アトラ・ハシス

第一回リアクション

『寝室』

川岸満里亜

 黒石を回収されて以来、なんとなく気まずい空気が漂っており、ラルバ・ケイジが目覚めた当初のような和気藹々とした雰囲気に戻れずにいた。
 リエラ・ナ・スウラは、そんな中でも、熱心にラルバの治療を続けていた。包帯を巻き取ると、そこには深い切り傷がある。脇腹と、腕。そして背。
 傷の上に手をかざして、呪術の力を流し込む。
「ありがとう。少し楽になった」
 ラルバの声にはっとする。今まで意識のない相手の治療ということもあり、深く考えてはいなかったが、こうして、相手の反応があると、無性に気恥ずかしくなる。
 しなかやで、それでいて引き締まった身体。優しげなのに、男性を感じさせる精悍な顔つき。
 半裸の彼の腹に手を当てている自分に、つい赤くなってしまう。
「い、いえっ。うつ伏せになれますか? 背中も治療しないと」
 うつ伏せになったラルバの背に、手を当てるリエラ。この傷が一番深い。
「背中の傷は騎士として恥ずかしいものなんだけどな……」
「騎士?」
「ああ、俺の祖先は没落貴族だったんだ。小さな頃から男の俺は親戚貴族の家に預けられ、騎士としての修行をしていた……って話は君達には分からないかな」
「いえ、とても興味深いです! もっとお話し聞かせてください」
 そう言ったのは、服を手に戻ってきたルビイ・サ・フレスであった。
「僕も湖の部族じゃないから、他所から来た人に興味が有るというか親近感湧くというか、そんな感じでっ! 迷惑じゃない程度でいいですから、貴方の事、色々教えて貰えたら嬉しいです」
 ルビィは用意してきた服を、リエラに手渡す。ラルバが着ていた服は裂かれてボロボロになっていた。見かねたルビィは数日かけて彼の為に服を作っていたのだ。
 手当てを終えたリエラは、包帯を巻きなおしルビィが作った服をラルバに着せる。
「すまない。君達には世話になってばかりで、本当に申し訳ない……」
「でしたら、お礼代わりにってことで、話を聞かせてください」
 ルビィの明るい口調に、ラルバの表情が柔らかくなる。そして、語りだした。
「俺の住んでいた土地は、ここのような小さな島じゃなくて、いくつもの国が存在する大陸だった。生まれたのは、小国の外れの港町。庶民としては裕福な方だったけど、さっき話した理由で、男である俺は幼い頃に親戚に預けられ、そこで修行を積み、騎士になった」
「騎士って?」
「えーと、領主……うー、偉い人に仕えている、軍……あー、戦士ってところかな」
 リエラの妹、マユラ・ナ・スウラから、ラルバに薬草入りミルクが差し出される。礼をいって受け取り、ラルバはミルクを口にする。
 マユラは、姉やルビィ、監視として残るよう指示されたセイル・ラ・フォーリーにもミルクを配ってまわる。幼いのにとても気が回る子だ。
「実家に戻れるのは月に1度くらいで、たまにしか会えない年の離れた妹達2人が凄く可愛くてね。姉の方は、リエラさんと同じくらいの年で、やっぱりリエラさんのように、一生懸命な娘なんだ」
 リエラを見たその瞳は、本当の妹を見るように、愛しみが込められていた。
「妹の方は、マユラちゃんよりちょっと年上くらいかな。でも、マユラちゃんとは違って、我がままで、甘えん坊だ」
 続いて、マユラを見て柔らかく微笑んだ。
「妹、さん達は……?」
 恐る恐る、マユラは聞いた。
「一緒にこの島辿りついた。他の皆と共に、暮らしているはずだ」
 よかった……と、マユラは姉、リエラの服の裾をきゅっと掴んだ。
「ルルナは……泣いているだろうな。ミコナ、無理してないといいが……」
 もし、姉と離れ離れにされたら。
 姉の行方も、生死も分からなくなってしまったら。
 ラルバの小さな呟きに、姉を掴むマユラの小さな手に思わず力が入る。
 難民達が集落に現れ、族長と会合を持ったということは、皆、知っている。
 彼等がこの島の神具を狙う理由は考えられない。
 背中を深く斬られた事は、逃げようとした証なのではないか?
 彼の言葉が真実なら、神具を奪った者と戦い、黒石を取り戻した功労者にならないか?
「君達には、本当に感謝している。命の恩人だと思ってる。だから……俺の監視からは外れた方がいい。傷が癒えたら俺はきっと……」
 言葉を詰まらせるラルバ。
 刃物を持った人物と戦い、生き残ったラルバの戦闘能力はどれほどのものだろうか。
 彼が本気で脱出を図ったら、自分達に止めることができるのだろうか。彼が逃げたのなら、自分達は間違いなく責任を問われるだろう。
 突如、ドン……と。周囲に音が響くほどの勢いで、セイル・ラ・フォーリーが自らの胸を叩いた。
「俺、お前護るウガ! 泥舟に乗ったつもりでいるウガ!」
 一瞬、沈黙につつまれる。
「……ど、泥舟って、土で出来た船? それじゃ、沈みますって!」
 ルビィが笑い出す。
 つられるように、皆が笑い出した。
 ラルバも、脇腹を押さえ苦しそうに笑っている。
 セイルのたった一言が、重い空気が一気に吹き飛ばした。
「食え、食え!」
 タコ料理を皆に差し出すセイル。
「ラルバ様はまだ無理ですよー。お腹をざっくりやられてますから」
 ルビィがひょいっとつまむ。
 リエラは裾を掴んでいるマユラの手をとって
「私達は、ずっと一緒だから」
 と囁いて、大切なたった一人の妹を、やさしく撫でた。

※このリアクションは以下のPCに発行されています。
リエラ・ナ・スウラ
マユラ・ナ・スウラ
ルビイ・サ・フレス
セイル・ラ・フォーリー