アトラ・ハシス

第二回リアクション

『選択』

川岸満里亜

 ミコナ・ケイジと面会後、タウラス・ルワールは執務室に戻る。
 執務室の前にて、ふと、タウラスは足を止めた。部屋の中に激しい女性の言葉が響いていたのだ。
「なによそれ! 襲われて困っている!? はぁ? まるで自分達には関係ないって言い方ね! 私達の中に犯人がいるとでも言いたいの!! 存在も知らなかった私達があっちに手を出すはずないでしょ! あちらの問題でこちらを巻き込んでおいて、その言い草、許せないっ!」
 それに対してレイニが返答をしているようだが、その言葉までは聞き取れない。
「主人が殺されかかっているのよ! 落ち着いてなんていられない! 先住民と交流なんかする必要ないわ! 領土を確立して、塀を建てて、不法侵入者は排除でいいじゃない! 死者が出てからじゃ、遅いのよ! 子供達が襲われたらどうするつもり!?」
 その言葉で、仮面の男に襲われた機関士の妻だと、タウラスは気付く。
 その後、レイニとの間で2,3言葉を交わした後、彼女が出てきた。
 真っ赤に充血した目で、機関士の妻はタウラスをきつく睨み、去っていった。
「お疲れ様。どうだった?」
 今までの喧騒を感じさせない穏やかな声で、レイニがタウラスに声をかけた。しかし、その顔に残る疲労の色は隠せない。
 タウラスも気持ちを切り替え、報告をする。
「……そう、伐採の件が結構問題視されているみたいね。それ以外思い当たる節がないもの。今のところは」
 集落の様子等、一通り報告をした後、タウラスはラルバの件に軽く触れることにした。
「ラルバ殿のこととは断定できませんが、少し気になる話を聞きました。引き続き調査しようと考えています。一任していただけますか?」
「気になる話って?」
 タウラスは迷った。
 情報提供者は、公になることを、恐れていた。彼女への配慮。そして、レイニに話し、彼女が公にしてしまうことで、以降の情報が得られなくなってしまう危険性があるのではないか、と。できれば、今はまだ自分の胸のうちにだけに、しまっておきたい。
 言い淀むタウラスを見ると、レイニは小さく吐息を付いて、ソファーを指す。
「タウラス、ちょっとそこに座りなさい」
 レイニも席を立ち、向かい合ってソファーに腰掛ける。
「あなたも知ってるでしょ。探索隊を率いていたのは、私。ラルバとは随分行動を共にしてきたし、技能も見てきたわ。あの子に関しては妹達より知ってるつもり。彼の遭難は私にも責任があるの。交渉とは別よ」
「ですが、まだ彼のこととは断定できませんので」
「断定できない情報だからといえ、あなた一人の判断で対処できることなの、それは? 大体、私に詳細を話さないってつまり、私を信用していないのね、あなたは」
「そういうわけでは……」
 強い口調にタウラスは困惑する。
「まあ、ここから先は私の推測だけれど。情報が入るっていうことは、ラルバは生きている。そして、人と接触を持っている。しかし、自由に動けない状態にある。そういうことね。
 人は先住民でしょうし、自由に動けないというのは、病気や怪我、もしくは拘束されている。普通なら、そんなところだけど、ラルバに限って怪我や拘束はちょっと想像できないわ」
「……何故です?」
「強いからよ。……恐ろしいほどに。崖から落ちても、風をコントロールして自力で這い登る。熊程度じゃ相手にもならないし。軍人としての正規訓練を長く受けているから、サバイバル知識も十分。獣だろうが、人間だろうが、囲まれても逃げるのは訳無いだろうし。
 彼は人の10倍は働くわよ。あの子が行方不明なのは、ここにとっても非常に大きな痛手ね」
 あなたも10倍働いてるけどね。と付け加えるレイニ。
「そう考えると、病気? 何にせよ、彼が先住民に睨まれる要因の一つになっているのかしらねぇ」
 再び吐息をついたあと、レイニは強い視線でタウラスを見る。
「……で、この問題をあなた一人で解決できるの? あなた、自分の立場わかってる? あなたはこの村の代表として先住民と交渉をしているのよ? そのあなたが、情報を探るような行動をすることの危険性を感じないわけ!? 当然、あなたには一任できないわ」
 厳しい言葉に歯をかみ締める。
 確かに、難民の代表として交渉に赴いている自分が、先住民の集落で何かの問題に巻き込まれたのなら、難民全員が敵視されかねない。このまま、先住民の娘と秘密裏に接触を続け、事件に巻き込まれ、その事が公になろうものなら……疑いをかけられているラルバ共々、内通して先住民に工作をしていたと断定されかねない。
 タウラスは自分の立場というものを、また深く思い知らされる。
「しかし、下手に表沙汰になり、事を荒立たせては彼等との関係に……」
「あなたも聞いたでしょ? 機関士の奥さんの声。旦那が刺されたことで、周りが見えなくなっていすぎだけれど、彼女の心もあなたの心なの。ラルバの妹達の心もあなたの心。この村に住む、全ての人の心一つ一つが代表である私やあなたの心なのよ。
 交渉というのは、友好関係が築ければいいってものじゃない。この村に住む人の思いと利益をあなたは一番重視しなければならない。でないと、先住民との関係は良好であっても、内部が崩壊してしまうわ。皆の心が離れ、私達が信頼を失い、内部が崩壊したのなら、勝手な行動をする者が増え、犯罪が増え、先住民に暴行を加えたり、先住民を憎んで集落に攻撃を仕掛けたりする人物が現れてしまう。
 いい? 交渉の姿勢としては、謝罪すべきことは、謝罪する。引くべき時には引く。隠すべきことは隠す。主張すべきことは主張する。主張してから、相互妥協をしていく。相手との立場を対等に持っていく。いつまでも、この地に住まわせてもらっているって姿勢はダメよ。仮面の人物の襲撃は確証はないけど、こちらに非はないことよね。彼等の体制に問題があるのなら、改善を要求するの。被害者であることをまず主張。それから、討伐に協力して『あげる』と握手をするのよ」
 そこまで言うと、レイニはお茶を淹れに立った。話しはまだ続くようだ。
 タウラスは黙って、今までの話を脳内で整理する……。
 自分とタウラスの前にティーカップを置き、紅茶を注き、腰掛けて一息つくと、レイニは話を続けた。
「あなた、会議で言ってたわよね。『主と共に国に仕える身、二つの国に忠誠を誓うわけにはまいりません』だっけ」
「はい」
「望郷の想いを捨てろと言っているようで受け入れがたい……それは、皆の事を考えての発言なら、皆の気持ちになってあげることは良いことなんだけど……。分かっていると思うけれど、あなたは女性達にとても求められているわよね?
 誰もが、大切なものを失って辛いのよ。苦しんで、弱っているの。誰かに助けて欲しくて、誰かを頼りたくて……。
 あなたは私の補佐と、この村の代表として交渉に行った時点で、皆に頼られる存在になったわ。そんなあなたが、故郷を捨てられないという発言をしたら、皆がどう思うと思う? 寂しいわよ……たまらなく不安になる。
 私にだって、海に残してきたものがある。私は港町出身だから、皆も知っていることだけれど……」
 レイニは遠くを見るような眼で、その先の言葉を言った。
「娘が、いるの。一緒に乗船したんだけれどね、出航前に私の目を盗んで下船したの。1つの船に航海士は2人いらないって手紙だけ残して。誰に似たんだか、気だけは強くて……」
 初めて見る表情を、レイニはしていた。不安そうな、悲しそうな……今まで見せたことのない、顔を。
「本当は、今すぐに海に出て、無駄だと分かっていても娘を探したい。だけれど、それは絶対に言ってはいけないことなのよ。皆が私を頼りにしているから。……誰かに頼りたい。でも、頼れるはずの旦那がいない。国がない。だから皆、私やタウラスに助けて欲しいと、私達に依存しているのよ。これもその表れ」
 積みあがった書類を指差す。
「だから、もう言わないであげて。故郷への思いを捨てろとは言わないから。ここの仕事に従事している時だけは、ここが一番だと、皆を愛し一番に考えていると、皆に表してあげて。
 ――タウラス。あなたは自分自身が思っているよりずっと、必要とされているのよ。ここに必要な人なの」
 想いは複雑だった。
 自分自身の想いさえも、口に出せない立場なのだと、タウラスは知った……。
「重いわよね……私も重い。私が国王統治にしようと言ったのはそのせい。私も依存できる絶対的存在が欲しかったのよ。自分が行う政治に対し、上からイエス、ノーをいってくれる立場の人が。でもね、あなたと組んでみて、あなたとなら、できるかもしれないって今は思ってるの。私が出来ない分野をあなたは引き受けてくれる。私の指示に対し、期待に応えてくれるから。
 だけど、意見が合わないこともある。一番大きいのは、私はここで生きていこうという姿勢でいる。あなたは故郷への思いを重視している。それから、ラルバの件からして、あなたからの私への信頼が足りない。
 だから……あなたが決めなさい、タウラス。
 ここを任せられる人物が現れるまで、私を長として、あなたは私の補佐となり互いを信頼し合い、この村を治め、共に生きていくか。
 それとも、あなたの方法で、あなたがこの村を率いるか。
 あなたが長になる場合は、私は警備、探索隊を結成して、村の力となるわ。但し、民間のね。私はあなたの下にはつけない。あなたの事、まだまだ子供だと思ってるから」
 紅茶を飲み干すと、穏やかに続けた。
「どちらを選んでも、分からないことがあったり、辛くて耐えられなくなったら、いつでも私のところに相談にきなさい。タウラス、あなたのことくらい、私が受け止めてあげるから」
 柔らかなその言葉に、母親のような暖かさを、タウラスは感じた。
 この人は、父親のようであり、母親のようでもある人だと。感じたのだ。
 少し間をおいて、再びレイニが口を開く。
「もう一つ。あなたに話しておきたいことがあるわ。話すと約束したしね。……気を強く持って聞いてね。そして、これは今はまだ誰にも話さないで」
 タウラスが頷くと、レイニは目を一旦目を閉じた。
 その様子に、続く話の重大さをタウラスは感じ取った。
 レイニは、黙想をした後、ゆっくりと話し始めたのだった。
「あなたが気にしてた、ホラロ・エラリデンは、大陸で魔法科学工学の第一人者だった人物よ。彼は、某国の軍事プロジェクトに参加しており、立場を利用して、軍事機密を盗み出したらしいのよ。それが知られて、捕らえられたのだけれど、機密は既に彼の頭の中という状態。国家機密である為公に出来ず、ホラロを罰することも出来ない。しかし、彼を放置しておくことも出来ず、連続少女猥褻、及び殺害という適当な罪状をでっちあげ、彼を極刑としたらしいの。まあ、ロリコンなのは本当らしいから、全くの無罪じゃなかったのかもしれないけど……。
 その国の極刑というのが、5日分の食料を載せた小船を与えられ、北海の真ん中に放置というもので、ホラロは魔法を封じられて、その刑に処されたらしいの。
 で、運良く、この島に流れ着いたってわけね。この島は大陸ではまるで知られていなかったから。
 極刑に処せられて生き残った者は、無罪とされるのが常だから、一応彼は大陸でも無罪扱いなんだけど……そんなことはどうでもよくて……。重大なのは、ホラロが盗んだ機密と、彼の推測。
 その国では、軍事利用目的で、魔法効果を増幅する実験が行われていたらしいの。ホラロが魔法を封じられているのも、その実験の成果の一部なんだけれど。実験が行われていた場所は、世界の端。氷の海で覆われた氷の大地。そこに、拠点を設け、日夜実験が繰り返されていたらしいの。ここまで話せば大体わかると思うけど……。
 ホラロの考えでは、洪水はその軍事実験の失敗が引き起こした惨事だろう、と。魔法の暴走で、大陸の数倍の面積のあった厚く高い氷の台地を溶かしてしまったのではないかと。そういう話」
 それは、今までのどんな話より、タウラスを混乱させた。聞いていることが……今、呼吸をしていることさえも、夢のように感じた。
 大陸での日常が、頭をよぎる。
 目を覚ませば、きっと主がいて……。
 いつものように……。
「タウラス!」
 女性の声が飛んだ。はっと我に返る。
「理由はどうであっても、私達の今は変わらないのだから。今、すべき事をする。――そうよね」


※このリアクションは以下のPCに発行されています。
タウラス・ルワール