くつもりだった。
 だから、あっさりと、頷く。肯定の答えを返す。
「待て……それなら、ここを出て行くことはない」
 それは、予想外の言葉だった。
 ここを……出て行くことはない?
 心の中で反芻する。
 一つ、思い当たる。
「会わせてやる。仮面の一団と、そいつらに指示を出してるやつにな」
 背中を向けたまま、硬直する。
 悪い冗談だ、と思う。
 思うが、冗談には聞こえなかった。
「こっちを、向け」
 静かな声。いつもの声だ。変わりない声。
 ゆっくりと、向き直る。
「お前の目の前にいるのが、そいつだ」
「嘘……だろ?」
 呆然と、さっき口付けを交わした、その顔を見つめる。
「儀式なんてものは、止めなきゃいけない。残り少ない人々をまとめて、現実を見なきゃいけないんだ、俺たちは」
「……銀鏡は俺の手にある。湖の近くに、集落の長だけに伝えられている場所がある。そこにな。仮面の者たちも、必要なときはそこに集まる。短刀も、もうすぐこちらに戻る。儀式まで後少しだ。手を貸して欲しい……来月――代表者会議で、ケセラを連れて向こうの村へ行く。カケイの隙をついて……黒神石を頼めないか」
 冗談にしか聞こえなかった。
 しかし、その目は冗談を言ってはいなかった。
 どうすれば、いいのだろうか。

※このリアクションは以下のPCに発行されています。
ヴィーダ・ナ・パリド